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限りの椿

 

 

 

 

 

 うだるような暑さに覆われた何も無い田舎で胸に刻み込まれたものがある。つまらない夏休みに鮮やかな切り傷をつけた、ひとつの淫靡な光景。

 

 毎年恒例になっている祖父の家への帰省で、暇を持て余した俺が暑さと退屈さにうんざりするのは慣れたくもないのに慣れてしまった流れだ。ここには友人もいないし、誰かと知り合おうにもそもそも若いやつがいない。見越して持ってきた本も予測がはずれ早々に読み切ってしまった。自然だけは腐るほどあるから虫取りぐらいならできるかも知れないが、俺は一度間違えてカナブンを踏みつけてしまってからというもの虫が好きじゃない。いまだ鮮明によみがえるぐちゃりとした感触。脳裏で音が再現される度、ちいさな身体につまったものを想像してしまって鳥肌が立つ。ましてや、虫取りなんかで喜ぶ歳でもない。

じっとしているのにも飽きた俺は昔は豪商だったとかで無駄に広い敷地を散歩することにした。あまりうろうろしていると昔ながらの厳格な家長然とした祖父に怒られるので、見つからないようにこそこそと見て回る。かんかん照りの中セミがはしゃぎまわるさまに、これだけ木と土があればセミには天国だろうと思う。目新しいものを求めて、自然、普段は行かない裏手の方に向かった。

 

 その蔵は、昼間なのに裏山の木でさえぎられ薄暗い場所にぽつんと建っていた。とても古いけれど立派な建物だ。ここまで来た事は無かったなと、影に入りほっとする涼しさを感じながら近づく。大分ぼろが来ているさびれ具合に興味を惹かれ、宝探しのような少しわくわくした気持ちで錆の浮いたザラザラする閂を外し取っ手を引く。とても重たいが鍵がかかっているわけではないようで、体重をかけて後ろに力一杯引っ張れば、ぎっと軋む音を立ててわずかに開いた。

 

 冷りと湿った空気が隙間から漏れでてくるのを感じた瞬間、全身の毛がぶわりと逆立つ。

 涼しいからだけではない身体の過剰な反応に混乱した頭でおそるおそる隙間から中を覗けば、澱んだ埃の匂いが鼻をつき、それと同時にくちゃりくちゃりとした水音が聞こえた。天窓からの光しかない薄暗い蔵の中で、輝くような白い肌がぼんやりと浮かんでいるのが見える。

 まだ若い男だ。

 よくよく目を凝らすと、その肢体には蛇よりも太く大きいものが巻き付いている。ふっふっと息を漏らす男の紅い唇は濡れててらりと光り、きゅっと蛇に似たものが肌に食い込むと端からとろり銀糸が伝った。こすりあげるように、それはずりずりと動き、その度に熱病を患っているかのように震える身体。

 つめていた息をはっと吐き出し静謐な空気を震わせた刹那、俯いていた不思議な髪色をした男がこちらに目を向けた。そして紫色の瞳を細めると、血の色が透ける唇をつりあげ陶然と笑う。気をそらした男を咎めるように下肢にまとわりつく湿った鱗を持つ胴体がぐにゅりと動き、アッ、男はどろりと耳にまとわりつくような声を吐き出し背をしならせた。

 あれは誰だ。あれは何だ。

 頭の中でガンガンと警鐘が鳴る中、ごくりと唾を飲み込む。これは見てはいけないものだ。触れてはいけないものだ。本能がつげる警告に、俺はいまだ続けられている痴態から無理やり目を引き剥がす。耳に絡みつく吐息を振り払うように急いで扉を閉め、震える手で閂をかけて部屋に全速力で逃げこんだ俺は、パシンと扉というには心許ない障子を閉めきりへたり込んだ。

「はっはっ」

 どくどくという心音と切れる呼吸がうるさい。くすぶる違和感を感じて下を見れば、性器がズボンを押し上げている。

 ああ。

 不可思議なものを見た恐怖で涙を流しながらも、あの淫らな光景が頭を離れず急いで下着を降ろして、めちゃくちゃに扱く。手は震え冷えたままなのに性器はどんどん熱く昂ぶっていく。ぐちゅぐちゅと単純に手を動かしているだけでも繰り返しよぎる痴態に快楽は止め処なく、あの男の真珠のような肌に白濁をかけるさまを想像した瞬間、突然の開放が訪れていた。ひっきりなしに酸素を取り入れながら急速に冷める頭で思い出す。

 逃げ出す直前、目を掠めた金色に灯る瞳。

 ――――あれは蛇なんかじゃない。龍の目だ

 

 大倶利伽羅が想いの結晶の輪郭を浮かび上がらせた時、そいつは隣に座っていた。きょろり動かした目に映る静かな佇まい。薄い布のようなものを被っていて顔が良く見えない。

「ああ、龍の加護があると目覚めるのも早いのか。ふふ、まだ眠そうだ。もう少し眠れ」

 そっと瞼にかざされる白い手に操られるように、また目を閉じた。

 遠くから聞こえる小さな水音と不思議と耳になじむ声が空気を振るわせるのを聞きながら。

 

 次に目を覚ました時には大倶利伽羅の意識も大分しっかりとしていて、己を取り巻く世界のありようがおのずと知れた。それなりの歳を重ねた男の形をなぞったモノは変わらず隣に座っていた。

 

「もう、起きられるか?」

「ああ」

「お前は自分が誰だかわかるか?」

 おれ、俺の名は――鍛えられ、折り曲げ、焼かれ、渦巻く怒号の果てに澄んだ音を響かせ彫ら有れた祈りの形――そう、

「……おおくりからひろみつ、刀だ」

「そうだ。お前は刀に宿った付喪神だ。まだ、生まれたばかりのな」

 そっと大倶利伽羅の左腕で生きる龍をなで、おおくりから、いい名だ、と笑う。

「あんたは?」

「へし切長谷部という。同じく刀だ」

 へし切長谷部、舌の上でその名を転がし頷く。薄布を取り払った素顔は整って冷たい輝きを放っていて、きっとたいそうよく切れる刀なのだろう。

「俺はどうやら珍しい刀らしくてな、その分形をとるのも早くて最近はこの蔵でぼんやり過ごしていたのだが、そこにお前が運ばれてきた。」

 お前を見ているとなんだか懐かしくて、と長谷部が頭を揺らす度に上等な絹糸のような髪がしゃらりと揺れる。

「何しろ暇なものだから、たくさん話しかけたんだ。そうしたら、お前は普通より早く形作られたようだ」

 この身体の中で織り編まれた呼び声、それは長谷部によるものだったのか。

「お前はまだ幼い。戯れに話しかけてしまった俺のせいでもあろうから、俺がお前を守ろう。これからよろしく頼む」

 差し出された白い手を両手で握って、真っ直ぐな光を放つ藤色の瞳を見詰める。腹がぽかぽかする暖かい色だ。その甘そうな目を見ていたら口の中に涎が溢れ、思わず握った手の中の指に吸い付いた。

