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​In the small box

Awakening

 

 



 

 居住空間の中央に位置する公園に向かう道すがら、遠く雷の音が聞こえた気がした。部隊長である長谷部は時計台を確認して、指定の時間にはまだ早いな、と歩く速度を緩めた。時を渡る門である遊具──何を模したのかわからないトンネルを内包した山型の遊具だ──はこちら側からは操作できない。観察者によって決められた時間にしか作動しないのだ。

 春雷が耳から忍び込んでくる。春雷とは正確には春の訪れを告げる雷だったと思うが、季節が流れていかない場所ではなんと言ったらいいのだろうか。

 隣でそわそわとしたさまを隠しもしない包丁に目を細めて、きっぱり否定されたというのにここにはいない大倶利伽羅の音を未練がましい己の耳が探していることに気づく。彼の生命の躍動を。長年代わりを担っていたメトロノームは随分と前に壊れてしまって、そっと焼却炉に入れた。本当はこの想いも手放さなければいけないのかもしれない。温かな恋心が、苦しくなったのはいつからだろうか。ただドキドキと暴れるばかりだった心臓が鋭く締め付けられるようになったのは。

 嵐の夜に、居間でうなだれ震える背中を見た時だろうか。

 

 雷の音で目が覚めてしまった長谷部が光が漏れる襖を割り開くと、隙間から見えた光景。寝たら起きないと思っていた彼が深夜に起きていることも、あんなに悔しそうな横顔も初めて知った。卓の上に置かれた、見慣れない白いマグカップが不思議と印象に残っている。ものの質感を触って指で確かめる癖がある彼が、指先で陶器の縁を辿り視線を落とすその仕草が、己の身体を震えさせた記憶がよみがえる。長谷部は彼の背中を温めたいと願う心臓を震える手で抑えたのだった。

 それとも、成体になるのもあと少しという、人間でいうところの青年の姿に成長して初めて同期の四人で演練に出た時だろうか。

 

「揃いも揃って大きくなったもんだね」

「お前がいうことか」

 次郎と軽口を交わしながら圧勝に終わった試合から引き上げると、待ち受けていたのは目を細めた大倶利伽羅で。

「よくやった」

 その言葉に、長谷部の目線にある柔らかな表情に、頰が熱くなった。誤魔化すように近くにいた燭台切の影にすっぽりと隠れると、察した燭台切は苦笑して何事もなかったかのように戦いぶりを説明した。燭台切の背中越しに聞こえる低く掠れた相槌に今更惜しむような気持ちになって、飛び出していきたい衝動を唇を噛むことで抑えた。大倶利伽羅を独り占めしたいという、自分では制御できない欲望が長谷部の身体を震わせた。

 

「……長谷部くん、好きなんだろう?」

 習慣になっている屋上でのひとときに、大人びた表情をするようになった燭台切が唐突に言った。世話をし続けた球根は春に季節が固定されてしばらくすると芽を出し、視線の先で今もすらりとその背を伸ばしている。小さな頭を覗かせたのを見つけて、「だから、言ったでしょう?」と笑った江雪のしたり顔に鼻を鳴らして返した記憶も新しい。

 主語のない問いに何を? とは言えなかった。勝手に頰が熱くなり、おさなごのように口元をまごつかせた。

「ふふっ、長谷部くんは可愛いひとだ」

「馬鹿にしているのか?」

「まさか、純粋な賞賛さ……羨ましいのかもしれない。僕にはわからないものを持っている君が」

「……ただ…苦しいだけだ」

「そうかな? だから君はこんなにも強い」

「そんな、綺麗なもんじゃない……」

「長谷部くん……大丈夫?」

 大丈夫。なんてあやふやで、気遣いに満ちた言葉だろう。

「大丈夫とはなんだ? 誰に言っている」

 わざと悪い顔で笑ってやれば苦しげなため息を返す燭台切に、本当に大丈夫だと手を振り長谷部は屋上をあとにした。

 あの時はこの想いを告げる気がなかった。しかし、いつかは消えるかと思っていた恋慕は消えなかった。むしろ膨れ上がって醜い欲に変化した。ただ一緒に暮らせればいいと素朴に思っていたのが、身勝手な欲望に変化したのを自覚した長谷部は、尚更いいこでいようと努める嘘つきになったのだった。

 子供が正直なんて嘘だ。無意識に目的のためなら嘘をつく。淡い想いのまま終わらせられたらよかったのに。


 

 時間通りに降り立った戦場で斥候らしき敵を仕留めると、珍しく居住空間と同じ天候の空を見上げて包丁が口を開いた。

「この体に雷が落ちたらどうなるの?」

「手入れ部屋だな」

「あそこ暗くて寒いからやだ」

「死ぬよりいいだろう」

言いながらも刀剣男士の死とはただの破壊で、惜しむようなものではなかったかと自嘲する。

「……ひらけた戦場で刀を上に掲げたら落ちてくるかもな」

「ひぇっ」

「お前は小さいからその前に次郎に落ちるさ」

「ひとを避雷針にしないでおくれよ」

「御神刀だから雷も次郎は避けるちゃ。雷ははやかもんもすいとー。俺と長谷部も危なかね」

「んん〜、博多は可愛いね。そこのガサツな奴とは違う」

「次郎ん手入れは時間のかかる」

「あら、現実的! く〜、飲まなきゃやってられない!」

「ただの口実だろ」

 森の奥を伺い「新手だ。二体」と後藤が囁く。

「よし、まずはお前たちで行け」と短刀は小さい体を与えられるものだが、その標準よりも幼い彼らを先に行かせる。慣れ切ってしまった戦場で、感じられる敵の気配もいつもと変わらない。

