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Kabuki actor

四谷怪談

 夜陰。太陽で暖められたぬるいプールで遊ぶ夢から、ふと物吉は目が覚めた。あたりはまだ真っ暗で、こんな時間に起きてしまうとはついていない。いつもの慣れた自室ではないことが影響したか、それとも叔父に勧められるがままに飲んだ炭酸飲料が原因か。普段は厳格な母が許さない味に少し浮かれて飲み過ぎてしまったかもしれない。暗闇に目が慣れたところで、しぶしぶトイレに立つ。

 夜目は利く方なので灯りは付けずに、暑くなってきたとはいえ、素足に冷やりとした感触を与える廊下を進んでいく。

 静かだ。静寂に染みを落とすように響く廊下の軋む音に重なって、遠く侘しい笛の音が聴こえた気がした。昼間見学させてもらった、叔父が演じる物悲しい女の幽霊が脳裏に浮かぶ。這うように迫る女……。思わず体を震わせる。無意識に足が止まっていたようだ。

 

 え? ────衣擦れの音が聞こえた。

 

 流石にこの歳にもなって幽霊などは信じてはいないけれど、こんな時間になっても叔父は稽古をしているのだろうかと訝しむ。

 見たい。叶うなら見て、あの叔父が持つ上手さの一端でもつかみたい。芸事は見て盗めというではないか。そう自分を納得させて、音が聞こえた叔父の私室の方に足を向けた。


 

 重たい襖を指先の力だけでそっと少しだけ割り開く。間接照明の明かりであろう朧げな光がもれる。気付かれぬよう細い隙間に顔を近付けた。


 

 薄暗い室内。乱れた襦袢を纏い、その上から後手に複雑に縛られて転がされた女。隣には一糸まとわぬ龍が這う褐色のたくましい男の背中。

 紅い襦袢、漆黒の縄、白い足袋、立ち昇る焔。

 ふたつの身体を玉になって伝う血のようなものは汗か。女のうなじに張り付く色素の薄い短い髪を認識して、はっとする。

 女は確かに、叔父──その美しさで人々を魅了する女形──長谷部国重、その人であった。

 混乱で冷や汗が吹き出すが、食い入るように見ることを止められない。

 女は這って、あぐらをかいた男の元にいざりよると、その股座に蛇のように顔を近付けた。ぱかりと開けた口から赤い舌をのばし、少し被る皮を脱がすように、唾液を湛える尖らせた舌で、ぐるりと傘を撫で、赤黒い屹立を薄い唇で食み飲み込んでいく。頭を動かし、口内に擦り付け頰がたわむ様が、欲深い。男を見上げながら、下生えに鼻を埋めるぐらい奥まで飲み込んでいく。水音を立てながら、一心に屹立を扱いて愛でる。

 あのいつもきゅっと引き結ばれた小作りな口が涎をあふれさせながら、限界まで広がっているのを呆然と目に映す。

 褐色の指に喉をくすぐられ、女が目を細めた。

 口がからからに乾き、喉が軋む。目の当たりにした叔父の艶の秘密に火がつけられたかのように火照る顔、脈打つ心臓、そして押し出された血が自分の性器にも巡るのがわかった。

 糸を引いて口を離した女が愛おしそうに男の雄を見つめ、はぁ、と吐息をつく。

 紅が滲んだ、てらりと光る唇からもれる色がついているかのように見える呼吸は、きっと湿って生暖かいであろう。つつうと幹を舌で伝い、陰嚢を唇で無邪気に愛でる。

 ああ、女が悦んでいる。

 すとんと理解した途端、唾液が口内にあふれた。

 白粉など塗らなくても、お前は白いなぁ。僅かに目を細めて叔父が言った、己の指が震えている。

 遠く祭囃子が聴こえた。

 稽古で散々、繰り返し繰り返し、飽きるほど反復したものが頭の中で回っているのか。

 ただ恐怖に震えるばかりなほど幼くはない、高ぶりを覚えるほどには身体は成長し、この家のものとして、これを見続けることの危うさがわかるぐらいには察している。

 何度も踏んだ舞の型をなぞるように、音もなく足を引き、踵を返した。



 

 



 

「ははっ、……あっ」

 

 解けた縄をまとわりつかせながら嗤う長谷部を背後から穿つ。綺麗についたくぼみに汗が溜まる様が喉の渇きを思い出させる。荒い呼吸と嬌声が聞こえども、長谷部は顔を見せない。白い背中と首のしなる曲線が女のようで扇情的で、もぞりと腹をくすぐるが、ちりりと細い指で抓られるような違和感が違う違うと臓腑を焦がす。

