ありふれた言葉すら
その形は何なのだろうとは思っていた。
乱からの報告書の語尾に度々表れる、くねりと尾を引く丸が上からつつかれたような形。
最初は符丁のようなものだろうかと思ったが、報告を受ける側の長谷部が分からなければ意味が無い。報告書を読む長谷部の集中を切らすどこか気の抜ける形。
長谷部は口が上手くない。そして、意外と仕事に関わらなければ瑣末なところは気にしない。
乱の報告書は幾分気安過ぎる文章ではあるが、内容はしっかりと押さえている。故に、主に乱、偶に加州、そして、ごく稀に燭台切からの書類にそれが表れようと、相手にあえて問うこともなく流していたのであった。
まだ寒さも厳しい二月のある日に黒いエプロンをした長谷部は、割烹着を着た短刀たちに囲まれていた。
その長谷部の目の前には件の形の型抜きがコロンと転がっている。
何故こんな事に、遠くなる意識を留めるように眉間の皺を伸ばす。
「長谷部さん、さあチョコレートクッキーを作るよ~」
後ろ手に結ぶなどなど出来ない不器用な長谷部の替わりにエプロンの紐を器用に結びながら、乱が歌うように言う。
「ああ、聞いている」
ことの始まりは主が持ち込んだ現世の雑誌だ。斜め読みした加州からもたらされた、二月十四日はチョコレートを大切な人にあげる、というぼんやりした情報が短刀たちの間で主に食い意地が理由で話題になり、この本丸で大切な人って言ったらみんなじゃね? と厚が言い、じゃあみんなでお菓子作って食べようよ! と乗り気になったのが乱だ。確か、本来なら恋人にあげるのではなかったかと思うが、ただのお菓子パーティーになっていて、もうよくわからん。
本来ならあの眼帯を付けたカッコつけの男が西洋菓子を作るには適任であり、実際に作る予定だったのだが、急遽主の現世での仕事に付いていってしまった。現世行きには武装を解いた燭台切の服装と愛想の良さが適しているらしい。少し悔しい。
申し訳なさそうな顔をして、「レシピと材料は置いてあるし、作り方は簡単なお菓子で乱くんには一通り説明してあるから監督お願いできるかな」と言われれば、非番の長谷部は受けるしかなかった。短刀たちが怪我でもしたら大変である。
「常々疑問に思っていたのだが」
「なあに?」
大きな瞳がなんでも聞いてとばかりに瞬く。
「これは何の形なんだ? 」
鈍く光るクッキーの抜き型を掲げた。
「ハートだよ! 知らなかった?」
「はーと? 」
「んー、確か言葉の意味は心臓だったかな。人の心を表してて、ハートだけで好きって気持ちを表せるんだよ!」
「そうなのか? それはすごい事だな。この形ひとつで……」
心の臓……それを破壊されると人は死に至る。それがひいては好きにつながるのか。
「そっ、だから、好きですって伝えたい時はハートを渡せばいいんだよ! 」
この簡素な曲線は思っていたよりも凄い形だった。好意を伝えるというのは確かに難しいといつも痛感する。相手を前にすると何故か途端に口の中がからからになり、言葉が出てこなくなるのだ。それがこれを示すだけで……え? 本当にこの形、凄くないか? じわじわと実感して俺の目が輝くのが解ったのか、乱がからりと笑う。
「ねっ、すごいでしょ」
「ああ、すごいな」
監督役としては、さほど苦労する事もなく短刀たちがやいのやいのと試行錯誤しながら頑張っているひどく平和な光景を眺める。
「はい、このボール抑えといて」
「ああ」
長谷部とて料理は不得手な方ではないが、お菓子となると全く勝手が分からない。粉を振るうと何だ、生地を寝かせるとは何だ、と戸惑う俺や短刀にテキパキと指示をする乱は大したものだ。もともと、その見目や言動とは反対に芯のところは強く周りをよく見ているので、隊長を任せるのに向いていると思っていた。今も粉をこぼして慌てている五虎退に追加の小麦粉を渡しながら、材料はいっぱいあるから失敗しても大丈夫だと慰めている。
今日は後ろでひとつに結んでいる乱の桜色に付いた粉を払ってやりながら、思わずしみじみとした声が出た。