「ふふっ、まるで人のややこだ。くすぐったいぞ」

 ああ、この肉に思い切り歯を立てたい、と甘噛みすれば、柔らかく抵抗する肉の弾力がこのちいさな器を震えさせる。

「腹が空いているのか? まだ力の供給が追いついていないのか……口を開けろ」

 長谷部は、言われるがままにぽかりと開けた大倶利伽羅の口を薄い唇で覆い、舌を入れ唾液を流し込んできた。

 ごくり。

 ――甘い。

 とろりとろりと流し込まれる甘露を欲っして、こそげるように小さい舌を懸命に動かす。

「こらこら、がっつくな。あまりとりすぎるのもよくない」

 唇を離され伝った涎を親指で拭われる。慈しむような目がこそばゆく、熱くなる顔を見られないように背けた。

「うん? 生まれてすぐ反抗期か? 人の子の営みも幾つか見てきたが、人の念から生まれる付喪神もまた変わらぬものなんだなぁ」

 大倶利伽羅の頭を撫でながら言う、その目は遠いところを見ていた。滲む色が何か胸に黒い穴をあけるようで、おもむろに白い顔に手を伸ばし頰を撫でる。

「お前は優しい子だ」

 ひとつ目を瞬かせると、長谷部は大倶利伽羅の小さいばかりで頼りない手に頰を寄せた。冷たい頬の感触が大倶利伽羅のこころをどこまでも遠くに連れて行ってしまう。

 

 

 

 二振りの時間はゆっくりと流れていく。

 大体は蔵にしまい込まれているが、偶に手入れやお披露目のために連れ出されることを繰り返し少しずつ力を得て、大倶利伽羅は大きくなっていった。感嘆の息を吐きうやうやしく触れる人の手から鋼に伝わる熱が折り重なる。

 眠っていることも多かったが、お互いが起きている時、長谷部は昔見た人の子の話をよくしてくれた。曰く、人は歩けない状態で産まれ歩けるようになり、また衰え歩けなくなること。母が子を抱く様の美しさ。欲に飲まれた人の醜さ。人に振るわれ肉を切る心地よさ。人の怖さも語れど、優しい声色をして語る長谷部は人が好きなように見えた。大倶利伽羅には長谷部が語る人というものは、好奇心をそそられる柔らかい存在ではあっても、好ましいとは感じない。むしろ、そんなものに好意を抱く長谷部に腹の中で何かがうごめくような言いようのない苛立ちを覚えた。

 

「ひどい扱いをするやつもいただろうし刀は人を切るものだ。それでも、あんたは人が好きなのか?」

「……悲しいとは思っても憎いとは思えない。人の手によって作られた物の定めかもしれないな」

「……わからない。あんたから聞いたりここで見たりするやつらは、自分勝手にこちらを意のままにしようとする。俺たちが物だと言っても我慢がならない」

「……そうだな。人とはそういうものだ」

 そういうものだと言いながら、こころを添わせることをやめない長谷部。

 何故なのだろうか。そんなものに、こころをくだくことなど必要ないのに――――。

 

 

 けれど、大倶利伽羅は少しずつ学んでいく。

 ある時、母屋から出火した火が蔵の方まで迫ってきたことがあった。乾いた空気を伝わってくる逃げまどう人間や火消しの怒号を遠くに聞きながら、震える大倶利伽羅を包む力。神の末端にいるものであろうとも消えてしまうことがあることを初めて意識し、心がぎゅっと縮む。形は取らないまでも確かにいる蔵の物たちの聞こえない悲鳴が空気を震わす中、長谷部はちいさな大倶利伽羅を抱きしめ、大丈夫、大丈夫だ、とずっと背を撫でていた。

 すんでのところで火は消し止められたようで、蔵を確かめにきた男が煤けた顔にほっとした表情を浮かべたのに、ほんの、ほんの少しだけ思った、確かに人は憎めないものかもしれない。

 

 別々に離れて研ぎに出される時には初めて喧嘩をした。大倶利伽羅は付いていくと言って譲らないし、長谷部はあまり本体を離れるのは良くない、大人しく待っていてくれ、と言う。長谷部から離れる気のない大倶利伽羅が話を聞かないものだから、お互いの主張は平行線を辿り、口の上手くない二振りは揃って黙り込む事になる。沈黙は苦にならないけれど、こんな石を飲み込んだように重たい静寂はひどく気分を沈ませる。譲れない大倶利伽羅は絶対に自分からは喋らないと半ば意地になって、ちらちらとこちらを伺う視線を無視し続けた。

 何も言葉を交わせないまま長谷部が研ぎに出された後、膝を抱えて座り込んで身じろぎもせずに固まって考える。

 何でわかってくれないんだ。いや、わかっていて、拒否したのか。俺に力が無いのがいけないのか。

 ぐるぐると思考が巡り渦巻き不安感がつのって、ますます縮こまった。離れる時に約束が出来なかったのが今更悔やまれて、唇を噛み締める。 

 まんじりともせず夜を明かし、じりじりと日が昇りまた暮れようとしても帰ってこない。ひとり、ただ待つとはこんなに苦しいのか。焦り、不安、期待、落胆、色んな感情がぐねぐねとのたうち回る。眠ることも動くことも何も出来ないまま時が流れた。

 

 そろそろ全てが闇に落ちてしまうという頃に長谷部は帰ってきた。隅で小さくなっている大倶利伽羅が見つけられないのか、焦った様子で落ち着きなくあたりを見回して目が合った瞬間、駆け寄ってくる。その必死な様子で、もう喧嘩をしていたことなどどうでも良くなった。

 

「すまない。遅くなった」

 ひしと長谷部は大倶利伽羅の肩を包み、強張ってしまっている身体をさする。

「長谷部」

「うん」

「ただ待つのは苦しい」

「うん」

 甘やかな声が耳朶をなで脳に染み込むと、喉が詰まり目が熱を持つ。

「……わがままを、すまなかった」

「……俺もすまなかった。今度からはちゃんと約束をしよう」

「ああ」

 離したくない、離れたくない、こころからの願いをこめて長谷部の衣を握りしめた。


 

 粛々と時は過ぎていき、段々としまい込まれることが長くなっていった。それとともに二振りが共に眠る時間も長くなっていく。手を繋ぎ寄り添って微睡み、そして目覚めればぽつりぽつりと話をする日々。人の世はもう、刀への興味など失っているようだ。

 

「俺たちは物に宿る神故に人の流れや営みに左右されやすい。昔は刀とはこんな風にしまい込まれる物ではなく使われる物だった。永久に何も変われずにはいられない」

 

 寂しそうに笑う長谷部に大倶利伽羅は確信する。長谷部は永遠というものを諦めている。幾多の別れを繰り返し、大倶利伽羅ともずっと一緒にはいられないことを覚悟して、いつか来る痛みを知っていても、それでも、慈しんでくれているのだと。

 母の様な長谷部といつか離れるかもしれないというちいさい、けれど確実な予感が棘のように胸に刺さり、大倶利伽羅は情けないことにぼろぼろと泣いた。

「ああ、そんなに泣くな。お前が泣くと他のものがびっくりする」

 おろおろとする長谷部に呼応するように、ガタガタと動く蔵の物たちの咎めるような笑い叱咤するような声がうるさい。

「いとしい子」

 俺の瞼と腕に絡みつく龍に口付けを落とすと何よりも綺麗に儚く笑む、その瞳。

 ああ、泣いているのはあんたの方じゃないか。

 あやすように揺らされ薄い肩をきつく掴みながら、何よりも強くなりたいと思った。長谷部を守れる力が欲しいと。

 それからというもの、大倶利伽羅は長谷部に折を見て尋ねる、

「俺は大きくなったか」

 長谷部はその度、微笑んで答える。

「少しな」

 もどかしい、もどかしい日々。

 

 

 ゆらりゆらりとしながらも確かに時は流れ、ある日、蔵の中に一匹の鼠が迷い込んだ。足元を鼠が走り去って行ったのを感じた長谷部は文字通り飛び上がり、咄嗟に大倶利伽羅はその身体を抱きとめた。こんなに軽かったのか、と不快ではない痺れで腕が強張る。