 苛立つまま、己を主張するようにうなじに歯を沈めた。

 硬い肉と奥に眠る骨が、押し返してくる感触。

 抵抗するように覆いかぶさる髪を掴まれ、しゃぶりつくざらざらとした襞に締め付けられるままに逐情していた。柔らかにすがりつくそこから雄をぐちりと抜き、白濁が溜まる薄い膜を乱暴に放る。かたかたと震える身体を返し、筋肉がさざめく腹を通り、女より己を煽る脚を辿る。日々の稽古で鍛えられたしなやかな筋肉を纏う脚。それは、女性的な肉の柔らかさとは遠く、柔軟な筋肉がつまっている。その稜線と日に焼けていない肌は、不思議な色香を醸し出し、割り開かれた襦袢から覗く陰影が雄を煽る。

 白粉の白よりも劣情を煽る輝くクリーム色。

 こはぜにかしりと歯を立て足袋を口で脱がせ、着物で隠れる内股に歯を立てる。

 きっと、痛いぐらいがいい。

 薄い皮膚の下の肉を好きなだけ食らう。

 くびれの下の骨をこりこりと食んでいると、くすくすと頭の上で笑う声がした。

「何を考えている」

「請われて添い遂げたのに、疎まれ、毒を盛られ、顔を崩され、憤死したのちに不貞の罪を着せられる女のことを」

「散々だな」

「ふふっ、そうだなぁ」

「今は俺のことだけ考えていろ」

 

「かわいい犬のことを……か?」

 

「あんたの誠実な男のことをだ」

 

 すらりと伸びた悪戯な脚が逸る己の茎を辿る。

 長い親指と人差し指を器用に使い、強いぐらいに扱き、硬い皮膚を持つ踵が軽く踏み付けてくるのに、喉の奥で呻く。

 ねとりと俺の身体を這う視線。煽られるようにその足を取り上げて、べろりとひとつ舐める。くすぐったそうに肩を竦めるのに笑って、犬のように舐めしゃぶる。

「ふははっ」

 笑え。笑うなら子供のように笑え。

 演じることを生業としているのに、驚くほど無口な俺達はひたすらに吐息だけを重ねる。

 あんたの空気を多く含んだ素の嬌声は耳に心地いい。

 足先まで美しい足をべたべたにしてやると、息も絶え絶えな長谷部が乞うような目をする。

 芸の肥やし? 違う。あんたがそうされたいんだ。男として虐げられたいんだろ?

 ひとつ悪い男の笑みを見せつけると、腕を引いて膝の上に閉じ込める。そして、おもむろに強い刺激を求めてふるふると震える長谷部の雄に手を伸ばした。

 この男を揺さぶりたいという本能のままに強く扱いて完全に立たせると、傍で遊んでいる柔らかくなめした縄を緩く巻き付ける。間近にある瞳を覗き込みながら、じわじわとその縄を手繰り締め付けを強くしていけば、そのかんばせが溶けるように歪んだ瞬間を逃さず手を止める。

 ぷつりぷつりと透明な液体がふくらとした亀頭の割れ目に浮かぶ様がいじらしい。

 んっ、ひとつ色っぽい吐息をもらした長谷部は、口角を上げて俺の雄にも縄を巻き付ける。遠慮なく締め上げられた陰茎はグロテスクに血管を浮き立たせた。喉が獣のようにぐるぐると鳴る。

「はっ、おまえも、な……んうっ」

 お互いに縛り付けられた雄が触れ合いしとどに濡れている絵に、ひどく燃え盛る熱をつけられた。衝動のままに二人の雄をつかみ、擦り合わせる。おうとつを確かめるように雁首を辿り、液体をまとわせながら強く扱く。

 赤黒く弾力のある俺の性器と色素が薄く硬い長谷部の性器の対比に、腹が空いたかのように唾液があふれる。それは、長谷部も同じようで細い頤を涎が伝い、ぼたぼたと雄に降り注ぐ。

 縄に阻害され、出そうで出ないもどかしい燻る快感が、永遠に続くような感覚。

「はっ、はっ、ああっ」

「ん、んっ、も、もうっ、んあっ」

 頭を振り限界を訴える長谷部が緩く扱き続ける俺の手の甲に、かりかりと爪を立ててから、はっとしたように指先でとんとんと叩く。そして、ゆらり揺れる指先は思わずといったように嬌声をこぼし続ける唇に吸い込まれた。

