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Dog or Cat ?

 最近お気に入りの犬の話をしよう。犬というと語弊があるかもしれないが、捨て犬のような目をして大倶利伽羅を見る男の話だ。長谷部国重だと最初から真っ正直に本名を名乗った男と出会ったのは、デートクラブという特殊なサービスの客と従業員としてだった。人目を惹く涼やかな容姿の男はしかし喋りだすとどこかぎこちなく、最初はそのちぐはぐさに大倶利伽羅は興味を持ったのだった。そして、二回目に会った時にはこちらを伺う視線にもうほっとけないものを感じてしまっていた。大倶利伽羅が見返せば逸らされるのに、視線を外すとちらちら熱心に見てくる潤んだ藤色の瞳は過去に接してきた幾多の捨て犬たちのようで、怯える仕草に思わず手を伸ばしてしまったものだ。臆病に震える犬にはゆっくり段階を踏んで接することが大事だと常々大倶利伽羅は思っている。少しずつ距離を詰め、客と従業員がただの友人へ、お互いを呼ぶ音も長谷部さんから長谷部、大倶利伽羅からくりからへ柔く変化した今、己の手の届く範囲にいるいたいけな生き物にどうやら自分は機嫌がいいらしい。昔から様々な動物と暮らしてきた大倶利伽羅は、縮こまって硬くなった身体を柔らかな毛玉に変えるのが好きなのだ。

 

「最近、機嫌いいな」

 大倶利伽羅の家に避難している犬猫の里親探しを手伝ってもらっている教会で、かつてその嗜好を「いい趣味してるぜ」と揶揄った白い男に指摘されて初めて、大倶利伽羅はやっと浮き足立つこころを自覚したのだった。見た目だけなら聖職者にぴったりだが、内面は神様なんて信じちゃいない教会職員の鶴丸国永に促されるまま、緩くなった口から最近の出来事をこぼしてしまった大倶利伽羅は迂闊にも乗せられてしまったと苦虫を噛み潰す。

「……イエスは子供の手を取って、『タリタ・クム』と言われた」

 常に愉快犯であろうとしている鶴丸に面白そうな顔をして告げられて、信心の欠片もない大倶利伽羅は訝し気な顔をした。

「病気で苦しむ寝たきりの娘に『少女よ、起きなさい』と言って、立ち上がって生きる道を示した、とさ」

 そういうことかね、と意地の悪い笑みを浮かべて言うのに大倶利伽羅は憮然と返す。

「俺は神様なんかじゃない」

「そうさな、ちゃんと欲を持つ人間だ。続報待ってるぜ」

 続けられたおざなりな「幸あれ」の言葉に鼻を鳴らして踵を返した。無駄話はしていられない。休日の今日は長谷部が家に来る日なのだ。



 

 昼間からカーテンを閉め切り生き物たちが蠢く薄暗い部屋で、ふたりは密やかな吐息だけをこぼし、ソファに座って子供だましのアニメ映画に見入っていた。正確に言えば見入っているのは長谷部ひとりで、大倶利伽羅は局面の度に呼吸で感情を伝える光に照らされた横顔を眺めていた。慣らしていくには観察がまず大事だ。データの積み重ねが次の一手を決める。

 今までにわかったことと言えば、長谷部は締まった身体の割にはよく食べること。美味しいものを食べると瞬きが多くなる。しっかりしているように見えて(実際仕事はできるらしい)世間知らずなところがあること。今日も手土産として持ってきたチョコレートが犬猫には毒だと知らなかったようで、藤色を見開いた後、見事にシュンとしていて内心おかしくて仕方なかった。チョコレートをつまむ度に周りを警戒し、慎重に缶の蓋を閉める様なんていじらしすぎて困ったぐらいだ。そして、集中してしまうと周りが見えなくなること。今も沢山のダルメシアンが溢れる映像を前に口をほかりと開けて、無意識に膝の上の黒猫を撫でている。隠すことなくじろじろと大倶利伽羅が見ても気づきやしない。ふと気持ち良さそうに撫でられている“クロ”の金色の瞳と目があい、くあぁと大あくびをされてムカッとする。細められた目が大倶利伽羅を笑っているかのようだ。何故だか焦れる気持ちになって、おかしいなと大倶利伽羅は思う。たまには強引に距離を詰めるのも大事かもしれない。

 気がつけば大倶利伽羅は衝動のままにむんずとクロを掴んでどかし、自分の頭を膝の上に乗っけていた。感触が変わったことに驚いた長谷部が目をパチクリとしこちらを見下ろしている。

 あ? 自分の行動に首を傾げつつもやってしまったことは仕方ない。

「撫でてくれ」

 開き直って要求しても、長谷部は浮かせた手を震わせて視線をうろうろと彷徨わせている。いつもそうだ。長谷部は何かをためらって、自分から動くことを良しとしない。大倶利伽羅が迷い子のような手に頭を押し付けて初めてぎこちなく撫で始める。呆然としたような長谷部のつやつやと潤んだ瞳が、一心に大倶利伽羅を映しているのを確認してやっと満足感を覚えた大倶利伽羅は、自分が思ったよりも強引なやつだったことに驚いた。

 

 映画が終わり電気をつけると長谷部の目はまた犬猫を追い、大倶利伽羅と距離を開けるようにソファの端に逃げてしまった。空いた空間にこれ幸いと猫どもが滑り込む。遠くなった距離に失敗を悟った大倶利伽羅は、空気を変えるために日課になっている犬猫洗いをすることにしようと立ち上がった。

