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Bonus track.

 

甘やかす舌

「あのひとは元気だったぞ。調整ありがとう、っと」

 打ち込み終えた端末を懐にしまい、最近お気に入りのハードロックの旋律を口ずさみながら食堂に足を踏み入れると、知り合いを探してさまよわせた目がすみにあるテーブルに吸い寄せられた。

 なんだあの空気?
 オーラなんて胡散臭いものは信じちゃいない国永でも、異様な空気を感じざるを得ない変な圧を持ち、窓の近くにあるのにそこだけ温度が高いように感じる。白いシャツに包まれた背中と、その後ろ姿の合間からちらちらと覗く煤色の髪。大倶利伽羅と長谷部。久しぶりに見た手のかかるふたりが纏う、桃色、緋色、橙色、色で表すなら暖色のとろりとした空気を鑑定するようにしばし目を細め、行けばわかるか、と非番のものから遠巻きにされている空間に迷いなく足を進めた。


「よっ」

 向かいあって座るふたりの間から声をかければ、色鮮やかなゼリーをちまちまと食べていた長谷部は「ああ、おつかれ」と返してくれるが、大倶利伽羅はぴくりともせず長谷部を凝視したままだ。正確にいうなら長谷部の口元だろうか。大倶利伽羅の反応を見た長谷部がちらりと気まずそうな視線をくれる。こんのくそガキが、と内心でつぶやき国永は挨拶がわりに頭をはたいてやった。それでも、視線ひとつよこしただけで元に戻ってしまうので、頑固者には早々にさじを投げて椅子を引く。いくら無視されようと面白そうなところから引く気はないので、大倶利伽羅への嫌がらせもかねて堂々と陣取ったのだった。

「久しぶりだが元気だったか?」

「かわりはない。今回は随分と長かったな」

「いやぁ、前田のやつが散々こき使ってくれてな。ま、任務が終わった後も野暮用で寄るところがあったから」

「ふうん……光忠は厨房にいるぞ」

「それもミツ坊か?」

「いや、これは、ん?」

 国永と話すために長谷部が手を止めているのが不満なのか、それまでじっとしていた大倶利伽羅がスプーンを奪うと、おもむろにゼリーをすくって長谷部の口に近づけた。

「熱いなぁ、君たちは」

「ぐ、いや……、これは、ちが……」

 随分と弾力があることが見てとれる物体を、一生懸命咀嚼し飲み込んだ長谷部はしゃべろうとしているのだが、口が開く度に大倶利伽羅がゼリーを運んでいく。銀色の湾曲した面にすいと品よく盛られた欠片が、薄い舌の上にそっと横たえられる。詰め込むのが目的ではないと表すかのように、それは強引な行為の割には随分と丁寧な手つきだった。

「いや、なにも違わないだろ。明らかに餌付けじゃないか。カラ坊が作ったのか?」

 勤勉に口を動かしながら長谷部が頷く。わかりやすい獣の行動が知れて笑った。

「ひとくちくれよ」

 思いつきで結果はわかりつつも大きく口を開け催促すると、大きな手が視界いっぱいに広がった。こめかみに容赦なく食い込む指に頭を締め付けられるが、条件反射で国永も大倶利伽羅の頭をわしづかみにしてやる。

「おい」

 呆れを滲ませた声が交差する白と黒の腕を咎めても、怪力が売りの大倶利伽羅が左手を使っているのが幸いして余力がある国永は、自分から引いてたまるかと思う。結局のところ負けず嫌い同士なのだ。

「そこまでだよ」

 小夜の冷静な声が横からしたと思ったら腕に走る衝撃。頭蓋骨を軋ませながらぷるぷると震えていたふたりの腕に、スパンッと手刀が落とされたようだ。身悶えしながら風のように去っていってしまう大人びた青を見送る。どいつもこいつも加減を知らないもので、やっと解放されたこめかみもだが、小さな手によって打たれた手刀のあともじんじんと痛む。釈然とせず金色の目を細めて大倶利伽羅の方を睨むが、彼はまた何事もなかったかのように餌付け作業に戻っていた。

 ぷるりとしたゼリーがすくわれ、無防備に開かれた長谷部の唇の奥に消える。少しずつ、ゆっくりと、確実に、往復する動きは続いていく。

 ふっと空気が揺れるのを感じて国永が視線を横に流せば、大倶利伽羅の背後に忍び足で近づく鯰尾がいた。彼は正面の長谷部から見てきっちり大倶利伽羅の影に収まるようにしゃがみ込むと、不意に自分の長い髪を頭の両脇でくくるように持ち上げる。