 指先を噛む仕草に、はしと手をつかんで離させる。

「あんたのはだめだろ」

 代わりに俺の指を突っ込み、ちゅぷちゅぷとかき回す。人差し指と中指を使って、上顎の襞をこそげてやると、嬉しそうに目を細める。口の中も感じる長谷部は、むず痒さを無邪気に俺の指に吸い付き噛むことで、愉悦に変える。もじもじとゆれる腰に気付いて、「入れてほしいか?」耳元で囁けば、もごもごとさせていた指を抜き、

「……壊して」

 小さく願った。

「よく我慢できた。いっぱいだそうな」

 まとわりつく縄は、もう邪魔だ。解いて、裸の二人になって、唇を合わせながら熟れた後孔にゆっくりと入り込む。

 それからはひとつの嵐のように、ひたすらに交わり合った。蠢く隧道を傘で割り開いて、中でぷるりとした違う感触を与える部分を執拗に抉り、吸い付く粘膜を荒らす。

 長谷部の好きな、孔がきゅうと締まる感覚を与えてくれる場所を繰り返し撫でてやる。

 何度も何度も種を吐き出し、溢れるどろりとした白濁をかきだしては入れる。種が薄く無垢な液体になるくらいまで攻め立てれば、

「もっ、もぅ、でないぃ!―――やっ、あっんんんっ」

 ぼろぼろと涙をこぼし、身も世も泣く子供。

 やっと泣いたな。

 下生えも陰嚢も擦れるぐらい、薄い尻に押し付けては抉る。うすらと白濁をまといながら、どこまでも貪欲にのみこむ、縁を赤く染めた孔を見やる。清楚な見目とは反対に、上も下も強欲に吸収する粘膜。けれど知っている、健気にとろとろと涙をこぼす雄蕊のような本質も。嗤う媚態の奥で泣く男を。

 そんなあんたをぐちゃぐちゃにしたい。好きなだけ泣けばいい。

 俺は知っている。なあ、決してあんたは女なんかじゃない。

「すべて見せろ……ふっ、あっあっ」

 腹から懇願に似た命令があふれた。

 けれど、まばゆい光に照らされて、この指が描く軌跡の美しさも痛いくらい知っている。泣きながらすがるように己にのばされた手をつかまえて指先を絡める。

 愚かな男が祈るように、はたまた許しを乞うように、指先に口付けを落とした。



 

 



 

 初日の楽屋はばたばたと空気が浮き足立つものだけれど、叔父に緊張は見られない。昼間の光の中で見る叔父はいつだって厳格で清廉さが先に立つ存在だ。

 

「何をお手伝いしましょう?」

 

「いや、まずは見て覚えなさい」

 

 部屋の隅に控え、化粧台の前に座り支度を始める叔父と、今はその龍を地味な色の着物で隠してしまった青年を眺める。

 部屋子として黒子に徹している青年は、舞台に上がれば艶のあるよく通る声と踊りと立ち回りの上手さを備え、その肉体が生む瞬発力には目を見張るものがある。

 だが、生粋の日本人らしからぬ褐色の肌と腕に彫られた龍が、幾ら変革を望まれる現代であろうと、いまだ古い体質の歌舞伎界に於いては異端児だ。けして、いい役にはつけないだろう。常々、何故彼のようなものが叔父の近くにいるのか疑問に思っていたが、正しく理解した。

 白と黒、男と女、老いと若さ、昼と夜、日向と暗闇、相反するものを内包してこの血は生かされる。

そうして輝く。

 口数少なく呼吸を合わせて支度を手伝っている様に昨日の余韻は見られない。ふと鏡越しに見つめ合う二人。手拭いを差し出す筋が浮く大きな手を、そっとなぞった白い指が、とんとんとふたつ、甲を弾く。ぴくりと揺れた肩。着物の下の龍が鎌首をもたげているかのような筋肉のさざめきを感じた。

 化粧をするため、叔父が襟を抜けば、遠目にもくっきりとついた噛み跡が目に痛い。それを無造作に刷毛が撫でていく。

 赤黒く残った印が舞台上では映える人工的な白で覆い隠された。

 慣れた仕草で色をのせ、叔父は女に変わっていく。

 小さな頃から楽屋を出入りする物吉はこの劇的に変わっていく様を見るのが好きだ。例えば祖父が迷いのない筆の流れで隈取りを描く時、その力強い男に変わる瞬間、正に目が孕む力が魔法のように変わってみえた。

 魔を払い、強さを示す朱。

 ところがどうだ、叔父の紅は何かを惑わす。

 眦、そして、唇に滲む血のような紅。

 知らぬ間に詰めていた息を吐き出す。



 

 少し、―――――見ているのがこわくなった。

大人のくりへしワンライお題「汗」

​05/20/2016                             

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