Kabuki actor
▷初春歌舞伎
チョーン、チョーン
拍子木がゆっくりと音を刻みはじめる。徐々に早くなり最後の音が響き渡れば、また新たな一年の幕が開ける。
今月の長谷部は短い演目「廓三番叟」のみの出演となった。
三番叟といっても形だけを借りたようなものだ。ベテラン遊女である傾城と若い遊女の新造と太鼓持ちが、戯れに廓で踊り遊びをするたわいの無い一幕。元は五穀豊穣を祈る儀式的な踊りが、舞台を世俗的な廓にしたことで、艶めいて華やかになるのが正月らしいし、歌舞伎らしいとも言える。
慣れた傾城役をいつものように美しい型にあだっぽい色気を含ませ、演じきる。いつもは凛々しい立役ばかりの光忠が、滑稽な太鼓持ちをやるのも見どころで、男前が戯けた仕草をすると、殊更チャーミングに見えるのだから不思議だ。
新年初めての舞台に、客席も和服の華やかな装いが多く、終始にぎにぎしい様子のまま、昼の部が柝の音で締められた。
芝居が跳ねて、楽屋に戻れば部屋子である弟子の倶利伽羅が何も言わずとも手を差し出す。
重たい鬘をとり、重ねられた着物を一枚一枚、助けられながら脱いでいく。手は止めないまま、終演後の挨拶にくる共演者たちへの応対を済ませ、襦袢姿で化粧を落とせば、やっと長谷部は男に戻った気がした。
作られた女から、長谷部国重というただの男に。
ふっと息を抜いたところで、暖簾をくぐって長身の男が入って来るのが、鏡越しに見えた。
「相変わらず良い踊りだったよ」
この男の口元はいつも薄く笑っているような気がする。それでいて、睨みを御家芸にしている家の人間だ、眼の表情は鋭く強い。
「お前も流石だな」
「初笑いがとれたようで何よりだね」
「ああいう役ばかりなら、お前も可愛気があるんだがな」
鼻で笑う長谷部に、おどけたように光忠は言う。
「舞台を降りると愛想のかけらもない太夫だ」
「どうせお前はこれから飲みに行くんだろ? 明日もあるんだから程々にしろよ」
「はは、美人なお姉さんに誘われちゃってね。本番に支障がでるようなことはしないさ。君がお酌してくれるなら、そっちに行くのに」
無遠慮に人の項に這わされる手を払い除ける。
また明日と手をひらひらと振って出ていく幼馴染みでもある男は、こんな世界にずっといるのに仕草が西洋風で外国人のようだ。軽薄なふりで煙に巻かれるのはいつもの事で、疲れている今は殊更癇に障る。
落ち着かない気持ちを持て余し、黙々と黒子に徹する物静かな男を鏡越しに眺める。光忠とは正反対だ。
早く一人になりたい。
いや、────二人に。
専用のなめした麻縄に手を伸ばす。
今日の色はやはり鮮やかに染めた緋色だろうか。華やかにいきたい。ああ、浅黒いこの男の肌は触り心地も張りも申し分ないな。黒緋色も似合いそうだ。
頭の後ろで手を組ませ脇晒縛りにすると、背面から梯子縛りにして、適度に筋肉の付いた背中に梯子状の飾りをつける。しゅっしゅっと擦れる音を響かせ続けた後に締め具合を調節し、満足して正面に回れば、日々の稽古で鍛えられた男らしい二の腕から脇にかけてが惜しみなく晒され、胸から腹に食い込む緋色が美しい。下半身も縛ろうか。
世間では特殊な性癖だと見なされるだろうが、この行為に快楽を見出しているかというと首を傾げる。
完成された自分だけの作品を作る達成感。己の身体が何かに支配されて、演じる毎に淀み溜まるものが、晴らされる感覚。身体の内で息を潜めるマグマが昇華されるのを感じるが、快楽とはまた少し違う。舞台を降りれば、スイッチが切れたように、ひどく無感情で不感症気味なのを自覚している。
だが、この男はどうだろう。
締め上げられ、一つの美しい彫像のようになりながら、にたりと嬉しそうに口角を上げた。
「変態」
髪の毛を掴みあげ、罵る。
近くで煌々と光る目は、光忠とはまた違った後味を残す鋭さがある。その目を覗き込んで感じる違和感。愉悦を含んだ獣の目のその奥にある蠢く熱は……。
「変態はあんたもだろ」
影のように付き従う男が久しぶりに喋った言葉に、思考が止まる。
「俺は、」
「あんたのように美しく気高い男に征服されるのは、とても気持ちがいい」
言葉を遮り、射抜くような目で見詰めてくる俺の犬。
こいつは犬だけれど、かしましい太鼓持ちのように俺を賛美する事はない。その寡黙さが気に入っていた。俺の無理な要求にも顔色を変えず、そう、従順に従えども、笑う事も言葉にする事もなかったはず。
「なぁ、とても気持ちがいい」
動けなくなり、行所なくとどまる手からするりと頭を抜くと、小指にかしりと歯を立てられる。
唾液が口の中に溢れた。
「上辺だけの欲を払ったところで、あんたは満たされないだろう? あんたの奥の奥にある従順でまっさらな部分に手を突っ込んでぐちゃぐちゃに掻き乱したい」
「あんたも気持ちよくなりたいだろ? 」
「俺があんたをぐちゃぐちゃにしてやる」
畳み掛けられる言葉に、はっはっと荒くなる呼吸音が煩い。
「なあ、長谷部。あんたが決めろ。この拘束を解くか、もっと縛り上げるか」
囃し立てる鈴の音が、頭の中でこだまする。
風雲急をつげる拍子が、加速していく────。
じっと玻璃ガラスのような目を見詰める。
ずっと機をうかがっていた。もうそろそろいいだろう。芸を盗む為に眈々と観察を続ければ、ひどく歪で気難しいけれど、中身は幼い事に気付いた。身体ばかりを成長させてしまった男。
舞台の上では何より完璧に演じる女を、この腕の中で粉々に壊してやりたい。
舞う時にはぴしりと指先まで緻密に制御される、そのたおやかに動く指先が、稚拙にかたかたと震えながら紅い紐の端に伸ばされる。
焦らされているのか、躊躇っているのか、ゆっくりと動く白い手にぞくぞくと背筋を快感が走り抜け、痛いくらい張り詰める己。
つかまえた。
その硬質な輝きを遂にとろめかす溶融炉の熱は俺の中に───。
くりへしワンライお題「初○○」
09/01/2016
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