Eat you / Eat me
するり、シャツを落とすと、吐息が聞こえた。
背中を向けている長谷部にはその息に含まれる感情はわからない。締め切った部屋のなかだというのに、布一枚ないだけでこんなにも心許なくなるものかと思う。
裸に羞恥心を覚えるようになったのはいつからだろうか。何もかもをさらけだすことに抵抗を感じるようになったのは。
経験を経て、ひとらしきものに感覚だけは近づいていくようだ。けれど、それは長谷部だけかもしれない。背後で静かに観察を続ける彼──大倶利伽羅──はあくまで刀として肉の身体を解明しようとしているように見える。金色の瞳にはカメラのレンズのような冷静さがある。
端末のペアレンタルコントロールを外され、外の世界を知る手段を得た大倶利伽羅は、貪るように知識を吸収した。己への好意を勘違いだと気づき、他に好きなものでもできるのではないかという長谷部の危惧とは反対に、彼は得た知識を長谷部のなかに見出すようになった。人体の急所を学んだかと思えば、長谷部の頚動脈を指でなぞり、反射について学んだかと思えば、長谷部の膝を叩き皮膚に爪で線を残す。
まるで標本になったような気分だ。
長谷部の肉を探る手つきはあくまで優しかったが、ひたすら映像を刻みつけるような強い視線には肌がぴりぴりとしたものだ。
今日は背中を見たい、と言われて彼の乞う目に弱い長谷部はちろちろと舌を出す羞恥心をねじ伏せ、背を伸ばしている。
「何を見たんだ」
人体の解剖図を見た彼にひととおり身体を確認された以前のことを思い出しながら、俯いてしまいそうになる視線をひたすら正面に固定する。
「天使の絵を観た」
あんたも似合いそうだ、という言葉とともに肩甲骨に指が這わされた。
ひくりと跳ねた身体は無視して、てんし、と口のなかでつぶやく。天狗に似た羽根の生えた人型。神の使い。情報を頭に思い浮かべて、長谷部に似合うという言葉には同意をしかねると結論を出す。どう想像をしても長谷部に羽根が生えたところで血濡れの異形にしかならない。彼の感覚はどこか普通とは違うのだ。
腕の筋肉の境目をそっと指がたどっていく。
「腕はそこそこ筋肉がついているな」
「そこそこ……お前と比べるな」
細身に見えるのに意外とたくましい腕を思い浮かべる。
「首は長い」
頚椎の尖った部分を軽く弾かれる。独り言のようにぼそぼそと間近でしゃべられると、息がうぶ毛を揺らしくすぐったい。
「背筋は流石だな」
肩甲骨のくぼみを抉った指が、背骨にそって下ろされていく。
「腰は意外と細い」
急に脇腹をつかまれ、ひゅっと変な息がもれた。
「あんたのバンドにはそんな効果が?」
「ないよ」
予想外の問いに笑いがこぼれる。
スラックスの下にある尻のきわまで這わされた指は、今度は縦横無尽に長谷部の背中で遊びだした。
痺れるようなくすぐったさに背をたわませるたびに、そこを執拗にさわられ続け、徐々に息が乱れていく。とろりとした蜂蜜がとぐろを巻いて沈殿していくように、じんわりとした熱が長谷部の腹で膨れあがっていくのがわかった。
「……っ、ん」
熱い舌が肩甲骨を舐め上げた。ちゅ、と唇が吸い付く甘やかな感触と、歯が食い込む尖った刺激が何度も繰り返される。
「ぁ」
何かを注がれたように勝手に瞳は潤み、縋るように行き場のない手で脱ぎ捨てられたシャツを握りしめた。もう、背を伸ばしていることすら難しい。
「この背中に憧れていたんだ」
熱のこもった声に、長谷部の背中はうち震えた。
「んっ、ハッ……っ」
いつもは届かない奥の奥まで雄が突き込まれ、肌を打つ高い音が響き、がんがんと脳が揺さぶられる。
「くっ、うっ」
降り注ぐ押し殺した低い声を振り払うように、熱に浮かされた頭を意味もなく振った。
唇をあわせることを際限なく求めてしまう長谷部にあわせて、いつもは向かい合って抱かれることがほとんどだったのに、背後から覆いかぶさるようにされて、慣れてきた行為のはずが初めてするかのように感覚が鋭敏になっている。死角でされる行為は、落とされる吐息ひとつですら致死量の毒だ。