 

「あんた鼠苦手だったんだな」

「鼠はあっという間に増えるんだ。たくさんに囲まれたら……」

「可愛いな」

「鼠が? なりは小さいがあいつらは何でも齧るこわいやつなんだぞ。前も美しい雛人形が」

 じぶんのことをなにひとつわかっていない長谷部の目を見つめて告げる。

「あんたがだ」

「ん?」

「可愛いのはあんただ」

 虚をつかれた顔をした後、じわり頬を赤らめた長谷部は、いまだ俺に抱きしめられたままなのに気付くと急いで離れた。

「年長者をからかうな」

 焦りの透ける声に笑う。

「そう思いたいなら、今はまだそれでいいさ」

 まだ時間はたっぷりとある、この時はそう思っていた。

 いつだって別れは突然訪れるものらしい。

 その日、騒がしい気配が近づいてくると目を覚ましたら、久しぶりにたくさんの人間が入ってきた。埃臭い空気に顔をしかめ口々に何かをぼやくと手持ちの灯りをつけた。眩しさに面食らって何事かと長谷部の方を見れば、顔を青ざめ固まっている。好き勝手に喋る人間の会話からうかがえることは持ち主である人間が急死したことで、これを機に蔵の中にある物を確認しているようだった。箱を開け品定めをしていくその目はとても濁った色で、平穏な日常に別れという爪が立てられようとしているのを本能的に感じとる。視線を向けられる度に長谷部の手をぎゅっと握り、息をつめ願う。

 どうか、俺と長谷部に目を止めないでくれ。

 握り返してくれる長谷部の手も小さく震えていた。

 若い男が箱を開け大倶利伽羅に彫られた龍に目をとめて笑った時、ぶつりと張り詰めた糸を切られた気がした。

 ああ、見つかってしまった。

 この彫り物が綺麗で珍しいから値が付きそうだ、男は欲にかられた目でわめいている。

 繋いだ手を引き剥がされる音の消えた一瞬、大倶利伽羅は長谷部に何も言うことが出来なかった。声も無くぽろりと一粒こぼされた長谷部の涙を拭うことすら。自由に動けぬこの身では残酷な約束など出来ない。視線だけを絡ませ、二振りの切れてしまった縁を、別たれた道を、無力な己を想い涙だけが流れた。

 別々の道に、そう、長谷部は暗闇ばかりの蔵に残され、大倶利伽羅は彫られた倶利伽羅龍に価値を見出した男にもらわれていった。人は勝手だ。

 龍を持つ刀は幾許の金のために直ぐに売り払われ、幾つか持ち主が変わった後に湖近くの神社に奉納された。そこは龍にまつわる伝承が残る神社で、ここでも倶利伽羅龍が理由で引き寄せられたようだった。大倶利伽羅とこの地は何の所縁もないが、人とは勝手で勝手に意味を見出し押し付ける。そして、安堵する。

 空虚なひとりぼっちの刀は、この意識が消えることを覚悟して眠りについた。いつだってそばにいた藤色がなければ、存在を保てなくなるだろうと。


 

 夢か現か、たゆたう鉄の塊。さわりさわり頭を撫でる長谷部の手と小さく喋り掛ける声。優しく真摯な響きの声が音なき雨のように俺の中に降り注ぎ、溜まっていく。うつらうつら揺らぐ意識の合間にふうわり膨らみ形作る。

 

 ぐうと引っ張り上げる手を感じて、がくんと身体を揺らし目が覚めた。

 大倶利伽羅が視界に映るいまだある己の手に驚き確認すれば、形は大きく力も強くなっている。纏う霊力の感触で長い年月神社で飾られ信仰されることにより神格が上がっていることを知る。意識を集中すると遂には龍の形までとれるようになっていて、驚き、次いで、形容しがたい感情が溢れてなすすべなくうなだれ笑った。

 嘘から出た実。真っ直ぐで澄んだ色を持つ祈りは付喪神の形まで変えてしまうのか。眠っている間感じたものは人の様々な祈りの声。人は勝手だ、けれど、憎めない。本当だな、長谷部。

 

 溢れるほどにある力を持ってすれば幾ら遠くても迎えに行ける。そう確信した大倶利伽羅は龍の形をとり空の上から長谷部の神気を探し、何日も何日も五感を研ぎ澄ませていた。それは付喪神にとっては一瞬のようでいて、恋しいもの探す男としては永遠のようだった。

 ある風の強い日、ふっと懐かしい香りと共にとても細い絹糸のようなよすがが風に吹かれ漂ってきたのを感じた時、大倶利伽羅は歓喜した。小さな手がかりだろうと見逃してなるものかと香りと神気を辿り、途切れては探し途切れては探しを何回も繰り返した果てに目に入る見慣れた蔵の陰影。

 やっと、やっと辿り着けた。

 

 蔵を前にして、もしかしたら長谷部の意識が消えてしまっている可能性もあることに気づいた大倶利伽羅は、途端に怖くなった。物にとっても長い時が過ぎている。人の形をとりおそるおそる入り込んだ先、かろうじて細く差し込む光を反射しおぼろげに浮かび上がる形。そこには昔見た姿そのままに薄布をかぶり俯き目を閉じる長谷部がいた。

 まるで良く出来た人形のようだ。あの目は開いてくれるのだろうか。あの何よりも美しい瞳は生きているのだろうか。もし開かなかったら。怖気付く足を動かして、ゆっくりと歩み寄り頰に手を伸ばす。

 震える指が無垢な白に触れた刹那、ぱちりと瞼が開いて藤色の瞳が大倶利伽羅をとらえる。絡めとられるように大倶利伽羅の意識は遥か昔、出会った頃、美しい刀をこの目に映した瞬間に戻ってしまう。

 ああ、俺は間に合ったのか、あんたを迎えにこれたのか。

 脳裏によぎる二振りで重ねた景色とともに熱が身のうちを焼く。衝動にまかせ長谷部の小さな頭を掴み口付けた。別たれていた間に降り積もった想いを受けとって欲しい。

 とろりとろりと唾液を流し込み、ぴちゃりぴちゃり舌を絡め、口の中全てに舌を這わせ、暖かさを柔らかさを堪能する。

 また出会えた。

 顔を紅く染め上げた長谷部に引き剥がされるまで、飽きることなく口内に自分を刻みつけた。

 

「随分と大きくなったものだな」

「あんたが消えていたらどうしようかと思った」

「……ずっと微睡んでいたんだ。お前と過ごした日々を何回も辿って。そしたら、暖かい思い出が消えてしまうのが、どうにもしのびなくてあっさり消えてなるものかと思った。……存在できるだけいてやろうって……約束したわけでもないのに、しぶとくここで待っていた」