「乱はかっこいいな」
その言葉や行動に素直に表せるところが、周りを気遣えるところが、俺にはない強さが。
「えっ……、やだなぁもう、長谷部さんにそう言われるとすっごく嬉しい!」
しばし止まった後に顔を赤くして、バシバシと背中を叩いてくる。
「ボクさ、このハートとかかわいいものが好きだから、かわいいって言われるのも嬉しいんだけど、やっぱり刀だから、かっこいいって言われるとやったって気持ちになる」
「そうか……そんなに喜んで貰えると言って良かったと思えるな」
素直な乱に手を引かれるように、言葉が素直に口から滑り出す。いつもの厳しい態度が保てない。
「えへへ、さっ、生地を速く作っちゃお」
弾ける笑顔に、ひとつ不器用な笑みを返した。
黒い生地を作り上げて型抜きの段になれば、好きな形を作るという単純な作業が楽しいのだろう、みな笑顔がこぼれている。
ハート以外にも星やら花やら色んな型があるものだ。五虎退などは型を組み合わせてとても綺麗で複雑な形を作っていて、手先の器用さに感心する。
俺も慎重にハートを生地に押し付けていく。刀を握るための無骨な手がこんなことに震えるなんて滑稽だけれど、跳ねる鼓動は楽しいと自分に教えてくれる。ふとよぎるのは渡す相手の仏頂面。早くなる拍動。好きなものを前にしても心臓は跳ねる。ハートの形が持つ意味がわかった気がした。
みなが自由に作り上げた形を余熱したオーブンに入れて、後は焼きあがるのを待つばかりになった。
「長谷部さんは、倶利伽羅さんにあげるの?」
今の内にと大きな調理器具から洗い物をしている最中、洗ったものを隣で拭いている乱に問われた。気恥しいが隠していることでもないので、真剣な眼差しに応えるように肯定する。
「そうだな」
「そうかぁ、渡せる相手がいるっていいなぁ」
「乱も沢山渡す相手がいるだろう?」
「家族とは違って特別! って相手だよ。友チョコも楽しいけど、やっぱり本命チョコだよね!」
新たな単語に首を傾げれば、得意気に教えてくれる。
「仲の良い友達にあげるのが友チョコで、特別な一番好きな人にあげるのが本命チョコ。現世では、本命チョコにはすっごくたかーいチョコとか気合いの入った手作りチョコとかあげるみたいだよ」
引っかかるものを感じてボウルを洗う手が止まってしまう。
「本命チョコとやらは、簡単なクッキーではダメだろうか‥‥」
なんだかとても情けない声が出てしまった。俺の気持ちが、こんなものか、と軽く見られたら……?
「あははは、大丈夫! ようは気持ちがこもってるかどうかだから。長谷部さんって、とってもかわいいね」
「なっ」
「馬鹿にしてる訳じゃないよ」
踏み台に乗っているため俺と顔が近くなっている乱の目は透明感があって真摯な光を帯びている。恥ずかしさよりも何よりも心からの気持ちが伝わって、わかったと素直に頷いていた。
洗い物を終えて香ばしいいい匂いを嗅ぎながらラッピングの準備をしていると、ピーピーと焼き上がりをオーブンが知らせる。火傷をするといけないので天板を出すのは俺が担当し、作業台に並べていく。
見た目はとても美味しそうだ。
冷めるのを待つ間に、一緒に焼いた型を抜いた後の切れ端の部分を試食する。熱くてふぅふぅと息を吹きかけながら冷ましている間、秋田が「熱い!でも美味しい! 」と言う声が聞こえた。おそるおそる口に含めば、さくり、音を立てて口の中でほろりと崩れる。まだ少し温かい焼きたての風味の良い美味しさに夢中でぱくぱくと食べてしまった。
どうせ直ぐに食べてしまうのだが、それぞれが誰かに渡すため小さな袋で包んで様々な形のシールで封をする。黒いハートが包まれ色とりどりに飾られていくのに目を細め、俺もそれなりに上手く出来たクッキーを選別していると、
「はい」
乱がハートがあふれるシールを当たり前のように渡してくる。
「……ああ、……ありがとう」
「それ全部あげるよ!」
