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​In the small box

Someday

 

 

 

 

 

 

 窓もドアも開け放った部屋は風がよく通る。いくら生ぬるい風でもないよりはマシだ。折り目正しい白いシャツを無造作に腕まくりし上からふたつほど釦を開けた長谷部は、壁に寄りかかりながらふてくされたような顔で本を読んでいる。出陣帰りの大倶利伽羅がばさばさと服を脱ぎだすとわずかにこちらを見たが、つまらなそうに視線を戻した。

 シャワーを浴びた大倶利伽羅がジャージに着替え戻って来ても、彼は人形のようにそのままだった。昼餉はなににしようかと少し考えて、長谷部は食べないことだから簡単にチャーハンでいいかと思う。フライパンを電磁調理器の上に置き、スイッチを入れたところで背中に声がかかった。

「まだ戦場には出られないのか?」

「まだだめだ」

「主が言ったのか?」

「ここに、主はいない」

「知っているさ、便宜上そう言った。指示する立場の人間、だ」

「俺がだめだと言っている」

「なぜお前が決める?」

「俺が養育者だからだ」

「……そんなもの俺には必要ない」

 

 観察者から届いた手紙を思い出し、思わず眉をしかめる。

『親愛なるラットへ 質疑応答及び検査の結果、記憶の欠如が推察される。しかし、数値上は問題なく生活する上での機能も問題ない。いたって健全な試験体である。』

 幼い器から大倶利伽羅が育てた彼は先ごろの出陣で重傷を負い、手入れから目覚めると成長の記憶を無くしていた。

 馬鹿にした文章だ。戦えるのならば問題はない。そう言いたいのだろう。

 いま再び大倶利伽羅は長谷部の保護者になったが、彼の言う通り本当は教えることなど何もない。通常の生活でも稽古でも、強くて頑なな "へし切長谷部" そのままで、過程の記憶が飛んだことなんて戦う上では問題にならない。彼自身、記憶がないことを気にしたそぶりもなければ、周囲とのコミュニケーションも問題なくとれている。

 けれど、彼が目覚めた時の異様な光景が大倶利伽羅の胸に棘を刺したまま、じくじくと痛み、抜けないでいるのだ。

 ひたすらにネギを刻んでしまっていた手を止め、ハムを慎重に切る。他に野菜はと思案したところで、栄養バランスを考えるのが馬鹿らしくなった。最終的にはこの身体は消えてしまうのだ。揺るがない事実を誰かが処置室に入るたびに思い出す。

 長谷部が重傷を負った日、大倶利伽羅は処置室の前で立ち尽くしていた。一報を伝えてくれたのは長谷部を運び血で染まった燭台切で、壊れる寸前の重傷を負ったと聞いた時、大倶利伽羅の頭にある光景がよみがえった。

 雷がうるさい日のことだった。

 大倶利伽羅は仲間である小さな短刀が砕ける瞬間を目の当たりにした。気が弱いけれど優しい刀だった。臆病なたちだからこそ相手をよく見ていた。相手を見つめ、想像し、思いやることを大倶利伽羅に教えてくれた。強い、刀だった。

 転がる未熟な大倶利伽羅の前に立ちはだかった細いのに凛とした背中。真っ先に逃げると思っていた彼が、まさか、と思った。生き残る選択をすることは悪いことじゃないのに。それまでのびくびくとした様子とは反対に、守る覚悟を決めた背中だった。止める間もなかった。

 砕け散っていく欠片がきらきらと光を反射し、瞬きの一瞬のうちに肉の器は消え、残るのは小さな小さな星屑のように散らばる鋼ばかり。周りでいつも跳ねていた毛玉も、怒っているような嘆いているような鳴き声を残して間も無く消えた。手袋を切り裂かれ手が傷ついても構わず必死で拾い集めた欠片たちは、観察者に回収され返されることはなかった。

    彼が生きた証はもう、過去を知るものの記憶にしかない。使っていた食器を焼却炉に投げ込もうとしていた鶴丸を止めたのは大倶利伽羅だ。必死に腕を掴む大倶利伽羅が見上げる先で、養い子をなくした鶴丸は悲しそうに笑った。俺の見えないところで持っている分には構わないと。現実を見つめ続ける刀は、振り返らないで生きることを選択したのだろう。この一件から、刀たちはよりいっそう強くなるために努力した。養い子にも強く生きることを教え続けた。