見えないことはひどくこわい。
けれど、征服されているようで甘い痺れが止まらない。悦んだ肉の身体がぐずぐずに溶け崩れていくのがわかった。伸びた背中を何度も蜜をまとった熱い舌が往復し、肋骨にそって硬い皮膚を持つ指がくじる。
「あっ、アッアッ……っ」
「ハッ、ふ、ぁ」
波打つ長谷部の背に汗が降っては、柔らかい髪が線を描き、彼の祈りの結晶であるカーンが引っ掻くように遊んだ。背骨を伝った悦楽が後孔にまでたどり着いて、ぎゅうぎゅうと逞しい雄を締め付けてしまう。がくがくと震えていた腕はとっくにくずおれ、彼の匂いがする枕に顔を擦り付け、濡れきった全身を跳ねせることしかできない。
「ンんぅ、ひぃぁ、あっ、あっ、ぁ」
「はっ、はっ、はっ、」
硬い身体に押しつぶされて、太い腕に閉じ込められ、耳の後ろから吐息がする。腹の奥深くまで、彼自身がはきだすもので濡らされる。
身も心も彼に支配されている事実に、────ひどく、興奮した。
長谷部のうろへの入口をくすぐる下生えの感触にすら腹が濡れるここちがする。縋り付く襞をこそげいじめ抜く雄の腫れきって脈打つさまが脳裏に浮かんで、長谷部の欲しがりな口からは舌がまろびで、唾液を垂れ流した。穿たれるたびにぐちゃぐちゃになった長谷部の感情が削り取られ、思いの純度が増していく。核にあるのは、ただ彼が欲しい、という願い。心臓が早鐘を打つごとにいくつもの快楽が弾けて、輪郭が砕けた長谷部は長谷部ではなく、小さな何かになっていった。ただ、大倶利伽羅という男に手綱を握られた矮小な何かに。
「ぁあっ、ん、……ッ!」
うなじに立てられた歯が肉に食い込む感触に、ひときわ大きく背がたわんだ。
端末が震える音で目が覚めた。必死で伸ばした手の中の画面には今日の天候が表示されている。朝というには早すぎる時間に、重たい瞼をそのまま下ろして、またわずかに上げた長谷部は液晶の光に照らされた大倶利伽羅の寝顔をとくと眺めると、思いつきのままに抱き込む腕から抜け出した。着られないまま放って置かれた冷たい浴衣を羽織って読書灯を静かにつけ、褐色の肢体の背後にまわった。息を殺してうわかけをめくり、潜り込む。
ひと呼吸おいて、瞼を開くと抑えきれない息が細くもれた。目の前には柔軟な筋肉を孕んでいることがわかる張りのある肌に、首をもたげた漆黒の龍がいた。彼の美しい龍と視線をあわせ、そっと唇をふれさせる。
綺麗だ。
決して起こしてしまわないようにふれるかふれないかの距離で鱗をなぞり、わずかに感じ取れるしっとりとした感触に目を細めた。欲望のまま広い背中にほおをよせ、心臓の音を聴く。とく、とく、とく。彼の身体が刻む拍動を聴いていると、すべてを飲み込んでしまいたいようなここちで喉が鳴る。
彼をまるごと自分の身体に収めてしまいたいだなんて、ふざけた思いつきが意味するものはなんだろうか。
知らず知らず熱い息がもれた。
これが愛しいということなのかもしれない。けれど、もっと苦しく苛烈な────、
「あんたもさわりたいならそう言ってくれ」
笑みを含んだ吐息とともに声がして、身を縮めた。
「俺は逃げない。好きなようにしろ」
ぼんやりとしたままの頭で言葉を理解し、動かない身体にもう一度すりより額をつけた。
「……うん」
唇をふれさせると、わずかに跳ねる背中が面白くて、何度も口づけを落としては吸い付く。
「ん」
舌先に汗の味が残って、たまらなくなった長谷部は大胆に舌を遊ばせて味わうことしにした。艶やかな光を放つ龍を目に映し、止まらなくなりそうだと思う。子供のように執拗に舌を這わせ続けていると、大きく背中が跳ねた。
「っ、振り返ってもいいか、」
かすれた声が言うことを遅れて理解した長谷部は、我に返って慌てて舌を引っ込めた。
「ま、まて」
「……顔を見たいんだが」
「だめだ」
「はせべ」
「……お願いだ、もう少し」