 迷いながらも強い光でこちらを見つめ言われた言葉に胸が震えた。

「…………ありがとう」

「本当は待つのは嫌いなんだ、だけど……どうしても思い果てることが出来なかった」

「ああ」

 幼い大倶利伽羅にしたのと同じ仕草で額に口付けを落とされる。

「俺はもう子供じゃない」

「そうか……そうだったな」

 唇に拙い口付けをし今更恥ずかしがる長谷部に、煽られるまま食らいつく。名残惜しく甘噛みして離した余韻の残る唇でやっと音に乗せる資格を得た言葉を告げる。

「長谷部、お前を恋い続けている……俺のつがいになってくれ……嫌だと言われても俺はずっと隣にいる」

「俺は光源氏になったつもりはないんだが……お前も悪趣味だ、育て方を間違えたか」

 この手を振り払わないくせに悪あがきをする長谷部は昔とは逆に子供のようだ。

「長谷部」

「俺がここまでずっと待っていたんだ。察しろ」

 うつむく長谷部の染まるうなじが熱を伝える。それでも、言葉にしてほしい。

「長谷部」

 ひとつ伏せられた瞼がゆっくりと開きこちらを見据える。

「…………最初は子供だと思っていたんだ。なのに……恋い恋いて、ずっと待っていた」

 かつて子供であった龍は噛み締める。二振りの関係を変える誓約の言葉を。

「……ははっ、とても気分がいい」

「笑った」

「俺が笑ったらおかしいか?」

「いいや、可愛い。おい、もっと顔を見せろ。身体も大きくなったし、知らないやつみたいだ」

 長谷部はぺたぺたと肩や胸をさわったかと思えば、ああ、大きな手だな、多分に甘さを含んだ声を漏らし、褐色の手を自分の頰に当て擦寄る。溜め込まれていた愛しさが溢れてこぼれる。

「おい、さっきのじゃ全然足りない。あんたの肌に俺を刻み込ませろ」

 ぎろりと睨んで熱に突き動かされるまま鼻に齧り付く。あむあむと形の良い薄い耳、柔らかく熱をもつ頬、少し鋭利な形を描く顎と確認するように甘噛みして、最後に下唇に強く歯を立てた。

「んぅ、お、お前は動物か。少し落ち着け」

「龍のつのった情を甘く見るな」

 素早く帯を緩め、近くにある大きな長持ちの上に長谷部を押し倒す。輝きを隠し守る着物をはだけさせながら、つつと鎖骨に舌を這わせ、うす甘い肌をぴちゃぴちゃと味わう。本体の刃文さながらに長谷部の肌は火を灯し、白い肌が力を込める度に柔く押し返し紅く色付くのがたまらない。

 息をつめこちらを見やる長谷部に、呼吸を思い出させるように桃色の唇を舐めてから親指をねじ込み口を開かせる。ぱかりと開いた唇から紅い粘膜が覗くのに、我知らず涎が溢れた。犬のように舌を出し垂らした唾液が細い糸を作り、長谷部の舌の上に円を描いて消えていく。こくりと飲み込む音がいやに大きく聞こえた。うまそうな獲物を前に溢れる唾を、その獲物が従順に飲み込んでいく。神気を分け与える意図を超えた淫らさに背徳感で腰に熱が溜まる。

 こくり、こくり。

 直接肉の柔らかさを感じたくなり舌をねじ込み、上顎の襞を辿り頬をじゅぷじゅぷと撓ませれば、二振りの唾液が混じり合い口の端から零れていく。眼前には熱を持て余した長谷部の潤む目に上気した頬。

「顎が疲れる……」

 ふっと笑って上半身から攻略にかかる。匂いを染み込ませるように丹念に舌を這わせ、指を這わせ、抱きしめて身体全体を肌に擦り付ける。どちらかといえば固い大倶利伽羅の皮膚とは違い、柔らかくて心地よい。

 震える長谷部が、んぅ、とくぐもった音を漏らし両手で口を覆うのに首をかしげる。

 と両手で口を覆うのに、首をかしげる。

「は、恥ずかしいだろっ。本当に、お前は、子供みたいなものだったんだから」

「ああ、散々甘やかしてもらった。今度は俺が甘やかしてやる。素直にしていろ」

 見開いた藤色からぽろり雫がこぼれた。かつてされたように瞼に口付けを落とす。

「いい子だ」

 長谷部のあどけない表情を目に映して、暴れ出していた欲が足を止めた。ひとつ深呼吸をして逸る心を押さえ付け、唇と唇をそっと触れ合わせてから優しく優しく触れていく。すらりと伸びた首の描く線を辿り肩から腕に滑らせ適度な弾力を楽しむと、右手を掴んで手首の内側に口付ける。ちろり上目に顔を覗けば動揺し唇を慄かせている長谷部。

「お前の神気に当てられそうだ。慈しまれるとは、こんなにこそばゆいものだったのか……」

「思い知ったか」

 隠れている左胸の尖りに舌を伸ばし抉り、舌の表面でざらりと唾液を塗り込め、指で拡げてから摘みあげた。立ち上がらせた芯を持つ突起をぢゅうと吸う。びくんと跳ねた長谷部の太股が大倶利伽羅の腰を挟み込んだ。反対側も同じように舐めては吸うを繰り返し、そうして、すっかり尖りきった桃色の突起を上から見下ろしながら執拗に指でなぶる。押しつぶしては円を描いてくるくると転がし、ここから乳が出ないのを残念に思う。全身を染め上げ、はぁはぁと息を荒くしている長谷部が、そこからは何もでないぞ、と潤む目で睨んでくるので、戯れにちゅうと吸ってやる。奔放な足が大倶利伽羅の腰を叩き、縋る手が髪を強くかき乱す。大倶利伽羅の鋭利な歯に挟み込まれたコリコリとした感触に、何も出なくともひどく落ち着く己を感じる。じゅうじゅうと執拗に甘噛みして吸い続けると、腕の中でびくびくと背中を跳ねさせていた長谷部が声にならない悲鳴を上げた。

「──ッ」

 追って腹に吐き出される暖かな飛沫。

「おっ、おまえ、 おまえがしつこいからっ」

「ああ、出したのか」

 顔を手で覆い、ぼろぼろと泣き出した長谷部に一気に大倶利伽羅の肉が猛るのを感じる。早く長谷部の中に刻みつけたい。薄い腹の上にどろり広がる白濁を残さず舐めとる。窪んだ臍の中に溜まったものまで残さない。

 次いで亀頭に唇を寄せ中に残るものも吸い上げ飲み下す。白い腹がひくりひくり痙攣しているのが目に入ってしまい、暴力的な炎で身のうちを炙られ、ばたつかせる足を抱え内股のやわいところに噛み付き舌を這わす。歯を押し返す肉の感触を味わっていると、動きを止めるように頭を挟み込まれる。長谷部はこちらを睨んで口をはくはくと動かし、声無く抗議をしていた。焦らされるのは好きじゃないのかと、繋がる場所に舌を伸ばしたら、余計暴れる力が強くなった。ぎちぎちと締め出そうとする門を、ぺろぺろと甘えるように舐める。

 どうか俺を受け入れて欲しい。

 絆されたのかは知らないが、少し力が緩んだ所で一気に舌をねじ込み、入り口を拡げるようにじゅぶじゅぶと動かした舌で溢れる唾液を塗り込める。脚を押さえる大倶利伽羅の腕の龍を長谷部の爪がかりかりと引っ掻くのが、いじましくていけない。冷えた手をとって指を絡めて繋ぎ喉元に食らいつけば、悲鳴を上げ喉が締まるのを舌で感じる。

 長谷部の口に指を突き入れ上顎を擽り舌に擦り付け、たまった唾液をたっぷり指に絡めると、後ろの穴にまずは一本挿入した。とてもきついが入口付近を解すよう丁寧に動かす。ふと上げた視線の先で、眉をしかめ固まる長谷部に呼吸をすることを思い出させるように、ふっと口の中に息を吹きかける。ゆっくりと前後する動きを繰り返し、二本目を含ませると中を探る動きに変えて、強ばる身体に口付けを幾つも落とす。