何が楽しいのか、嬉々とした勢いに少し気圧されてしまったが、何だかハートの数だけ勇気をもらったようで眉が下がるのを感じた。
ぱちりと目が覚めて、腕を伸ばし掴んだ枕元の時計を確認すれば、いつもの起床時間だ。
寝起きの良い長谷部はすぐにすっきりと頭を覚醒させたが、身体の方はだるさを訴えていて、まだ起き上がれそうにない。ごろりと転がった先にはすぅすぅ眠る俺の想い人の精悍な顔。
昨夜、散々こいつに乱され翻弄された記憶がよみがえる。
ハートという新たな手段を得た俺は、そわそわと落ち着かない心地で完成したハート型のチョコレートクッキーにひときわ大きな赤いハートのシールを付けて何も言わずに渡した。大倶利伽羅がクッキーをそっと傍に置いたので、すぐには食べてもらえないのかなと思った次の瞬間には唇に噛み付かれて押し倒されていた。
俺が普段、言葉に出来ないからだろうな。
穏やかな顔で寝入る大倶利伽羅を眺める。見れば見るほど好きなところがいっぱいあるのに、それを伝えるのはなんと難しいことか。思わず溢れてしまいそうなため息をこらえたところでふと思いつき、大きな一枚を使った以外はそのままの小さなハートが幾つも残っている台紙を手に取った。素直に好きと伝えられる高揚を感じながら、ちょっとした悪戯ごころでぺりりと一枚剥がして細く息が漏れる唇の端に貼る。
形の良い唇が好き。その口に覆われる口付けも好き。喉仏にも一枚。ぼこりと出た形と優しい声が好き。布団をそろりと剥いで倶利伽羅龍にも一枚。見ていて飽きない美しい肌と官能的な龍。手にも一枚。節くれだった長い指と皮膚が固くなった手のひらが好き。最初はおそるおそるだったのが段々楽しくなってきた。
次々とたわいない理由を上げながら貼り続けて、最後の一枚はどこにしようか?
ああ、大事な所を忘れていた。
そろそろと顔に近付き、まじまじと見てから一等大好きな今は閉じられている目の近く、目尻にちょんと貼る。心の内を雄弁に伝えてくれる瞳の輝き、そして、何より大倶利伽羅の心のありようが好きなんだ。
何だか可愛くなったな。
身体中に赤いハートを咲かせた大倶利伽羅を眺め、にまにまと締りのない顔になってしまう。
俺の想い人には好きな所がいっぱいあって、可愛くてかっこいいんだ。
満足感を覚えて緩んだ口から、ふふ、と空気を漏らすと、ふいにパチリ目が開いた。よく眠る大倶利伽羅はいつもならこんな早い時間に目覚めることはなく、予想外のことに油断しきっていた俺の肩が揺れる。
大倶利伽羅は自分の肌に感じる違和感に緩慢な動きで全身を確認すると、龍の目をして内心大慌ての長谷部を見つめ返してきた。寝起きの状態の彼はいつも以上に無口で、らしくもなく力任せな行動をとることが思い出され、恥ずかしさといたたまれなさも相まって焦りで冷や汗が流れる。
「あ、これは、その、ちょっとしたいたずら心で、好きな、あっ」
「好きな?」
起き抜けの低く掠れた重たい声を有無を言わせず被せてくる。
「……これは好意の証か」
「う」
長谷部の手を押さえつけ、のそりと覆い被さり、耳に獰猛な気配を孕んだ声を吹きかけてくる。
「随分とかわいいなぁ? 」
耳朶に歯を立ててからくちゅりと舌を差し入れられ、耳の中で反響する水音と熱い舌の濡れた感触に昨夜の熱が一気にぶり返す。
「ひっ、すまな、んん」
情けなくとも謝るが勝ちとばかりに謝罪を口にしようとするが、今度は唇をやわやわと食んで、綻びた口の中に侵入して絡んでくる器用な舌。
顎を掴まれ、しつこいぐらいに舌を吸われると、留めることの出来ない唾液がとろとろと口の端から零れた。
シーツを握り逃げるように顔を背けても、反対側の耳にこりこりと歯を立てられる。たくましい腕に閉じ込められ逃げられない。
丸ごと食べられてしまう。
「……俺も証をつけようか」
囁いた大倶利伽羅は身体を起こし長谷部の脚を掴むと、爪先に口付けてからその指を口内に迎え入れた。飴玉を味わうかのように舐めしゃぶられ、くすぐったさすれすれの快感でびくびくと背が跳ねる。止めさせたくとも力が入らない身体では大した抵抗もできず、燻る腹の奥の熱を持て余して後孔を埋められたがってはしたなく揺れる腰。行き場のない衝動をちゅうちゅうと自分の指を吸って抑えた。