喉が潰れるような音が聞こえて、許可も得ず自分がしていたことが今更恥ずかしくなった。
「すまない」
「いい、あんたのお願いだ」
あと少しだけ、と囁いて熱を持つほおを寄せた。こころの中でゆっくり十を数えた長谷部は離れがたい気持ちを振り払い、身を離して大倶利伽羅の顔を覗き込んだ。見えている耳が真っ赤で思わず唇で食むと、勢いよく振り向いた大倶利伽羅が長谷部を抱き込み、「まては終わりか?」と額に囁いた。龍が巻きつく腕の力は強く、ごりごりと腹筋から臍に何かがあたっている。
「っ、ま、まてっ」
すまない。もう止まらない。
それからはもう嵐のようだった。
諌める手は布団に押さえつけられ、差し込まれた舌に舌を絡めて出され、ぽかりとあいた口に唾液が落とされる。金眼の獣を見上げ、飲み込んだ液体は驚くほど甘かった。
慣らされ弱い部分になってしまった臍が濡らされる感触にわななく。傘の張った雄が穴を広げひっかき、ぷちゅん、とした水音を立てながら長谷部の小さな窪みを荒らす。
「ぁ、ぁ、」
臍を抉られるだけで長谷部に腹は勝手に熱を持ち、火を燻らせ続けるようになってしまった。亀頭が臍に軽く突き込まれ、くぷりと潜り込んでは揺らされると、ないはずの子宮の存在を呼びさまされる。頼りなく揺れるだけの自身の雄よりも、腹にさわって欲しくて仕方がないのだ。
金色の双眸に刺し貫かれながら、足を担ぎ上げられてじんと下腹が痺れた。
寝る前にかきだされた白濁を、ぽっかりとあいた腹に、また詰め込まれる予感に震える。じゅくりとなかを彼の種で濡らされる感触が容易によみがえってしまう。
「ぁ、ま、て」
まだ余韻の残る身体で時間をあけずにしては、取り返しがつかなくなりそうで思わず大倶利伽羅の雄を握った。続ける言葉が出ずにはくはくと唇を震わせていると、金色の目が眇められ、長谷部の手の上から褐色の手が覆う。
「、っ」
じわり、力が込められた。長谷部よりも太く赤黒い雄がどくどくと脈打つ感触が手のひらに伝わる。先走りを塗り広げるように大倶利伽羅は己の手を動かした。
「ひ、ぁ、ぁ」
長谷部の手を使って自慰をするように眼前で雄が扱かれる。長谷部はかすれた声を途切れ途切れにもらしながら、見つめることしかできなかった。頭を出した鈴口からとろりと透明な液体が伝うのが詳細に見えて、唾を飲み込んだ。
熱い雄の感触が手のひらに刻みつけられてしまう。
いやいやと首を振る長谷部の耳元に鼻を埋めた大倶利伽羅が囁いた。
「あんたの腹に抱かれたい」
見開いた視界が滲んで、目尻を熱いものが伝う。
低く甘えた声に、とろりと意識がとけた。
「ん、」
力が抜けた身体を押しつぶされ、かすれた声が耳に吹き込まれる。
「俺の────」
長谷部のいだく感情はそんな綺麗なものじゃないという反論は音にならなかった。
最初から強い勢いで雄が突き込まれ、肌を叩く甲高い音が密に響く。べたりと媚を含んだ音しかだせない。
「あっ! あっ、ん、ァあ、ンん、ぅ、アッ……!」
「く、ぅ、はせ、べ、ぁ」
「お、くり、からぁ、っん、」
唇に囁かれる己の名を咀嚼し、ただ、甘えた声で彼の名を呼ぶ。
後孔を埋められては引っかかれ、粘膜を食い荒らされては押しつぶされる、終わりのない甘美さに溺れてしまう。逃げ出したくとも腰に痛いくらい食い込む手が長谷部を縫い止める。己をいいようにする力の強さに喜びで唾液があふれ、口の端を伝っていった。
脳天まで絶え間なく走る快楽に背をそらし、もがく腕を龍が棲む背中にまわした。
首元にすがりつき、逃がさないとばかりに爪を立てる。
きっと彼の羽根を毟ったのは自分だ。
理知的な彼を荒い息を吐くだけの獣に落としたのは────、
ぐうと背が反り返った瞬間、見上げた獣は唇に、あどけない笑みを浮かべていた。
くりへしワンライ「背中」「おねだり」
24/02/2018
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