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Date

Stray sheep

『喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい』

 

 少し黒ずんだパソコンのスイッチを押し、重たい眼鏡をかけて椅子を軋ませながら煙草に火をつけた。なかなか立ち上がってくれない揺らぐ画面を目に映し、頭に浮かぶ言葉。

 仕事で疲れた身体を引きずって歩く帰り道、深夜でも道標のようにこうこうと灯りのついた教会の前で、その言葉を見た時、胸を満たした何か────虚しさ。

 街はいつの間にか聖夜の装いでそわそわと明るく浮かれ出し、遠方に血の繋がらない縁者がいるのみで、特別に親しくしている友人も恋人もいない身が仲間外れに思えた。一緒に喜んだり泣いたりしたい相手がいない人間には楽し気に輝く風景すら遠く冷たいものだ。

「仕事だけあれば、生きてさえいければいいと思ったのにな」

 ブラウザを開きキーボードの上で指を彷徨わせたあげく、「デートクラブ ゲイ」と打ち込む。

 性を自覚したころにはもう長谷部は男性にしか興味がなかった。けれど、その思慕はいつも淡く灯り、ふっと諦めと共に消えていくもので、潔癖気味な気性も相まってか実際、誰かに欲を持って触れたことはない。ただ、線の外側から眺める世界。真面目に独り立って生きていく為に歩んできた長谷部は二十代も後半に差し掛かかって、急に堰を切ったように寂しくなったのだ。

 誰かと手を繋いでみたい、そんなささやかな願いを抱えて。

 クリックしてはスクロールを繰り返し、有象無象の中から幾分信用できそうなサイトにやっとたどり着く。しっかりした会員登録をしてからではないと相手の写真を見られないシステムと高い入会金は一見を拒否しているようで、いまだマイノリティである故に当然かと思う。大っぴらにすることのできない事実が今更にのしかかる。個人情報を入力し、少しのためらいの後に送信ボタンを押した。

 とりあえず覗くだけ。そんな心持ちでページを開いてずらり並んだ顔写真に圧倒される。目元をぼやかされてはいるが、それでも見目が整っているのがわかる煌びやかに口元を笑みの形にした男たちを前に、ずれた眼鏡を直して嘆息する。

 どこを見たらいいのか、彷徨う視線がある写真で止まった。褐色の肌に薄い唇の青年。きゅっと結ばれた唇は意志の強さを表しているようでいて、なだらかに下がる眉はどことなく柔らかい。ブイネックから覗く鎖骨にかかる赤く染められた毛先の流れに目を奪われる。

 ふらふらと誘われるように人差し指に力が入り、溢れた雨だれのように欲を伝えた。



 

 普段は来ないようなデパートの前で、白い息を吐き出しながら緊張で強張る手をさする。素顔すらわからない青年の写真で一目惚れといってもいい状態に陥った長谷部は、勢いで予約申し込みをしてしまったのだが、今になって怖気ずく。自分は初対面の人間と会話を弾ませられるほど口もうまくないし、和ませられるような笑顔も持たない。いや、長谷部は客であるのだし、手を繋ぐのは無理でも青年を間近で見られるだけでも眼福なのではないか。

 それだけでもいいではないか。

 表情にはおくびにも出さず、俯き考え込んでいた長谷部の視界に使い込まれたスニーカーが入り込む。はっと上げた目に映る金色。ちょうど目線の高さにある深みを持った瞳とぶつかりたじろぐ。宝石のような透明感を持つ目が真っすぐにこちらを見つめている。

「あなたが長谷部さんか? 待たせてすまない」

「は、はい」

「大倶利伽羅と言う」

「はい」

「……ため口でかまわない。彼氏でも友人でも好きなように扱ってくれ。その代わり俺も好きなようにする。で、どうする?」

「あ、ああ……あの、友人からお願いします」

 くふっと男らしい稜線を描く唇が緩む。

「あんたの方が年上だろ。便利屋みたいなもんだ、こき使ってくれ」

「ああ、」

 さっきから頭の悪い返答しかできない。何故だ。仕事中は理論で相手を泣かせることもある俺がとんだ腑抜けだ。

「あんた……見た目と中身が随分と違いそうだな」

 これは馬鹿だと思われているのでは……。

 飛んだり跳ねたり忙しい心臓を抑え、今日一日もつのだろうかと眉を下げた。



 