長谷部の脚を味わいながらずっと視線を絡ませていた大倶利伽羅は、舌打ちをして昨日も散々したはずなのに若く猛る性器を性急に後孔に押し当てる。ゆっくりとしずめられていく硬い肉。とろけた入口を一番太い部分が通ってしまえば、難なく空いた空間を埋められていく。
「んっんっ」
満たされる気持ち良さに、自ずと中にある熱い性器を締め付け、返される生きた感触を噛みしめる。指を吸い続けて口の周りがべとべとするの、もぐちゃぐちゃになった顔も、もう気にならない。
昨夜の名残りを残す隧道は入れられただけでじんと痺れるような快感が持続して、ぐずぐずに潤んだ目で大倶利伽羅に助けを求める。大倶利伽羅はぺろぺろと長谷部の涙を舐めて、ずるり抜けそうなくらい腰を引いてから、突き落とすようにばちゅんと強く穿った。
「まて!」
追い込むような速く力強い抽送に伴って大倶利伽羅との間に挟まれた性器にぴりりとした快感が走る。大倶利伽羅の締まった腹筋に貼ったハートが性器の括れに引っかかり、今まで感じたことのない痛痒い刺激が長谷部を襲い、箍が外れた。
「ぃあっんんっあっアッ、にゃっ」
真顔で目だけを燃え上がらせた大倶利伽羅に穿たれながら、いつに無く乱暴にぐにぐにと尻を揉まれれば長谷部のきゅうきゅうと締めあげる腸壁まで響いて、感じ過ぎて頭がおかしくなる。
「やっやっ、もぅ、やっ、んっ」
頭を振っても、指を噛んでも、逃しようのない悦びをどうにかしたくて、大倶利伽羅の髪に両手を差し入れ、強く引き寄せて唇に噛み付いた。頰に当たる柔らかな髪すら愛しいなんて。
瞠目した大倶利伽羅は、直ぐに舌をざらざらと絡ませて唾液を流し込んでくる。
溺れてしまう。
上も下もびちゃびちゃにしながら、ひときわ奥まで入りこまれた刹那、悲鳴を吸い取られながら絶頂に登りつめる。少し遅れて奥に吐き出される熱いものの感触に、ぴくぴくと痙攣する身体を強く抱きしめられると、ひどく安心感を覚えてとろりと蕩ける意識。
長谷部は荒い呼吸で喋れない代わりに、いまだ貼られたままの目尻のハートにこころを込めてひとつ口付けを落とした。
廊下を歩く大倶利伽羅の脚に人懐っこい白い毛玉がまとわりついてくる。
しゃがみこんで虎の喉をくすぐり、その柔らかい毛を堪能していると、追いついた五虎退に上から声をかけられた。
「す、すみません」
「構わない」
我も我もと頭を差し出す虎たちを順番に撫でてやる。五虎退の虎は人懐っこくて出会う度に絡まれるが、よく手入れされた毛並みの手触りの良さは嫌いではない。日向ぼっこでもしてきたのか、じんわり温かく頰が緩む。
「あっ、大倶利伽羅さん……ここ何か付いてますよ」
五虎退に首筋を指さされ、襟の中の服に隠れる際を手探りでたどり剥がせば、取り忘れた小さな赤いハートがひとつ。
一気にむず痒さが身体を満たし頭が真っ白になる。
「か、かわいいですね」
「……ああ」
単純にかわいいと言っていいものか、たちの悪い無邪気な煽りを思い出し同時にそれに過剰に返してしまった若い己も思い出す。踊らされるばかりで、光忠ではないが全くもって格好が付かない。
おどおどとこちらを見る五虎退に虎を返し、頭を撫でてから自室にいるであろう男の元に足を向けた。
まだ身体が疲れているだろうから共に昼寝をするのも悪くないなどと頭で算段を付けながら下ろした視線の先、指先にくっついたままの赤が目に入る。
俺ならどこにつけるだろうか────。
風に揺れる花のような清廉な色をした瞳。緩やかに甘いカーブを描く目尻。薄く淡い桃色の唇。しっとりと優しい響きの声。誰よりも疾く駆けるのびやかな脚。不器用でまっすぐなこころとかわいく跳ねる心臓。
思わず綻んでしまった口元を隠して、はやる気持ちを抑えゆっくりと歩を進めた。
バレンタインデーに寄せて
13/02/2016