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​In the small box

Prelude

 



 

「長谷部をそういうふうには見られない」

 この手が柔く小さい頃から温め続けた想いは、相手に完膚なきまでに否定された。

「きっと刷り込みだ」残酷な言葉が耳の奥でがちゃがちゃと鳴る。いつか消えるかと思えど、尽きることなく湧き上がる想いを溢れさせた長谷部の告白は、なかったことにされたのだ。明確な線引きより向こうには行けなかった。ぶわりと燃え上がった怒りのあとに残ったのは、もの哀しい空っぽのこころ。

「そうか、っ気にするな……言いたかっただけなんだ」

 嘘つきな唇から漏れた、なんて陳腐な台詞。自分はうまく笑えていただろうか。本当は思う存分泣いてしまいたかった。そうすれば、優しい大倶利伽羅は止まらない涙を拭ってくれもしただろう。けれど、身体も戦闘技術も成熟し、兵器として完成された一人前の刀が泣いたところでどうなる。

 それは────彼が嫌いな弱さそのものだ。


 

  “ラット” と呼ばれる小さな肉体を得た刀たちが暮らし成長する居住空間の屋上で、貯水槽に寄りかかりざらつく樹脂で頬を冷やしながら、長谷部はひとり止まらない涙を持て余していた。

 握りしめ続け痺れを持つ手のひらを開いては閉じる。この手はこんなに大きくなったのに何ひとつ掴めなかった。養育者である大倶利伽羅と養い子である長谷部、ふたりの出会いから間違っていたのか。ぐちゃぐちゃに絡まった自問自答が続く。子は親を慕うものだから刷り込みに違いないと無視された行き場のないこころが、胸で震えている。彼は長谷部の気持ちを本物ではないと断じた。

 自分が所有者に認められたい願望が強い刀であることは、言われなくても己が一番知っている。へし切長谷部はそういう刀なのだ。けれど、違う。頑是ない幼子がする駄々のように、ただ違う、と思う。

 そして、ふたりの出会いを消したくないとも。

 長谷部という存在の始まりは彼とともにあるのだから。


 

 この器での “生” を与えられて初めて目にした景色は、自分を覗き込む鋭い琥珀色した宝石だった。褐色の腕に抱かれ水を吸い口から飲まされていた小さな長谷部は、少しの恐怖と綺麗だという素直な感嘆に包まれた。じわり、感覚が鋭さを増し、口の中に広がる冷たい水が喉を落ちていく感触と、遅れて舌に残るほのかな甘さに目を瞬かせた。徐々に鮮やかに奥行をもっていく世界で、左耳がずきずきと痛むのが鮮明になっていく。冷えた空気に肌をなでられ、小さな体がふるりと震えた。

 とく、とく、とく。どこからか音が聞こえる。

 ぶわりと頭に展開する情報のままに自分の名を紡ごうとした口は制御できず、吸い口から離せない。長谷部がいっしんに水を飲むさまを見つめていた琥珀が不意に細められ、きゅうと苦しいくらい強くなった腕の力。

 規則正しい音が速くなる。

 

 なんて、温かい────。

 

 こんな巡りあわせじゃなかったなら。だが、彼に育てられなければ今の自分はいない。脆く細い縁さえも絡まらなかったら、長谷部は違う長谷部になっていただろう。

 わけもなく首を振ると、左耳にはめられた記録装置が色あせた貯水槽の肌を打ち、かしりと間抜けな音がした。苦しく拍動する心臓と、反比例するように冷えた身体、細く詰まりがちな呼吸。バイタルを観測するこのピアスは、この器の急激な変化を記録している。

 けれど、この胸の内まではわからないのだ。この箱を観察する彼らには永久に。

 そして、大倶利伽羅にも。

 冬晴れの空を見上げる。つうとこめかみを伝った涙が、またひとつコンクリートに落ちた。彼の、少し体温の高い、力強い腕を、なかったことになんてできるはずもないのだ。

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