 ああ、愛しい、愛しい。

 耳元で大丈夫だと何回も囁いてやり、縋るような、それでいて蕩けた目をした長谷部の目尻の涙を吸い取って、際限なく口付ける。腹側の粘膜を探って引っかかるしこりを指で感じ殊更優しく撫でると、アッと声を上げてぐねり指を食いしめる筒。

 見つけた。

 口角を上げ、そこを重点的に責め立て、最初は優しく段々と強く抉ってやれば、美しい肢体に大きく小さく波を作り続ける。悲鳴を上げる限界が近い獲物を前に、乱れれば乱れる程高揚する心。縋る手を離し、快楽に突き落とすようにぐりぐりと引っかきながら濡れぼそった雄蕊もぐちゃぐちゃに擦る。

「やっあっあっ、つ、強い、やぁ、やぁこわいンン、ん!」

 再度吐精してぐんなり弛緩した痴態を目に焼き付けた。余韻でぴくんぴくんと震える身体、発光するように白く輝く肌、紅い唇からは涎を垂らし、とろとろと甘く細められた瞳。時折漏れる鼻に抜ける甘い音が大倶利伽羅の肌を逆なでする。

 もう、我慢も限界だ。

 白濁を絡ませ指を三本に増やし後孔にねじ込んで、立ちあがった己を動かすように強く指を穿つ。ぐちゅんぐちゅんと往復させて馴染ませてから中で指を拡げると、受け入れるかのように柔軟に伸びるのを感じる。

 ふぅふぅと息を荒らげながら長谷部の目を見つめれば、蹂躙されてなお慈しむ光を帯びてふんわりと微笑む。

 

 あんたはかつて俺の母であった。

 けれど、これからはおれのつがいだ。

 

 長谷部の手を取り自分の脚を抱えさせると、下唇を噛み締めながらも抵抗する気はないようだ。待ち望んだひとつになれる孔をくぱり拡げて、猛りきった己を徐々に含ませていく。ずるりと一番太い部分を過ぎ頭を包み込まれるのを感じた瞬間、勢いを付けて最後まで穿っていた。

「ぁんっ」

 ああ、気持ちいいな。熱く柔らかい粘膜に締めあげられて獰猛な笑いがこみ上げる。あんたに俺を刻みつけ俺の種をあんたの中にぶちまけたい。奥の奥まで俺の匂いをこすりつけたい。

 上から抉るように夢中で腰を振り立てるほどに、鉄を叩くかのようなコンッと奥に当たる振動が肉を震わせる。肌に当たる破裂音、じゅぷじゅぷと粘度の高い水音が五感を刺激し、絡まり登り続ける熱。

 ああ、長谷部、長谷部、お前の中に俺はいる。

 何度か達して過剰な神気にも当てられた長谷部は半ば意識を飛ばして、上げるのは悲鳴のような嬌声ばかりになっている。腹側のしこりを抉るように腰を回せば、こりこりとした感触が発情しきった獣の肉棒にも快楽を与える。なぶる度にきゅうきゅうと締め付ける隧道がたまらなくて、執拗にそこばかりを責めたてた。

 長谷部は脚を大倶利伽羅の腰にしなやかに絡ませると、柔らかに頭を抱え撫でまわしてくる。快楽でいとけない子のようにぼろぼろと泣きながら慈しむ手は止めない。熱い塊が喉を焼き、大倶利伽羅の目から降りそそぐ雨。

 長谷部、長谷部。

 泣きながら口付けを交わす。口は離さないまま限界まで奥に届かせ、しっかりと抱き合い奥の奥まで入り込んで、ぐねぐねと蠕動する長谷部に包み込まれる。絡まりあった状態で、限界まで腰を動かし弱い箇所を擦り上げてから再奥を叩く。

「あ、んたが、好き、なんだ」

 長谷部が背中の龍に爪を立て、合わせた口の中で声にならない悲鳴を上げた。痙攣するように己を締め付け、食らいつき吸い上げるような刺激に大倶利伽羅もびゅくびゅくと奥に種を吐き出した。湿った息を長谷部の口に吐き出す。余韻の引かない長谷部がびくりびくりと収縮を繰り返し、搾り取られ限界まで吐き出す感覚に息がつまる。繋がった場所に指を這わせ、溢れた種を指ですくって長谷部の口に持っていくとおぼつかない舌がおぼつかない動きで舐めとっていく。その柔く暖かい感触にまた性器が熱を孕む。この熱は際限が無い。

 ひっと悲鳴を上げた長谷部に構わず単純な前後運動を再開し、飛びすぎないぎりぎりの速さで入れては抜き取りを繰り返す。

「もっと、もっとだ」

 もどかしげに揺れる足をとって膝に口づける。長谷部を身も世もなく乱したい衝動に残虐な気持ちで唇を舐め胸の尖りを強く親指で擦り上げた。

「ハッ」

 もっともっと奥まで入り込みたい。ぷちゅんと糸を引きながら己を抜き取り、長谷部の身体を裏返して長持ちに手をつかせると、後ろから限界まで押し入る。背を反らせ、もう声も抑えられない長谷部に容赦せず尻たぶを開き、ぐりゅぐりゅとねじ込み腰を回せば、膨れ上がった亀頭が中ではくはくと食まれ愛撫されるのを感じる。

「んふっぃああっあアァッ、も、もぅ、やぅ、はいりゃない!」

 ねじ込む度に白濁がこぼれ落ちるのが惜しい。溢れた種を長谷部の震えて透明な液をとろりと零すばかりの雄蕊に馴染ませ、根元をきゅっと締め付けた。瞬間しなる美しい稜線を描く背中に唾をたらし、舌で塗り広げる。腰を振れば振るほど、きゅうきゅうと俺を慈しむ粘膜。

「アァ、んっんっんっ」

 抱いているのに抱かれている感覚に、声を出して全てを吐き出していた。金と紫の色と全ての輪郭が渦を描いて入り混じる。

 長谷部、俺の全てをやるから、あんたの全てをくれ。

 遠く儚い子守唄が聞こえる。

 低く鼻に抜けるような笑みまじりのほろ甘い声。

 大倶利伽羅の肌を滑る冷たい手の感触。

 ゆっくりと目を開ければ、藤色が覗き込んでいる。

「どうした?」

「昔の夢を見た」

 ────母に抱かれる優しい夢を

 

「疲れているのか?」

「いや、問題ない」

「……負担になっているんじゃないのか?」

「大丈夫だ、毎日無駄に拝まれている……そういえば見られていたな」

「子供だ、放っておけ。今の世では信じるものなどいないだろうな……おい、話をそらすな」

「…………」

「俺はもう持たないだろう」

 諦めることが上手な長谷部は辛くとも悲しくとも優しく笑む。

 ────やっと会えたのに。

「あんたが待っていてくれたように、俺は諦めたくない」

「…………」

「最後まで足掻かせてくれ」

 

 蜜月は長く続かなかった。手入れを長く施されていない長谷部の本体が冴えた輝きを失い朽ちていこうとしているのだ。それは実にゆっくりと、けれど、確実に進行していく。今ではこの蔵を訪れるものなどいない。

 家のものは忘れてしまっている、この宝物を。

 目の前で眉を寄せる長谷部は、きっと自分よりも大倶利伽羅の心配をしているのだろう。もっとわがままを言ってくれてもいいのにと苦く笑む。

 毎日通っては龍の鱗で研ぐように長谷部の肌に神気をなじませることを、大倶利伽羅は例え気休めだとしてもやめることができなかった。とうとうと流れていく時の中で振り回されいつかは消えるのが物の定めだとしても、諦めたくはないという強い本能が龍を突き動かす。