 油を多めに入れたフライパンに軽くといた卵を流し込み、かき混ぜる手を止めず半熟状態で一度取り出す。そこに冷えたご飯を入れて、先に空いた鉄で賽の目に切ったハムを炒めたら、玉子とご飯を豪快に入れ熱が回るまでしばらく待つ。パチパチとした音がしてくるのに耳をそばだてながら、ふと、自分はいい養育者ではなかったかもしれない、と悟る。強さを求める理由を説明してやらなかった。長谷部を大事に思っていることも。何もかもが足りなかった。

 

 長谷部の負傷を聞いて、訳も分からず処置室まで走った大倶利伽羅は、────立ちつくしていた。扉は手入れが終わるまで開くことがない。今は壁となっている扉に背を預け膝を抱えていた包丁は、ついさっき眠りに落ちてしまったところを加州に回収されていった。欠けた爪もそのままの加州は離れぎわ大倶利伽羅の頭をひとつ撫で、去っていった。手入れがされているということはいつかは治る、折れることはないとわかっていても足が動かない。大切に育てた。真面目で聡明でよく切れる、自慢の刀だ。随分前に手を離れたはずなのに、それでも彼は大倶利伽羅にとって大事な刀なのだ。

 自分ひとりで充分だ、と心底思っていたはずの刀は、思い知った。手早く具材をかき混ぜ満遍なく炒めたら、醤油を肌からまわし入れる。じゅわじゅわとした音と香ばしい匂いが立ちのぼる。木べらで少しすくって味見をしてなんともぼやけた味に、塩胡椒を多めにふりかける。雑念が消えていく感触がするから、大倶利伽羅は料理が好きだ。けれど今日は失敗した。集中することができず、出来栄えも散々だ。今までになんども作ってきた手抜き料理が、途端によそよそしいものに見えた。

 卓まで運んで鼻先に出来立ての湯気を突きつけ、再度「食べるか?」と訊いても長谷部は首を振った。唾を飲み込んだように見えたのは目の錯覚か。昔の彼の好物とはいえ、今の彼には興味のないものだろう。そもそも、身体は霊力を含んだ水を飲んでいれば保たれる。必ずしも食べる必要はないのだ。

 ふと思い立って台所にとって返し小鍋に水を少量入れ沸かす。沸騰したら鍋を下ろし、ココアパウダーをスプーン山盛り三杯に砂糖を一杯入れて、なめらかになるまで練る。とろりとしたら牛乳をそそぎいれ、ひたすらに撹拌しながらまたふつふつと小さな泡が浮かび上がってくるぐらいまで温める。

 紫色のマグカップを取り出し、出来上がった長谷部のお気に入りを注げば懐かしい匂いがした。なぜ、大倶利伽羅がかつてココアを頻繁に作っていたかといえば、長谷部が好きだからというより、手間をかけることによって落ち着く時間が欲しかったからにすぎない。ひたすらに水面を見つめてかき回す行為は、さざ波だった大倶利伽羅のこころを静かにした。

「ほら」

 差し出したマグカップを長谷部は目を丸くして受け取る。真夏にホットココアなんて、確かにどうかと思う。味覚の好みというのは肉の器に付随するものなのか、経験に連なるものなのかはわからない。ただ、今は、大倶利伽羅が彼に飲んで欲しかったのだ。

 おそるおそる口をつけた長谷部がわずかに目尻を下げた気がして、ふっ、と大倶利伽羅の口から息が漏れる。訝しげにこちらを伺う長谷部を真顔で見返し、すっかり冷めてしまったチャーハンに口をつけた。頭の中で、長谷部が目覚めた──重ねた歳月が失われた──瞬間が勝手に再生されていく。いつまでも嘆いていてもしょうがないのに。

 彼が泣いていたのは遠い昔のことだというのに、幼子の無理に押しつぶしたようなひしゃげた声が聞こえた気がして、大倶利伽羅が処置室のノブに手をかけると鍵はすでに解錠されていた。飛び込んだ先にあったのはうずくまり泣き崩れる長谷部の姿で。しばし呆然としていた大倶利伽羅の背後から駆け込んできた包丁が、長谷部を小さな身体で必死に抱え込んだ。はせべ、はせべ、いたいの、だいじょうぶ、なおった、なおったよね。俯く長谷部の唇は赤く染まり小さく震えていた。 

 薄い唇についたココアをぺろりと舌で拭う仕草にハッとする。す、とまっすぐに切り裂かれた口。思えば、この唇が谷を描いていないのを久しぶりに見たかもしれない。記憶の中の子供は、いつも笑っていた。いや、出会った当初は何かを堪えるようにへの字にしていることが多々で、彼は今からは考えられないくらい泣き虫だった。大倶利伽羅はいくども途方に暮れたものだ。