 ぶふぉっと汚い音が長谷部の口からもれ、テーブルの上に散らばるゼリーの欠片。

「おいおい」

 ギギギギと音がするかのようにゆっくりと振り向いた大倶利伽羅に、ゼリーまみれの真顔で見つめられ、鯰尾は冷や汗を浮かべながら曖昧な笑顔を残して逃げ去った。立ち上がろうとした長谷部に後から来た骨喰が実に双子らしいコンビネーションで、すっとティッシュの箱を渡し悠然と歩いて行く。慌てて何枚も引き抜き大倶利伽羅の顔にのばされた長谷部の手を、なぜか彼は掴んで止めた。

 戸惑いを浮かべた青紫色の間近で長い舌が唇の周りをべろりと拭う。ぽかんと口を開けてしまった長谷部と国永を置き去りに、満足したのか手を開放すると拭けとばかりに大倶利伽羅は顔を突き出した。

「……とんだ甘ったれじゃないか」

 丁寧に顔を拭われながら、ちろり、流し目をくれるのが憎らしい。

 綺麗にされ表面上は平穏に戻ると間も無く餌付けは再開された。少しずつ、少しずつ、ゆっくりと。

 ふるり、端末が着信を告げる。画面には前田からのメッセージが。

『ありがとうございます。安心致しました。』

 変わらない律義さに思わず口元を綻ばせ顔を上げると、今度は包丁が笑いながら近づいてくるところだった。

「ねぇねぇ、長谷部さん、それって新しいお菓子~? 俺も味見! 味見させて!」

 いいぞ、と形作ろうとしたのであろう長谷部の唇を封じるようにスプーンが縦にあてられ、ぐるんと振りかえった大倶利伽羅が瞳を鋭く変化させる。

「キャン!!」

 狼に睨まれた子犬のような反応を返し逃げていく後ろ姿を見送り、見た目どおりの年齢とは限らないが、大人げないことだとため息をつく。

「心の狭い男は嫌われるぞ~」

 囃し立てたところでこの男は聞かないけれど、あまりにも胸焼けしそうで吐き出さずにはいられない。困った顔をしつつも止めずに食べ続ける当事者の長谷部が、大倶利伽羅の子供じみた振る舞いを許してしまうことはわかっていても。

 まるで神聖な儀式のようにうやうやしい仕草で行為は続けられる。この時を惜しむかのように。国永がくるまでこの一角が遠巻きにされていた理由がわかった気がした。ふたりがこの時を心底大事に過ごしているからであろう。ここの連中は貴重な時間を邪魔するほど野暮ではないのだ。確信犯の国永以外は。

 冴えた外の香りが鼻をくすぐる。視線を向けると静かに秋田が近づいてきているところだった。また大倶利伽羅に邪険にされてもと口を開きかけた国永に、わかっているとでも言いたげな笑みを浮かべて秋田は手を振った。

 カチャンと高い金属音がして振り向く。テーブルの上では美しい繊細なガラスの器が空っぽになり、役目を終えたスプーンがゆらゆらと揺れ光を弾いている。それはとても所在無さげで。口をつぐみ名残惜しげに器を見つめるふたりの間にカラフルな棒つき飴が差し出された。

「どうぞ」

 僕、飴って苦手なんですよね。良かったらもらってくれません? にこやかに言う秋田の手から大倶利伽羅が受け取り、ありがとう、と言ったそばから包装をぺりぺりと剥がしていく。

「どういたしまして」

 食えない笑みで去る秋田を尻目に大倶利伽羅は紫色した飴を、ぺとり、長谷部の唇にくっつけた。

「ん? お前が食べるんじゃないのか?」

 不明瞭にもごもごと言う長谷部に構わずふにりと押し付けられた塊が、うっすら唇の赤を透けさせる。まるで宝石のような透明度だ。

「これはあんたへだ」

 眉間に皺を寄せて、しょうがないとばかりに薄く開けられた口につき込まれた球体が、やわやわと短い舌に優しく包み込まれていく。

「国永……あまり見るな」

 直球で飛んできた牽制に、へいへいと返しながら外した視線に厄介な男が映った。

「やぁやぁ、今日は千客万来なことだ」

「久しぶりだね。はい、君にはどっさり溜まっているよ」

 相性の悪い青江から渡された督促状の束に苦い顔をひとつして、国永は興味の欠片もないそれをテーブルに放った。なんの面白味もない手紙だ。かわりに棒つき飴を咥え、頰を膨らました間抜けな顔のままポストカードに見入る長谷部に問う。

「封書じゃないとは珍しいな。誰からだ?」

「乱だ。また遊びにこいとさ」

 飴を片手に微笑む表情を受けて、随分と鮮やかに笑えるようになったものだと思う。久しぶりにあの豊かな自然に囲まれたゆるやかな空間に身を置くのも悪くない。国永も、きっと他の三人も苦しくも楽しい思い出が詰まったあそこを思いのほか気に入っている。