 この美しい刀を諦めたくはないんだ。

 永遠とはいかなくても、少しでも長い時を隣で過ごしたい。遠い昔に慈しまれたように、今度は大倶利伽羅が愛しむ時を少しでも長くありたい。

 隣に横たわる美しい形をなぞると、くすぐったそうに微笑む。その藤色をもっと見ていたい。

 しんしんと雪が降り積もる冬の日、祖父が死んだ。

 久しぶりの帰省でも変わらず何もない田舎を再確認する。小さい頃は夏になれば毎年来ていたが、中学を卒業する時分には部活や遊びに忙しく、帰省に同行することもなくなった。正月は逆に祖父の方がこちらに来ていたから、冬にここに来たことがあまりなかったんだなと今更気づく。夏は暑くて冬は雪が積もるなんて、ずいぶんと過酷なところにずっと祖父は暮らしていたものだ。大往生と言えるものだったので、冷たいと他人からは思われるだろうが悲しさはあまり湧かない。

 この広大な土地と家も遺産相続に伴って処分される。広いだけで何もないところだったけれど、無くなると思うと少し寂しい気持ちになるから勝手なものだ。田舎に広い土地を持っていたって今の時代は大変なだけらしい。祖父の存命な子供が親父ひとりだけだったから変に揉めることはなかったが、相続人が多かったら骨肉の争いとかでもっと大変だったのだろうか。親父は相続税に頭を抱えていたけれど。

 なかなかに盛大な葬式が済めば大してすることもなく、ごろごろとしている俺に親父が仕事を与えられた。

「蔵の中にあるものを整理して売れそうなものとゴミに分けてこい。お前そういうの詳しいんだろ」

 確かに俺の専攻は美学美術史学だが専門は西洋絵画だし、そこまで真面目な大学生でもないので専門外はさっぱりだ。芸術なんてさっぱりな親父に説明してもわかってくれなさそうなので、了承して片付けだけをするつもりでさくりさくりと雪を踏みしめ言われた蔵に向かった。

 この家、蔵なんてあったんだな。

 暖房もない中の作業とはきつい、鼠とかいないよな、と警戒しながら閂をはずし重たい扉に手をかけた瞬間、ちりっと小さな既視感を覚える。

「俺、ここにくるの初めてだよな……?」

 ぐっと力を入れるとさほど苦労せず軋んだ音を立てて扉が開き、ずっと締め切られていた部屋のカビ臭い匂いが鼻をつく。見回し確認したところ思ったよりも片付いていることにほっとする。量も少ないからすぐ終わりそうだ。

 手前の箱から順に中身を確認して仕分けていくことにして、手早く箱を開けて確認してはメモをとり移動させるのを繰り返す。思ったよりもガラクタっぽいものはなく、ちゃんとしたものが多い。雛人形に茶器や掛け軸、さすがに温度や湿度の管理が重要な人形や掛け軸は劣化が激しい。これだけ劣化していると値がつかない可能性が高いので、状態もメモに付け加えていきながら、段々これは古美術商でも呼んできた方が早い気がしてきた。

 単調な作業も終わりが見えてきたところで、他より立派な細長い箱にいきあたった。表面に書かれた字は消えかけていて、かろうじてなだらかな山、「へ」のようなものが読み取れる。お宝発見とかあったら面白いんだけどな、とぼやきまじりに軍手をはめた手で無造作に開けると、そこにあったのは布に包まれたむきだしの刀と、丸く光る何かだった。つまみ上げ目を凝らす。

 少し透けて不思議な色をした……大きな鱗?

 

 認識した瞬間――。

 ぶわりと記憶がよみがえり鳥肌が立つ。

 ちかりちかり瞬く光の合間に、幼い頃に見たあの光景ーー美しい男と龍の睦み合う姿が。

 

 震える手でなんとか鱗を箱に戻し呆然とする。この刀は粗雑に扱っていいものじゃない。下手なことをすれば龍の怒りを買ってしまう。神様も仏様も信じちゃいないが触れてはいけないことが本能でわかって、鳥肌が治まらない。こういったものはどうしたらいいんだ。ぐるぐると思考が空回りして混乱が収まらない。とにかく一度落ち着こうと混乱の元から恐る恐る遠ざかり、しっかりと閂をかけて急いで蔵を後にする。

 

 母屋の一室に閉じこもった俺が落ち着くヒントを得ようと携帯電話で刀や龍にまつわる話を必死で検索していると、昼から一杯やっている親父に古い帳面を渡された。空気の読めないマイペースなさまに安心感を覚えるなんて、よっぽど自分は怯えているみたいだ。

「過去帳とか古いものを整理してたら出てきたわ。たぶん蔵の所蔵品の目録。だいぶ昔の時点での記録みたいだけどよ、足しにはなんだろ」

 素直に告げた方がいいのだろうか。けれど、信じてもらえるとも思えないし、知る人間は少ない方がいいような気がする。

「……ああ、それだけど、状態が悪いものが多いから、この帳面と一緒に古美術商に見せた方が早いと思うわ…………届け出が必要な刀もあったし」

「うーん、近くにそんな知り合いいたかな。変なところに頼んでもだしなあ……」

 ぶつぶつ言いながら出て行く親父の背中を見送ってから、そっと黄ばんだ帳面をめくる。詳細に所蔵品を記載しているようだが不真面目な学生には読めない字も多い。ぺらりぺらりとめくり、「刀」の文字に目が止まる。

「へ、し、切」かな、これはあの刀か。

 隣には「刀 大────」……読めない。その但し書きに龍の文字が見える。あの龍も刀? でも、それらしい刀はなかった……。

 非現実的な考えだとは自分でも思うが、売り払ってしまったら祟られるんじゃないかという不安が拭えない以上、親父には悪いが価値がどうであろうと売るのは避けたい。きっと、この二振りは一緒にいなければいけないという確信が何故か生まれている。刀と一緒に大きな鱗が入っているなんて執着心の現れのような事実、むつみあう一人と一匹の光景を確かに見てしまった過去、魚の小骨のように喉に引っかかり、何も関係ないと思いたくとも得体の知れない恐怖が大きすぎて無視できない。

 

 とにかく情報が必要だ。決断してしまえば行動するのみ。親父に刀の処理を自分が請け負うと約束し、警察に刀の発見届を出し登録審査を経て登録証を発行してもらう。審査では状態の悪さが心配だったが比較的軽度なので大丈夫だったようだ。急いで刀と目録を持ってネットで調べた刀剣専門の古美術商を訪ねた。

 

 そこは気難しそうなおじいちゃんがやっている小さなお店で、その雰囲気は少し祖父を思い出させた。

 突然現れた若造を邪険にするでもなく、拙い俺の説明に耳を傾けたおじいちゃんは老眼鏡をかけると早速目録に目を通す。曰く、この刀の名は「へし切長谷部」、錆がういているので、研ぎに出す事が必要だという。なんとか自分でも払えそうな予算内だったので、頼もしい古美術商のおじいちゃんに頼み込んで分割払いにしてもらい、研ぎに出してもらう事にする。

 そして問題の龍の正体と思われる、へし切長谷部の隣に書かれているものは「大倶利伽羅廣光」刀身に龍が彫られている刀だという。問題はこの刀がどこにあるかだが、龍が彫られている刀はさほど珍しくないらしい。けれど、こういった銘の刀は知らないとのこと。特徴に合致する刀はわかるものだけでどんなものがあるかと聞けば、幾つか調べて教えてくれたので、それとともに大倶利伽羅廣光の特徴もメモをして、店を後にする。