 脳内で反省会を開きながら、とぼとぼと力ない足取りで家路につく。胸の内でわたわたと踊っていたら、あっという間に逢瀬は終わってしまった。

 ぎくしゃくしながら街を歩き、うわの空で定番の映画を観て、会話を弾ませることもできず、もりもりとご飯を食べて貴重な時間は終わってしまった。初めてデートをするということで頭がいっぱいで何の計画もたててこなかったことが敗因だ。青年も客商売をしている割には寡黙で、しかし、先回りしてエスコートする仕草は洗練されていた。不良っぽい外見とは反対に纏う空気と気遣いはとても優しい。

 変な客だと思われたかもしれないが、長谷部にとっては夢のような時間だった。誰かと肩を並べて街の喧騒を縫う。こちらを見守る瞳、先を促すように漏れる柔らかな相槌。思い返してやっぱり、よかった、と吐息をこぼす。

 いつもの教会が近付き、最近では占い気分で眺めている聖句が目に入って、脚が止まる。

 

『神が私たちに与えてくださったものは、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊です』

 

 目を瞬かせた長谷部は噛みしめるように歩き出し、徐々に踊るような足取りになって家路を急ぐ。たどり着いた無機質なマンションの一室で、大倶利伽羅、大仰な源氏名を口の中で転がしながら次の予約を取り付けていた。


 

 大倶利伽羅から指定された待ち合わせ場所である駅の改札口で長谷部は戸惑っていた。事前のやりとりで、今度は俺が決めていいか、と言った青年は待ち合わせ場所に続けて、動きやすい格好で、と指定をした。目の前にあるのは観光地化した都内では珍しい山。登山? と内心首を傾げたところに今どきの若者らしいぴたぴたのスパッツみたいなものにショートパンツを重ねた山登りスタイルの大倶利伽羅が姿を現した。

「待たせてばかりだな……一応俺も時間より前に来ているんだが」

「落ち着かなくて……すまない」

「謝ることじゃない。行くか」

「山登りか?」

「ああ、たまには身体を動かすのも悪くないだろ? 疲れたならロープウェイもあるしな」

 こくこくと頷き、リュックを背負った背中を追った。

 

 登山家には鼻で笑われそうな低い山でも、運動不足な会社員には堪える。せわしない呼吸で口の中に湿った土の香りがむわりと広がる。のたりのたり付いてくる長谷部を、青年は時折振り返っては待ってくれた。

「焦らなくていい」

 少し先からこっちを見やる大倶利伽羅が、また道の先を向けば、足元に視線を落としていた長谷部はその後ろ姿を見つめる。葉が様々なグラデーションを描いて色付いた山は綺麗だ。だが、それ以上に木々を背景に軽々と山へ分け入っていく青年の姿の方が美しい。何がそう感じさせるのか。彼のきゅっとひきしまったふくらはぎだろうか。揺れる赤を孕んだ毛先だろうか。捲られた袖からちらりと覗く鱗状の刺青のせいだろうか。大昔なら、この若々しい身体は森に隠されていただろう。そんな確信すらする。

 馬鹿みたいに見惚れていた長谷部の方を急に振り返り、大倶利伽羅が手を差し出した。

「ほら、あともう少しだ」

 あまりにも自然に与えられた大きな手を見つめ、彼は天の使いではないのかと半ば本気で長谷部は思った。こわごわと触れさせた手は少し汗をかいていて、生々しさに身体を震えが走る。ぐうと導かれるように引っ張られて、力が強く汗もかく野生的な匂いのする褐色の天使を想像したら、息は苦しいのに楽しくなってしまった。



 

 長谷部はなぜか今、たくさんの犬猫に囲まれている。ソファに座る自分の膝の上にも、足元にも、離れたところにある戸棚の上にも、毛玉、毛玉、毛玉。

 手を引かれ夢心地のまま山登りを終えた長谷部はついポロリと、なんでこの仕事を? とプライベートな質問をしてしまった。天使がなぜ自分の前に現れたのか、気になってしまったのかもしれない。大倶利伽羅はなんのためらいもなくするりと答えた。

 動物を飼っているので餌代と医療費がバカにならない。学生でもあるから短時間で稼げるバイトを探していたら、信用している知り合いがやっているこのデートクラブで働くことになった、と。