「データをとるためとはいえ、同じところばかりぐるぐるするのも疲れるね。……大丈夫? 顔色悪くない?」

 すうと近寄ってきた燭台切が肩でぐいぐいと長谷部の身体を押しながらこちらを覗き込む。

「いたって元気だが」

「嘘つき」

「好きに言え」

「……頑固」

 大仰なため息をつき、「彼らの手並みは見事なものだ」と燭台切は話題を変えた。

「あの一生懸命さ、見習いたいね」

「…なんだ? 腑抜けているのか? 帰ったら乱に尻を叩いてもらうか?」

「もう! すぐにまぜっ返す」

 わかっているとでも言いたげに目元だけで笑って、そっと長谷部の前髪を梳いてから燭台切は駆け出した。残された長谷部は照れ隠しに頭をぐしゃりとかき乱してからあとを追った。まだまだ戦闘をこなさなければいけないと気合を入れ直す。

 

 長谷部たちが暮らす名前ばかりの本丸という場所が、実験施設だと知ったのは包丁の養育者になった時だった。

 長谷部、燭台切、江雪、次郎を集めて、本丸の成り立ちを説明した加州は気丈に笑みを浮かべながらも、赤い唇から漏れる音に潜む苦しさは隠しきれていなかった。ここは霊力を含んだ水という、生きた審神者から注がれるよりも遥かに力の弱いエネルギーで、いかに肉の器を効率よく運用するかを実験している箱だと改めて明言した。その為に小さな器から育て慣らしていくという過程を取っていると。そして 、“実験” というのは薄氷の上に立っているようなもので、観察者が望むような数字と結果が残せなければ、突然打ち切られることもあるだろう、と。

 小さな身体から育てる特殊性は理解していたが、本丸存続の危うさには初めて思い至った。強さという結果を出し続けなければ、この検証自体がすぐに破棄されるだろうことを説明した加州は口元を歪めた。

 政府も結果の伴わない実験に予算を割くほど余裕はないらしいってさ。

 初期刀である彼が張り詰めた空気を纏う理由を知った。大倶利伽羅が強さを求める本当の訳も。長谷部たちがここに在ることを証明するには、戦い勝ち続けるしかないのだ。

 思い出される、誰かが傷を負うたびに揺れる琥珀色の瞳、手入れ部屋に向かうものを見送る褐色の拳、きっと大倶利伽羅は失くすことを恐れている。長谷部は彼の重荷を分け合いたい。孤高の背中を温めたい、と不相応にも望んだ。

 

 本丸に帰ればあたりは晴れ渡り、遊ぶものなどいない遊具も見事な夕暮れに染まっていた。戦場との違いに目が眩む。

 否定された想いは忘れるのが最善の策だと知っている。長谷部は大倶利伽羅を困らせたいわけではない。だが、いつまでたっても忘れられない。ふとした瞬間、彼の音、匂い、仕草、表情、色が思い出され長谷部のこころを遥か攫って行ってしまう。

 いつか忘れられるのだろうか。

 鮮やかな赤に包まれ、しくんと腹が痛んだ。




 

 この間から季節が夏に固定され、不快さに苛立つのを抑えられない。いや、湿気と気温のせいだけではないだろう。睡眠不足と、それに伴う疲れだ。包丁が眠ることを急に嫌がるようになったのだ。寝かしつけるまでに毎回苦労し、その上、夜泣きもひどい。意識のない包丁は眠りながら悲しそうに泣くものだから、こころも身体も疲弊していく。加えて出陣回数も増えている。今日も出陣し散々戦ったが、帰ってから同じことが待ち受けていると思うと足取りも重たくなる。

 

「今日は早く寝ろよ」

「やだ」

 風呂に入ってこざっぱりとした包丁はつるりとした頰を膨らませた。

「万全の体調で戦う為にも早く寝ろ……何が嫌なんだ?」

「言いたくない」

「言わなければ解決できないだろう!」

「誰にだって言いたくないことぐらいあるだろぉ! 長谷部のばか!」

 潤んだ瞳に見つめられ何も言えなくなった長谷部が思わず舌打ちをすると、包丁が肩を揺らした。

「……すまない」

 とりあえず夕飯の支度をしなければいけないと内心で言い訳しながら、逃げるように背を向けた。

 何を注文したか思い出せないが、発注した食材は入っているはずだ。ああ、頭が回らない。何か簡単なものでいいか。自分ひとりなら食べなくてもいいのに。

 ぐらぐらと揺れる頭を抱えて冷蔵庫を開けると、漏れる冷気にほっとしたのもつかの間、長谷部は絶句した。

「はは……なんだよ、もう……」

 ぎっちりと並ぶ保存容器、中には様々な惣菜がいっぱいだ。

眼窩が熱を持つ。きっと出陣している間に大倶利伽羅が置いて行ったのだろう。彼自身忙しく出陣する身だというのに。

 なんて残酷な優しさ。ひどいひと。

 長谷部はうなだれ、目元を覆った。

「どうしたの?」

 喧嘩していたことなど忘れたように、脇の下から顔を出して包丁が訊いてきた。こんなところが憎めない。

「……何が…食べたい?」

「あっ大倶利伽羅さん? 俺ね、それ、煮玉子! 好き!」

「ぅん……俺もだ」

 ────大倶利伽羅

 彼を忘れることなどできるはずもないのだ。

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