 なぜ、ずっと忘れていたのだろう。小さな器を抱いた感触は、この手に鮮明に残っているのに。初めて長谷部を抱き上げた時、これが生命の重さだと知った。全てをこちらに預け力の抜けた身体は温かく、すぐに壊れてしまいそうに柔らかかった。耳で輝く大倶利伽羅がつけたばかりの記録装置から血の赤が糸のように流れ出していて、鮮やかさに打たれた獣の本能がぶるりと背を震わせたそばから喉を鳴らした。

 長い睫毛が細かく震え、ヴェールを上げた瞳の清廉さに、熱を上げ続けていた心臓がひときわ高く跳ねた。すぐに消えてしまう一刻にみたない夕暮れどきの色が、わけもなく寂しくなる色が、そこにはあった。清涼な水を湛えた吸い口を無垢な唇に差し込めば、必死で吸い付くさまに、まくれた唇の内側の色に、こころが揺さぶられたのを覚えている。忘れられるはずもない。

 なぜなら生命を抱くことは、とてもこわいことでもあったからだ。読書に戻った伏し目がちな横顔を目に映しながら、砂のような感触の米粒を咀嚼する。静かすぎて、食器が立てるわずかな高い音すら不快に感じた。

 まるで一緒に暮らし始めた頃に戻ったかのようだ。

 始まりの感動とは別に、敵を斬り成果をあげることが目的の刀には、小さな存在は重荷だった。おかしな枷ができたと思っていた。強い刀であるためには邪魔だとすら。だが、温かな熱を感じてしまった腕の感触は消えなかった。それどころか厳しく稽古するほどに食らいつく姿とこぼれる純粋な涙に、肉の器がもつこころという機微が長谷部に傾くことを止められない。刀ではなく人になってしまった己にぞっとして、弱くなるのではと恐怖すらしたが慈しむことをやめられなかった。それは恐々とした不器用な手つきだっただろうが。

 

「視線がうるさい。減るから見るな」

 煩わしげな言葉にはたと瞬きして、楽しむ価値を見いだせない飯をかきこんだ。

 忘れられる。積み重ねた時間をないものにされることは、こんなにも寂しいことだったのか。

「どうせ俺はここにいなければならないのだろう。逃げないから働いてこい」

 投げやりな言葉に目を見張る。ここにいなければいけないわけではない。長谷部は自由だ。ただ、大倶利伽羅がここにいてほしいだけなのだ。

 小さな長谷部と大倶利伽羅、ふた振りの刀が人の真似事をする光景が浮かび、いまさら気づく。自分で思うよりもずっと、狭い部屋でふたりが過ごした時間と絵を、────愛おしんでいたのだ。

 

 

 ひどく熱いものが己の身体を拘束している。夜の帳に金色の灯火を浮かび上がらせた大倶利伽羅は、疲れ切った身体を休める大事な睡眠を妨害した存在を確認した。橙色の豆電球の下、大倶利伽羅の性器を握った長谷部が、青紫の光を弓なりにこぼし、笑っている。

「なっ……」

「あつい」

 下生えを逆立たせるようにさすり、指先を遊ばせる。

「なに?」

「からだがあつい、だからなぐさめろ」

「は?」

「きもちよくなりたい」

「おいっ」

 戸惑う大倶利伽羅を無視するように舌先からとろりとした唾液を垂らした長谷部はためらいなく大倶利伽羅の雄を扱きだした。まっすぐな髪を掴む手にも構わず、愚直に勃ち上がった露悪的な肉に目を細め、尖らせた舌で、ちゅくり、鈴口に触れた。

「ん、」

 熱い。

 腰を引こうとした大倶利伽羅を根元を締め上げることで牽制し、ぱかりと充分に濡れた粘膜を覗かせると薄い唇で包み込んでいった。雄に絡みつく薄い皮膚越しの熱に連なって、背をびりびりと刺激が走っていく。ちゅぷり、ちゅぷり、吸い付き味わうように余すとこなく舌を這わせる長谷部は蕩けた顔を隠そうともしない。ふと後頭部の丸みに養育者と被養育者の関係を思い出し、凶暴に身を炙っていく快楽とは反対に頭が冷え押しのけるようとすると、ことさら吸う力を強くした。

「アッ、くっ」

 上顎に擦り付け喉奥で締め上げる手管に思わず、誰にこんな、嫉妬の炎が灯る。大事に育ててきた刀は誰かに散らされていたのか。今はそれよりも取り返しがつかなくなる前に止めなければ。なぜ、こんなことを? 不具合、それとも、まだ大倶利伽羅が好きだと錯覚を。いや、彼は覚えていないのだった。