 それにしてもたくさん有りそうだ。研ぎに出している間に調べられるだけ調べるしかないけれど、もし個人の家にしまいこまれていたらおしまいだし、まだ現存している保証もない。ふと、そんな弱気が頭をよぎる。こんなこと意味ないんじゃないか。俺は何でこんなに一生懸命になっているのだろう。冷静な部分ではそう思っているのだが、刻み込まれた甘く切実な光景が頭から消えない。すぱりと綺麗に口を開けた切り傷のようにじくじくと痛んで頭から離れない。怖いだけではない。あの美しい人と龍を損なうのは、とても惜しいとも思うのだ。

 長谷部は深い眠りに落ちてしまった。

 人の形もとれず、もうほとんど目覚めることは無い。それでも大倶利伽羅は長谷部の元に通い、話しかけ、その身体を撫でる。

 俺の思いが長谷部の中で積もり積もればいい。決して虚ろな存在にはしない。

 いつものように寄り添い、大倶利伽羅が口の中で記憶に刻みつけられた歌を口ずさんでいると、久しぶりに新しい空気が蔵の中に流れ込んだ。若い人間の男が放置されていたものを片付けていく。

 そういえば数日前にたくさんの人間が母屋の方に出入りしていた。思い返せば、黒い衣に身を包んだあれは死者を悼む葬列。持ち主の命が消えたのだとすると、この蔵も全て処分されてしまうのだろうか。長谷部はどうなってしまうのか。他のところに移動するだけならまだいい。朽ちていく定めに絡め取られ、価値がないと処分されてしまったら……。

 その考えに至った途端、身の内を激しい怒りがぶわりと満たす。許す事など出来はしない、そんな勝手を許す事など。

 火を宿した瞳で見つめる先、若い男は箱の中の長谷部を確認するや否や怯えた様子になり、早々に立ち去った。

 このまま近寄らなければいい。ふた振りの限りある時間を邪魔しないでくれ。

 

 願いとは裏腹に、後日男はまた現れた。どうしてやろうかと衝動的に手を伸ばしかけたが、手つきと目の色から読み取れる真剣さに怒りよりも怪訝さが先立ち、ひとまず様子をみることにした。男は思いつめた顔をして長谷部の箱を丁重に風呂敷に包むと蔵から持ち出した。

 果たして男が向かった先は刀剣専門の古美術商だった。やはり売られてしまうのか。ならば追いかけ続けるだけのことだと考えていた大倶利伽羅は聞こえた音に目を見開く。

 研ぎに出すと今言ったか? 龍の彫られた刀? 俺のことか? 俺を探している?

 都合のいい想像が頭を巡り唾を飲み込む。何かを書き留めた男が強い光を帯びた目をして出ていくと、大倶利伽羅は研ぎに出されるために残った長谷部の隣に呆然と控える。

 長谷部が人の子を想う時に目に浮かべた色の意味をやっと知った。

 人に何かを願うことなどないと思っていた。

 また会えるのか、長谷部。

 会わせてほしいと、素直に乞い願う。

 どうか────

 

 


 

 研ぎ師というのは人の中でも特殊な雰囲気を持ち、静謐な空気にすっと馴染む。

 大倶利伽羅の見守る先で長谷部を前にした研ぎ師は、長い礼をすると恭しい手つきで取り上げ、砥石の前に片膝をついた。大倶利伽羅も幾度か経験した神事に似た仕事が始まる。

 最初は下地研ぎ。粗い目の砥石から始めて、錆を落とし目を細かくしていく。しゅっしゅっと小気味良い音が狭い室内に響き渡る。実に丁寧に根気よく続けられる動作。切れ味よく研がれることは減ることでもある。本来の形を損なうことなく美しく仕上げることは繊細な仕事だ。鋭い刃の部分を研ぐ刃引きの段階になれば、段々と美しい地肌が見えて、焼刃の刃文本来の模様、匂い口が浮き上がってくる。

 ひとすり、ひとすり、肌をなぞられる度、長谷部の甘い悲鳴が聞こえる。研ぎ師の祈りが届いたかのように徐々に姿を表した長谷部の手を逃してなるものかと強く握りしめる。意識なくびくびくと跳ねる身体。

 大丈夫、大丈夫だ、長谷部。俺がここにいる。

 刀の全容全てが見えてきた所で仕上げ研ぎに移る。薄く小さくした砥石に紙を漆で貼った刃艶を親指の腹に乗せ、細かなさじ加減で研いでいく。中を指ですられ、長谷部は指の動きに合わせてしきりに声をこぼしている。薄い砥石の地艶を砕きながら、上へ上へ肌に塗り込めるように磨いていく迷いのない動き。熱が溜まり登りつめていく身体を持て余し、長谷部は泳ぐように肢体をくねらせる。

 鉄を焼いて粉末にしたものと丁子油を混ぜたものを身体の上に垂らされ綿で塗り広げられると、やぁ、やぁ、と駄々を捏ねるかのように頭を振った。刀身が青黒く覆われる拭いの段階を経て、長谷部の肌は落ち着いた真珠のような輝きを放ち始めた。

 刃取りの手順では刃文に白く化粧を施される。美しい刃文を際立たせるように周りを研がれていく。焦らされるように触られて、呼吸も覚束無い長谷部の透明感溢れる美しさが強調される。甘い藤の香りが匂い立つようだ。

 次は鋼の棒で磨きをかけて刀身に輝きの階調をつけていく。両対照な輪郭がはっきりとし立体感を持つ。隠れた場所を細かくすられる度、何度も果てているようで身体が縮こまっては弛緩している。

 切っ先にナルメという研ぎを施す段になると、ことさら繊細な所を触られることになり、ひぅひぅ喉を鳴らし、かろうじて息をしている長谷部をしっかりと抱きとめる。敏感な場所が柔らかで滑らかなまるで赤子のような白い肌になった。

 最後には流しという砥ぎ師の印を入れられるのだが、目の前で行われるその過程には流石に嫉妬の炎を抑えることができず、己の手を痛いくらい握りしめてこらえる。

 全ての工程が終わると研ぎ師はまた深く一礼をして、ひとつ疲労のにじむ息を吐いた。力無くくたりとした長谷部の身体を抱え、見えないだろう相手に大倶利伽羅もまた心からの礼を返す。たくましい背中を見送り、長谷部の身体を横たえ隣に寄り添う。眠る長谷部の張りのある髪を梳き、地肌を指でなぞる。

 ここにいるんだな。

 久しぶりに訪れた胸を満たす安心感に、段々と瞼が重くなってくる――――。

 

 

 俺の頭をするりと撫でる手、包み込むような少し掠れた歌声……。はっと目を開けば、隣で横になった長谷部がふわりとした色を湛えた目でこちらを見ている。

 

「……また会えた。二度目だな……そばにいたんだろ? ずっとお前を感じていた」

「…………ああ、おかえり」

「…ただいま」

「目をっ……よく見せてくれ、」

「あっ」

 

 皮膚の下で燻り続けていたどろどろとした情動が爆発する。その欲をべたりとなすり付けるように、ひたすら柔らかな唇に口付けを繰り返し火照る身体を擦り付け合う。研がれて肌が敏感になっている長谷部には快感が過ぎるようだが、止められない。止めたくない。取り出した切っ先をすり合わせ、溢れる液体を塗り込んでぐちゅぐちゅと乱暴に扱く。口元がべとべとになっても舌は離さないまま、滂沱の涙を零す蜜のような長谷部の若紫を見つめ続ける。じゅぷりじゅぷり上からも下からもかき回される水音は止まない。