 反対側でちらつく、ぬけるようなスカイブルーの詳細を大倶利伽羅に視線で問えば、「貞だ」と簡潔な返事が返ってきた。

「これどこだろうね?」

 興味深げに青江が問うと、「どこかわからないが、旅先からのようだ」と至極淡々とした声が答える。

「旅……いいねぇ。いつかはしたいものだ」

 うっとりと空想するような目をした青江は、オッドアイを細めて、「またね」と手を振り去った。

大倶利伽羅の前にはひとつ大きな封書が残された。ひとめで重みがあるのが見て取れるそれを褐色の手が持ち上げると、差出人が目に入った長谷部が呆けた声を出す。

「宗三からだな」

「はは、随分でかくて厚いじゃないか。熱烈な恋文か?」

「……そのようだ」

 からかうように言った国永の言葉に、開封し便箋を確認した大倶利伽羅から予想外の答えがなされた。

「え!?」

 国永の視界の端で長谷部は固まっている。面白くなってきたじゃないかと身を乗り出した国永は大倶利伽羅が封筒をひっくり返したことで、絶句した。

 ばさばさと吐き出され、積み重なった簡素な封書の山。

 よもや本気で宗三からだとは思っていないが、これだけの量に秘められた熱量はたいしたものだ。

珍しく躊躇して、けれど、好奇心に負けた白い指が一通ひっくり返すと、そこにあった差出人の名は、〝へし切長谷部〟
 いまだ呆然と固まったままの男のものだった。

 大倶利伽羅は消印をひとつひとつ確認し、仕事をするような手つきで日付通りに並べていく。ごくりと長谷部の喉仏が上下したのが視界の端で見えた。彼はもう飴を舐めることもできず、棒を持ったままかそけき呼吸をするばかりだ。開封されてしまっている封筒から褐色の指が便箋を取り出し、確認すると、また綺麗に畳み戻される。揺るぎない意思を感じさせる手つきだった。長谷部の震えるような呼吸が響くなか丁寧に確認していく大倶利伽羅は、はじめは微笑ましそうに口の端を上げ、次いでわずかに頰を染め、手紙の数が増えるごとに眉尻を下げ、最後には────歯を食いしばった。何かを読む時、人は無防備になるものらしい。常の彼らしくなく感情が剥き出しの表情を見ていれば、国永にも書かれている内容がわかる気がした。何しろ書いた人物の隣に、書かれた時期、ずっといたわけだから。

 ギリと歯が軋む音がした。時を遅れて届いた想いの欠片を突きつけられ、彼は己の不甲斐なさを噛み締めている。これだから残ってしまうものはこわい。国永は何も残したくない。

 ────だが、残したものが新たな形を生むのも確かなのだ。

 ガチンッと痛そうな音が響いた。大倶利伽羅の噛み締められた歯に飴玉をぶつけた長谷部がひっくり返ったような声を出す。

「こ、今度は、ぉまえが、も、もっと手紙をくれればッ……ぃぃ」

 ────ほら、だって、彼らはもうお互いに手をのばせる。

 琥珀を揺らした大倶利伽羅が優しく飴玉を迎え入れる。

「ぉ、お前も、俺がはらった、ろうりょくぐらい、書けばぃい……ばつみたいなものだ」

 くく、と国永の喉が小さく鳴った。

「…………よろこんで」

 棒を受け取りわずかに眉を下げて囁く男を前に、それは罰になるのかね、と国永は思う。

「……音読してくれてもいいぞ」

 いいことを思いついたとばかりに、ニヤリ、笑んで長谷部は言うが、飴玉を咥えた大倶利伽羅の口角が上がるのを見て、あーあ、と内心で嘆息する。存分に長谷部を甘やかす大義名分を与えちまった。

「本当に、もう、カラ坊を甘やかすな……」

「パパに似たんじゃない?」

 不意に背後から投げかけられた張りのある声に苦笑を返す。

「君も言うようになったなぁ」

「……ふふ、伽羅ちゃんが僕にお菓子の作り方を聞いてきた時の恥ずかしそうな顔、見せたかったよ」

 思わず目を見開いて、妙な笑いが浮かぶ口元を覆った。どうにも居心地の悪い空気を追い払いたくてわざとらしいため息を吐くと、楽しそうに微笑む光忠にオーダーをひとつ。

「にが〜い珈琲をいれてくれるか?」

「気があうね。僕もいまとっても苦い珈琲が飲みたいところだよ」

 手紙を処分するから渡せという長谷部と、宝物を隠したい子供のように頑なに抱え込む大倶利伽羅の間で交わされる攻防を眺めながら、賑やかなのはいいことだ、と国永は笑った。

 甘ったるくてやってられないが、こんな日も悪くない。

 光忠がいれる珈琲の豊かな苦味が加われば、────もっといい。

​発行20/03/2017

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