 じゅぷじゅぷとした水音は止まない。長らく処理をしていなかったため重たい陰嚢を揉む長谷部の目は三日月にたわんでいる。

「くっ、ぅ」

 考えがまとまらない。

 ああくそ、長谷部にこんなことを教えたやつへの怒りが抑えられない。悦楽に腰を震わせてしまうことも。

「は、」

 理性と本能がぐずぐずになるまで頭を掻き回され逸らした視線の先で、長谷部の腰がゆらゆらと揺れているのに気づいた大倶利伽羅は唇を震わせる。

 自分の中で何かがぐしゃりと潰れる音を聞いた。

 煤色の髪に指を沈め、快楽を追うべく腰を振る。喉を突かれ嘔吐きながらも長谷部は逃げない。大倶利伽羅を悦ばせようと、きゅう、きゅう、咽頭がいたいけに痙攣している。露をまとった長い睫毛が震え、赤く染まった目尻を甘そうな雫が伝う。

 くそっ、くそっ。

 何よりも大事にしたい存在を打ちのめしたいという、暴力的な衝動が抑えられない。

 この手で思う存分────。

 火照った肉が誘うのに頭を振って抵抗する。嘲笑うように絡みつく快楽は下腹部に熱を送り続ける。

「あ、あ、あぁ」

 あまたの悪態とともに大倶利伽羅は為す術もなく果てた。端正な顔に虚ろな子種を撒き散らしながら。

「はぁ、はぁ、ぅ」

 呆然と呼吸をするばかりの大倶利伽羅の力を失った雄から残滓を搾り取り、頰を伝う白濁を指で拭って舐り尽くした長谷部が、目の前で陶然と笑む。

「……これ、かしてもらうぞ」

 徒花のような笑みひとつで、大倶利伽羅の雄はどくりと脈打った。

 これは誰だ?

 目を見開き動けない大倶利伽羅の顔を舐めまわした長谷部は、人形のように固まった褐色の腕を引いて横たわると、大倶利伽羅の眼前で秘所を晒した。波打ちはだけた浴衣の合間から覗く折りたたまれた長い脚の奥、薄暗がりで息づく穴はとろりとした光を反射しながらはくはくと呼吸をし、充分に慣らされていることが伺えた。桜貝のような爪のついた長い指がふちをめくるように引っ張る。生々しい肉の色をした粘膜が戦慄いている。

 唾を飲み込んだ大倶利伽羅が離れようとするのを、長谷部は腕を掴んで止めた。強く引き寄せられるままに覆いかぶさる形になった木偶の坊に、いっそ無邪気に笑いかける。いきり立つ雄の先端が触れてしまい慌てて腰を引く大倶利伽羅を許さないと、龍に食い込んだ爪が確かな痛みを与えた。

 熱い。

 儚い夕暮れが大倶利伽羅を見ている。

 前にも後ろにも行けない臆病者をなだめるように硬い肉棒を艶かしい仕草で包み込んだ長谷部は、己のほとに当てると引き締まった腰をあげ押し付けていく。花弁は、くぷり、亀頭を食み血管の浮く雄を止まることなく飲み込んでいく。

「あっ、あ、ぃ」

 香気をまとった小さな喘ぎが、大倶利伽羅の顔に吹きかけられた。己の中心がうねる媚肉にぎゅうぎゅうと包み込まれていく感触は、筆舌に尽くし難い。熱に浮かされたふたつの身体、どちらから動いているのかすらわからなくなる。

 全てが収まると薄い腹をさすり、また、長谷部は嗤った。歯を食いしばる大倶利伽羅の口の端から唾液が糸をひき、長谷部の唇を濡らした。幼さを感じさせる短い舌で拭った長谷部は、容赦無く赤が滲む髪を引き、合わせた唇から舌を差し込んでくる。

 上も下も食まれ捕食されている。ぴったりと重なった部分から生まれる身体の熱に、頭がぼうっとした。媚肉は大倶利伽羅の脈打つ雄を締め上げ続ける。全て飲み込まれ溶けてしまいそうだ。開いた傘で連なる襞をなぞり上げ、ぬかるむ奥を捏ねたいという欲求を荒い呼吸で逃す。

 彼の中を蹂躙したい欲は、まるで獣に宿るもののようだ。打ち付けたくて震える腰を必死で抑える。

 好きなように大倶利伽羅の肌を撫で回していた長谷部が、不意に腰を揺らした。

「くっ」

「好きなようにすればいい……俺を、蹂躙しろ」

 反論は長谷部の口に飲み込まれた。縋るように舌が絡みつき、ぬとぬとと擦りあわされる肉の感触が細かな波紋となって広がり、得も言われぬ毒が全身にまわる。閉じることだけはできないと見開いた目に映る空には、雨が。青紫色は潤んでいた。目を瞬かせ問おうとする大倶利伽羅を許さず、濡れ切った唇が離したそばから追いかけてくる。ふたりの唾液が泡立ち混ざり合い、粘度の高いそれは甘いような気すらした。

