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​白桃の頃

「はい、きみのぶん」

 目の前に差し出された、見事に膨らんだ桃丸ごと一個を戸惑いを込めた目で見つめる。

「隣のおじさんがね、また沢山おすそ分けくれたんだけど、桃は足が早いから今日は一人ノルマ二個ね」

 大倶利伽羅はもらった経緯よりも、なぜそのまま渡されたかが気になっていたのだが、目の前で穏やかに笑む光忠には通じなかったらしい。さわりとした細かな毛の感触と水分が詰まっているのがわかる重さ。良く冷えていて、走り込みのあとでは尚更おいしそうに見える。そのまま食えと言うなら別に文句もない。縁側に座り、俺よりも白く薄い血管が透けて見える頬のような皮に爪を立てて剥く。

「おいおい、そのままがぶりといけよ。桃の皮は食べられるんだぜ」

「ええ~、僕は感触がいやだから剥くよ。ごみはここね」

 大きな麦わら帽子と長袖で完全防備の国永が横から覗き込んで言う言葉に純粋に驚いた。誰に聞いたわけでもないのに、桃の皮は食べられないものだと思い込んでいたことに気付く。中途半端に剥かれた桃を口に近づければ、しっとりと湿度を含んだ甘い匂いがした。唇に当てたところで少し躊躇する。柔らかにくすぐってくる毛が歯を立ててはいけないもののように嫌悪感を催させるのに、ちらりと覗く甘露がしたたる果肉が食らいつけと舌を誘う。

「きみも皮ごと食べちゃうの?」

「剥くのが面倒くさい」

 自分でも咀嚼しきれない感覚で考え込む俺を置いてきぼりに、白と黒の男を挟んだ先で青紫の目をした男はなんとも横着した理由で果実にかぶりついている。国重の薄い唇に食まれ肉を取り去られたあとには、綺麗な歯型の残るじくじくとした断面。じゅうとあふれだした汁は光を反射しながら掌を伝い肘までたどり着く。幼子のように口の周りもべたべたにしているのを見て、国永と光忠が笑うのがどこか遠く聞こえた。

「ああ~服で拭かないの! タオルが必要だね」

 国重は叱られても気にするそぶりを見せず、せかせかと席を立った光忠を尻目に、さくりさくり、迷いなく喉を潤し手の中にごろんと核のような種を出現させると、足りないとでもいうように薄く紅い舌で唇を拭った。

「こいつは……なんで桃は切って出されるのかわかったな」

「はは、お前の白い服も台無しだな。どうせお前が元凶だろ。まとめて怒られろ」

 濡れた指をぷらぷらと揺らし、国永と子供のように笑いあう国重。蛇が腹のなかでのたうつような感覚を感じながら唾を飲み込んで、和やかな談笑を背に眩しい日差しの下に歩みを進めた。

「おーい、走り込みもほどほどにしろよ」

 本当は走り出してしまいたいのかもしれない。緊張しているかのように強張る脚で気が済むまで歩き、冷やりと湿った空気が漂う林の中ほどまで来たところで大きな幹に背中を押し付ける。握りこんでしまった桃にはくっきりと指の痕がつき、燻る熱に煽られて衝動のままにぶちりとその皮膚に歯を立てた。少しぬるくなった甘い果肉を咀嚼し汁を啜れば、潤う喉に満たされる腹。けれど、最後まで口の中に残る皮のざらついた感触と苦味が神経を逆なでする。半ば食べたところで我慢が利かなくなった。掌から落ちた桃が地面でぐずりと潰れ、踝まで跳ねた蜜の感触はとろりと。汗で貼りつくジャージと下着を纏めて下ろし、頭をもたげ始めている性器に手を這わす。汁まみれの手で煩く鳴く拍動の勢いのままに血管が浮き立つ幹を扱く。甘い匂いが鼻をくすぐり、滑り良く動く手に合わせて、ぐちゅりぐちゅりとした水音が耳を打つ。

「はっ、はっ」

 歯を食いしばり俯いた先で、完全に頭を出した亀頭の先から透明な液体が糸を引く。弱い雁首をたどり手のひらの硬い皮膚で鈴口をこねれば、意図せず腰が揺れた。こめかみを伝う汗も、唇からこぼれる唾液も、際限なく性器から滲みだす液体も、全て地面に染みていく。視界の端で転がる桃が、実習映像で見た人体の断面と脳裏で重なるそばから齧り付く男の唇に変わった。冷めた寒色の瞳で肉を食む男。ぐずぐずに熟れたぬるい肉の感触。舌に絡みつく甘さ。口内に貼りつく皮膚。痺れるような快感が背筋を駆け抜けていく。せりあがる精嚢を左手で揉みこんで、熱く反り返った棒を扱く手が加速する。あの男の肉も熱いのだろうか。

「あっあっあっ、……んっ、くっ」

 びゅくりと勢いよく吐き出された精液が眼前に広がる鮮やかな緑を汚して、もたりと流れた。緩く往復する手に押し出されてぼたぼたとこぼれる残滓に、潰れた果実を凌辱する蟻の群れが包み込まれた。溺れもがく小さな存在の戦慄きを目に映してから、目を閉じ大きく息をつく。制御できない熱を吐き出してしまえば、残るのは後ろめたい罪に似た塊だ。生臭い匂いが鼻をつく。喉に引っかかる皮と相まって不快感に舌打ちをした。

 雨がふればいいのに、埒もなくそんなことを考えている。

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