 なんて優しい。やはり天使か。

 小さな動物と触れ合う機会もなかった長谷部がポツリとこぼした「いいな」という言葉に、ことも無げに青年は答えた。

「うちに来るか?」

 元は祖母の持ち物だというこじんまりした平屋建ての一軒家は、それはそれは賑やかだった。ここまで多いとは思っていなかったので最初は面食らったものの、柔らかい毛玉に囲まれて今は絶賛癒され中なのである。

 

「あんた、捨て犬みたいだ」

 隣で含み笑いをこぼした青年がそんなことを言う。

「臆病にこちらを伺う視線がそっくりだった」

 普段そんなことを言われたことはない。どちらかと言えば長谷部の目はきついと言われる方なのに。天使の目には全てが仔羊に見えるフィルターでもかかっているのだろうか。見つめ合う二人の間に割り込んだシュナウザーが長谷部の手に頭を擦り付ける。落とした視界に腕時計が映った。

「もう時間が、帰らないと」

 天使を拘束できる時間は、もう終わりだ。

「この家に招いた時から仕事はとうに終わっている。泊まっていくか?」

「へ? いい、いい」

「抱いてやろうか?」

「いやいやいや!」

「そう言うな、肌を合わせるのは気持ちいい……ああ、抱きしめて眠るだけだ。新しく迎えてやった奴はいつも一晩抱えて眠る」

 び、びっくりした。そういったことまでオプションであるのかと思ってしまった。いや、本当はあるのかもしれない。仕事外にしてくれるとは、なんて商売っ気のない青年なのだろう。

 

 その後、淡々と明日が休みで何の用事もないことをや一人暮らしで寂しい生活を送っていることを聞き出されているうちに、甘い誘惑に負けたのか、強く抵抗することもできずに流され泊まることになってしまった。あまりにも好待遇すぎて、天使ではなく堕天使の可能性が出てきた。

 押し込まれた風呂から上がり、ぴったりサイズが合う借り物の部屋着を纏って寝室を覗き込めば、気づいた大倶利伽羅が大きなベッドの傍を叩く。おずおずと近寄った長谷部が「ここにはあいつらはいないんだな」と問うのに、「寝室だけは別だ」と返す青年はなぜだか少し嬉しそうに見える。ゴクリと唾を飲み込んで、そろり端っこに滑り込ませた長谷部の身体は瞬時に熱く硬い腕に包み込まれた。

「ひっ」

「どうだ?」

「……す、少し気持ち悪い」

「ふっ、そんなことを言う奴は初めてだ……そうだな、あんたは動物とは違ったな」

 凪いだ目をして解放してくれる。衝動的に離れていく手を捕まえて指先を握る。

「……でも、ちょっとだけ」

「そうか」

 向かい合い、あけ渡された手を握りしめ、手のひら分だけの熱を刻みつけた。やがて下ろされた瞼の描く曲線を飽きるまで見つめていた。



 

 早朝に家路に着くのは初めてだ。いつもとは逆に道を進みながら、熱い息を吐き出す。

 朝、目が覚めて目の前にある天使の安らかな寝顔に何もかもがいたたまれなくなり、大した感謝もできずに出てきてしまった。

 ひとり百面相しながら歩く長谷部の視界に朝日の中ではいつもより地味に教会が映る。ちょうど誰かが張り紙をしている後ろ姿が見えた。振り返った男性と目があってしまって、思わず会釈を交わす。全身真っ白で色素の抜け落ちたその人は、にっと少年のような笑顔をひとつ残して大きな扉の向こうに消えてしまった。

 この世には天使がたくさん使わされているものなんだろうか。ぽかんとした長谷部の目に今日の聖句が飛び込んでくる。

 

『求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。門を叩きなさい。そうすれば開かれる。』

 

 別れ際、肩に猫を乗せた芸術的な寝癖のままの青年に渡された紙切れを思い出す。「次からはこっちに連絡してくれ。またな」掠れた声でそう言った彼の唇。くしゃりとメモを思わず握りしめた。

 やっぱり、あの美しい青年は神様が使わした御霊なのでは? 

 長谷部は天に繋がる小さな鍵を無くさないように、背中を丸め急いで連絡先を携帯電話に登録した。登録名はもちろん「てんし」だ。

 

 

くりへしワンライお題「デート」

​09/12/2016                             

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