「今日はクロとシロを洗いたいんだがいいか?」

 手伝いに慣れた長谷部が素直に頷くのを目にして滑り出てきてしまいそうだった、お前も洗ってやろうか、という言葉は流石に飲み込んだ。

 

 大倶利伽羅がいつになく暴れるクロに手を焼きながら洗い終わると、脱衣所でタオルを広げ待機しているはずの長谷部がいない。声が聞こえるので、どうやらリビングの方で電話をしているようだ。しょうがないのでクロをタオルでぐるぐる巻きにして足を向けると、シロを抱えたまま長谷部は厳しい表情で鋭く指示を飛ばしていた。程なく通話が終わって、ハッとしたように長谷部がこちらを見る。

「すまない。後輩がトラブったらしくて」

「いや、いいんだが、今日は仕事休みじゃなかったのか?」

「俺は本当は出勤しなくてもいいんだ。今までは休日でもやたらと出ていたから、後輩たちに頼りぐせがついてしまったみたいだな」

 

 シロと簀巻きになったクロを交換し風呂場に戻った大倶利伽羅は、ぼんやり考え込んでいた。

 あんな顔もできるのか。もしかして、俺と会うために休む気になってくれたんだろうか。

 電話を切ってこちらを見た時の眉を下げたすまなそうな表情を思い出すと、頭の中でごちゃごちゃと考えていた手順も何もかもすっ飛ばしたくなった。慣らしていく過程が好きだと言った大倶利伽羅に「結構な趣味してるよね」と言ったバイト先のオーナーの声がよみがえる。

「あしらい方も距離の詰め方も実際うまいもんだから困っちゃうね」

 ちっとも困った様子もなく、さも愉快そうに彼は続けた。

「でも、君、本気になったら結構重たいかもね」


 

 機械的に洗い終わったシロを抱えて風呂場を出ると、今度は確かに長谷部がタオルを広げて待っていた。足元にはクロを絡みつかせて。シロをタオルの海に落とし、いつもの習慣でその鼻先にキスをして顔を上げると、きゅむりと結ばれた長谷部の唇が目に入る。大倶利伽羅はたまらなくなって、流れるようにその桃色の唇にも触れるだけのキスを落とした。ぽかんとお互いに顔を見合わせた幾ばくの沈黙の後、突如、長谷部はシロを抱えてリビングまで走る。逃げられると追いかけたくなるのは男の性で、おっちょこちょいなところがある長谷部が足を引っ掛けソファに転がったのを幸いと、気づけば大倶利伽羅は長谷部を端に追い詰め目をぎらつかせてしまっていた。

 

「お、俺は勘違いしてしまうから、そういうのはやめた方がいい」

 身体ばかりが先に動いてしまったが、ただの興味が、慈しみたいという気持ちが、狂暴さを秘めたものに変わってしまっていることは、「動物ならいいんだが人の気持ちにはからっきしだな」と日頃、鶴丸に呆れられている大倶利伽羅でもわかる。

「勘違いしていいぞ」

「え? あ、優しいお前の博愛と、俺の好意は違う」

「……違わない」

「や、だから、好きの種類が違うだろ」

「違わない。キスしていいか?」

「ダメ、だ」

「キスしたい」

「や、だから……天使を汚して、俺ひとりのものにするのは欲張りすぎる」

 いまいち何を言いたいのかわからないが、いけないと言われるほど高ぶってしまうのは何故だろう。大倶利伽羅は一層顔を近づけ、ふたりの間に挟まれたシロの恨めしげな目も無視して囁いた。

「ダメか?」

「だ、ダメ、だ……神様に怒られてしまう」

 おかしなことを言ってついには無理やりそっぽを向いた長谷部に、これは引き際かもしれないと大倶利伽羅は渋々身体を起こした。特段宗教にのめり込んでいるそぶりもなかったが、長谷部には自分が何に見えているのだろうか。大倶利伽羅が天使? オーナーの光忠が聞いたら腹を抱えて笑うだろう。

 次の手を考え、じっくりと見つめる先でそわそわと落ち着きなくしていた長谷部は、「そろそろ帰る」と逃げ出す算段をつけ始めた。仕方ない。これ以上追い詰めるとパニックになりそうだ。けれど、この非常に無防備な存在を外に出してもいいものだろうか。

 大倶利伽羅はふと思いついてテーブルの上で曲線を描くサーモンピンクのリボンを手に取った。チョコレートの包装に使われていたそれを揺らすと甘い匂いが立ち上った気がした。しゅるり、こちらを頑なに見ない長谷部のすらりとした白い首筋に添わせちょうちょ結びにする。

「うっ」

 首輪を付ければ安心かと思った大倶利伽羅は、破壊力ある絵面に物の見事に自滅して呻いた。蠱惑的な態度で大倶利伽羅の視線を引きつけるくせに逃げ足の速い長谷部は、もしかしたら犬ではなく猫なのかもしれない。忠実な犬の友である人間は猫の前では奴隷だというが、────それも悪くないか。

 解くことすらできずに困惑した顔でリボンを触っている長谷部の煤色の髪に指を沈めて、地肌をマッサージするように指を立て滑らせる。困惑した瞳がこちらを上目に伺い、そして、伏せられるのを目に映し、きゅうと口の端が上がった。

 やっぱり、大倶利伽羅は天使にはほど遠い。

 

 

くりへしワンライお題「変化」

​20/01/2017                             

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