 逃げたくともしなやかな脚が退路を塞ぐ。いや、ていのいい言い訳だ。見ないふりしていた欲望が頭を痺れさせた。

 上がり続ける熱に焼かれた獣は、ひとつ、腰を動かしてしまう。四つん這いで踏ん張る大倶利伽羅をあざ笑うように隧道は悦びを返し、濡れた甲高い声をあげる。獣の呼吸を余すことなく拾い飲み込んでいた長谷部は、大倶利伽羅の唇に、もっと、と囁いた。

 いちど動き出してしまえば、箍が外れ止まらなくなった。

 しっとりときめ細かい肌を持つ脚が腰に絡みつき、催促する。彼のうちなる肉も咀嚼することをやめない。

 ああ。

 はりのある腿を押さえつけ、再奥を目指す。散々ねぶられ痺れる唇で、花のような唇を食らい返し、肌を叩く音を密に響かせる。橙の灯りを弾く腿に指が食い込む。あけすけな水音が耳から忍び込み、頭を搔きまわす。

 大倶利伽羅の力をもってすれば逃げようと思えば逃げられる。すがりつく男を押しのけたくない、この快楽を味わいたい、というのは己の欲に他ならない。

 手に吸い付くようなこの肌に指を沈めるのは自分だけでいい。この身体を縫い止める刃は自分だけでいい。彼の鞘を満たし嬲るのは自分だけでいい。

 ひどく身勝手な欲望が身のうちでのたうって溢れかえる。

 溺れてしまう。長谷部という器に。

 己ですら気づいていなかった欺瞞が、グロテスクな姿を眼前に晒した。

「くっ、ぅ、は」

 背を指が弾く感触がした。怒りに似た炎を瞳に宿した大倶利伽羅の隆起する背を、長谷部の指がゆっくりと撫でていく。それは労わるかのような動きだった。

 器をいいように揺さぶられている長谷部の溶けた肉は、さっきからずっと戦慄いていて、もしかしたら声もなく彼は極めてしまったのかもしれない。震えがどんどんと激しくなり、もみくちゃにされた大倶利伽羅の雄も、今まさに果てんと陰嚢が上がる。

「くぅっ」

 せめて外に、と腰を引くのを許さず脚で褐色の腰を囲い、汗でびしょ濡れになった大倶利伽羅の白いシャツを掴んだ長谷部は、幼い仕草で唇に縋り付き懇願した。

「だして」

 この瞳に見つめられると、だめだ。

「あっ、あっ、くりから、んん、んぅっ」

「ぅ、あ、あっ」

 簡単になけなしの理性を破壊された大倶利伽羅は再奥に亀頭をめり込ませ、白濁を撒き散らした。忘我の境に分け入った獣に訪れた解放は恐ろしいぐらいの悦楽をもたらす。長谷部の腹で長い射精をした大倶利伽羅は、震え縮こまる襞に甘えるように種を擦り付けて出し切ると、弛緩した長谷部の身体からやっと離れた。

 ひどい罪だ。

 頭を抱える大倶利伽羅の視界に、穴からこぽりと溢れだす白濁が映り、唾を飲み込む。うなだれる大倶利伽羅の髪で長谷部の白い指が遊んでいる。

 長谷部がねだっていたのか、大倶利伽羅がねだるのを長谷部が許していたのか。

 鼻の奥がつんとし、わけもなく涙が溢れた。

「よくなかったか?」

 大倶利伽羅の頭を大きな手で包み込み、鼻を舐めた長谷部が眉尻を下げて笑う。

 歯を食いしばれば口の中に血の味が広がった。途方にくれたわらべのように涙を止めることができない。

 なんて、愚かだったのであろう。

 ずっと思い出すことすら封じていた長谷部の告白。大倶利伽羅の存在が刷り込まれてしまった長谷部に、自由を奪ってしまったと後悔していた。

 そう、思い込んでいた。でも、違った。見ないふりをしていた自分の欲望と向き合うのがこわかったのだ。少しずつ少しずつ積み重なって、ひとりに傾き、弱みができるこころにも。

 ────箱は、もう壊れてしまった。

 刀を握る無骨な指が大倶利伽羅の涙を拭っている。

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