 長谷部はまるで産まれたばかりの赤子だ。やっ、やっ、んっと覚束無い言葉のみを発して震えている。

「何が嫌なんだ?」

 優しく問いかけても、首を振ってぐずるばかりだ。離れしまった唇にまた食らいつき、鈴口に親指をねじ込み強くぬとぬとと前後させれば、ぷちゅりとゆっくり隙間から押し出される液体のいたいけな抵抗。出口を塞がれ勢いよく出せないのが苦しいのか、肩口の龍に痛い程爪を立てる。腕から力が抜け波が一度去ったのを感じたところで茎を絞り出すように扱き、張りのある双球を揉み込む。その強い刺激に、大倶利伽羅の口の中にか細い悲鳴を響かせ、長谷部は透明な液体をびゅうびゅうと勢いよく吐き出して意識を飛ばした。

 弛緩した身体に広がる雫を余すことなく味わう。遅れてこぼれ落ちる白濁も吸い上げながら、乳を絞るように執拗に扱く。ぴくぴくとさざめく筋肉、匂いたつ生々しい藤の香り、染め上がった透明な肌を視界に入れながら、ごくりと残滓まで全てを飲み込めば、腹の中がかっと燃え上がった。力ない長谷部の身体を抱きしめ、際限なくいきり立ち透明な汁をだらだらと流す雄を柔肌に思うままに擦り付ける。

 ああ、この暖かい柔らかい肉をまた抱きしめられる。

 すらりと伸びたみ足を肩にかけ、内股に己を挟んで欲望のままにぐちゅぐちゅと腰を振る。

 なんて滑らかな肌なんだ。俺の長谷部。

 ぐうっと腹筋と陰嚢の奥に力が入り、解放の予感に震える。

「くっ、ふああっんあっあっ」

 声をあげて絶頂を極め、長谷部の腹に種を吐き出した。

「はぁっはっはっ」

 隣に倒れ込むと、薄い腹にべたり張り付いた子種を拭い、唇に塗りつけ口内にも含ませて満足する。

 あんたは俺の物だ。

 いつか終わりがこようとも、

 ────有らん限り。

 

 やれるだけやってみようという心持ちで捜索を開始した俺は、今が冬休みで良かったと心底思った。メモを元に調べて教えてもらったもの以外に龍が彫られたものがないかを探し、あわせて銘が掘られていたり作者や来歴がしっかりしているもので違うものは消していく。地道な作業を繰り返し、大きさが明らかに違うものも除外すると結構絞られてきた。

 近場の博物館にあるものは、念のために確認に行ったりもした。見たからって素人である俺に何かわかるわけではないけれど、刀ってこんなに切実で美しいものだったんだと圧倒され、畏れる気持ちを新たにする。放つ光が何かを伝えようと囁いている気すらした。

 リストに一本一本線を引いていき、最終的に県内でも少し遠い神社が残った。龍の伝承が残る湖近くの神社で、御神刀として刀身に倶利伽羅龍の彫られた刀があるらしい。長さもデータ上はほとんど一緒で、ちょうど研ぎ終わったへし切長谷部とともに向かう事を決めた。

 はれて出会えたとしても、俺に正解がわかるのだろうか。まさか漫画みたいに出会った瞬間光があふれるとか超常現象は起きないだろうし、けれど、まあ行ってみるしかないかなんて、ここまでくるとなるようになるさという開き直りの境地だ。刀と一緒の旅路にびくびくとしながらも、「会えるといいな」思わず小さく声に出していた。

 

 神社の宝物殿で展示されているらしい刀の方向に案内図を片手に向かう。高い木が伸びる静かな参道を通り厳かな雰囲気が漂う建物に入ると、ひときわ目立つ真ん中の展示ガラスの中にそれはあった。輝きに思わず目を瞠ってからじっくりと観察する。長さ、反り、特徴のどれも合致しているように見える。彫られた龍の力強さに見蕩れ立ちすくんでいると、腕に抱えた箱の中でかたりささやかな音がした。

 え?

 思わず箱をガラスに恐る恐る近付ければ、かたかたと確かに鳴っている。本当に? 腕に鳥肌を拵えながらも、落とさないように抱え直す。自分が震えているわけでも地震でもないことを何度も見回し確認する。

「この刀で合っているのか?」

 小さな声で話しかけると、ぴたり、音が止まった。

 そうか。これはもう、信じて突っ走るしかない。

 

 なりふりなんてかまってられない俺は、直ぐに学芸員の方を呼んでもらい、古美術商の鑑定書と目録を示して元は一緒にあった刀であること、無償で目録と刀を譲渡したいこと、二振りを一緒に保管してもらいたい事などを必死に説明した。降って湧いた話なのに、学芸員であり宝物殿の責任者でもある、まだ若い女性は真剣に聞いてくれて、検討してから後日連絡をすると約束してくれた。

 これで断られたらどうしよう、どう考えても胡散臭い話に聞こえることに思わずため息をつくが、見つけて聞いてもらえただけでも確かな一歩だ。もしもの話は考えないようにして、その後はたまりにたまった課題に集中した。

 いつの間にか冬休みも、もう終わる。

 

 

 休みが明けいつもの日常を取り戻した頃に、携帯電話の呼出音が鳴る。ディスプレイには神社の名前。いっそ静まりかえった気持ちで審判を待つ。通話ボタンを押す指だけが震えていた。

「──はい」

 




 

 

 全ての事務処理を終え、俺は神社に向かっている。祖父の家も蔵も、もう跡形もない。更地を前に思ったのは壊す時は一瞬なんだな、なんて当たり前のこと。春雨がけぶる中、通い慣れた参道を通り、正面にある本殿にゆったりと歩みを進める。

 あれから正式な手続きを経て、へし切長谷部はここの刀となった。神社からの電話を切ったあと、思わず物言わぬ刀に喜びを伝えた思い出がよみがえり、傘に隠れてひとり笑う。

 今日は特別にガラスケースではなく、本殿に祀られて公開される日だからか、参拝客が多い。徐々に澄んでいく空気を縫って本殿に辿り着くと、周りのざわめきも雨音も全て遠ざかった気がした。龍は雨を呼ぶというが、倶利伽羅龍は炎を纏う。どっちなんだろうな、どっちでもいいか、なんて旧友に会うかのような浮ついた気持ちだ。

 丁寧に水を払って傘をたたみ、心を落ち着けるように深呼吸をしてから、静かに並んで覗き込んだ。

 薄暗くなっている奥に二振りの刀が並んで掛けられている。冴えた光が自分の目に届いた瞬間、息をのみ固まった。並び在る刀は美しく淫靡な光を放っていて、畏怖という名の怯えを持つに充分な美しさだった。触れなば切れん。そんな言葉が頭を支配して見ているだけで精一杯だ。

 つめていた息をひとつ吐き出して、手を合わせた。

 

 二振りが一緒にあれますように。

 

 無神論者がこんな埒もないことを願うなんて可笑しくて馬鹿みたいで、ふっと口角が上がる。けれど、切実な二振りを前にして、やるせないような何と表したらいいかわからない感情がこみ上げ、眼窩がしびれた。祝福とともにやっぱりもう一度願っておこうか。

 

 熱い涙を瞬きで払い、その姿を目に焼きつける。

 二振りが一緒にあれますように。

 限りある時をともに。

 

 

 

 





 

「限りの椿」

​    26/12/2015

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