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福祉課の彼

Lost in time

 電子画面の光に照らされた変わらない横顔を目に映し、軽く衝立を叩いた。こちらに気付いた青紫色がひとつ、ふたつ瞬く。

 

「久しぶりだな」

 

 本当ならそんな軽い言葉では済まされないぐらいの長い年月ぶりだ。人の子なら産まれてから成人するぐらいはたっただろうか。時間を遡行し様々な時を走り抜ける刀剣には、物だということを差し引いても、時の感覚は長いのか短いのか実感にとぼしい。ただ、任務で見かける他の長谷部ではなく、目の前にいる久方ぶりの長谷部にまぶしさを感じることだけが事実だ。胸で膨らむ感慨を隠して幾日ぶりかのように大倶利伽羅も答えた。

 

「ああ」

 

 それきり言葉を続けることができない。大切な目的があってここに来たというのに。彼と過ごしていた過去の日々は不要な言葉がいらないことも多く、短い音の連なりや揺れる空気で何かがわかった気になっていたものだ。けれど、それは思い上がりだった。いまこそ大倶利伽羅は言葉を紡がなければならない。

 奥歯を噛み締めると、しきりに鳴いていた蝉の残響が耳の奥でこだまする。湿気がひどい外とは違い室内は快適な温度に保たれ、響くのは端末を操作する物音ばかりで静かなものだ。

怒号と悲鳴、鍔迫り合いする金属音に支配された過酷な戦場とは違う。

 ここは演練施設に付随した建物の片隅にある、刀剣男士の社会福祉から、ひいては個々の本丸の戦略分析の相談まで、ごった煮のような案件を扱う何でも屋みたいな部署らしい。入り口にはただ『福祉課』とだけ書かれている。

 彼の戦場はここなのだ。

 

 にゃあん

 

 唐突に猫の鳴き声がした。鳴き続ける元を探して目であたりを伺うと、長谷部は「すまん」とつぶやき端末を操作した。どうやら、ひっきりなしに入って来る通信の通知音のようで、気の抜けた音で呪縛がとけた大倶利伽羅は目の前まで近づき、握りしめてしまっていた長方形の箱を差し出した。

「返しに来た」

 差し出された右手を左手で下から支え、しっかりと手のひらに箱を乗せた。

 冷たい手は以前と比べて少し細くなっただろうか。滑り込ませた親指で手のひらをなぞれば柔らかさに喉が詰まった。欠けてしまっている人差し指と中指の先から、懐かしい深爪の薬指と小指までたどる。痛々しいぐらいに深く爪を切るくせは変わらないようだ。切断され歪な形に盛り上がった肉を丹念に撫でると、されるがままだった手がわずかに震えた。今はもうないものに絡めるように空気をまぜ、今もあるものをやわく包み込んだ。逃げを打った長谷部の手が仕返しするかのように手の甲で大倶利伽羅の硬い皮膚をなぞり、「強くなったな」と囁く。

 果たして大倶利伽羅は強くなれたのだろうか。

 名残惜しく手を開放すると、残された箱をしばし見つめてから開いた長谷部は、目を見開き、ついで細めた。

 古臭い形の黒縁眼鏡。

 かつてふたりの主だった人間が付けていたものだ。

 懐かしむような笑みをひとつこぼして、長谷部はそれを手に取り明かりに透かすと、おもむろにかけた。不格好で似合わない大ぶりの眼鏡は形の良い鼻と顎を不思議とひきたて、緩やかに上がっている口の端が短刀の悪戯でも見ているような気分にさせる。ありていに言うならいとけなく可愛いという感想が、大倶利伽羅を落ち着かなくさせた。

 

「見えない……そうか、あの方はひどい乱視だったんだな」

 

 戦うのに手いっぱいでそんなことも知らなかった。

 じゃあ、最後もあの人は見えてなかったのか。

 

 ぽつり、ぽつり、雨だれのように言葉がこぼれていく。

 あの時────、病床の審神者を看取ったあの時、やせ細った手を握り、励ましの言葉を掛けながら気丈な笑みを口に浮かべていた長谷部。その頬をひとすじ涙がこぼれた光景を大倶利伽羅は忘れられない。それが大倶利伽羅が見た最初で最後の、長谷部の涙だ。

「良かった」

 つぶやき、外した眼鏡を見つめる長谷部の穏やかな横顔がはらむ寂しさに、胸が詰まる。

時が経っても変わらず長谷部は、大倶利伽羅にとって危うさを感じるほどに鋭く綺麗な刀のままだ。

 

 彼はずっと師匠のような存在で、泥臭く生き抜いて戦い続ける術を教わり、大倶利伽羅は背中を追いかけ続けた。本丸の終わりの日、あわよくばこの手をとってくれないか、なんて軟弱な決意で差し出した手に返されたのは、淡い笑みだけだった。

 審神者のかわりにはなれないと思い知った大俱利伽羅はがむしゃらに戦う道をいった。強さは己を裏切らない。長谷部に惹かれた理由も強さなら、それを追いかけ続けるしかないだろうと。だが、経験を積み重ねてもいつまでも届かない。それでも、追いすがりたくて、肩で息をし滴り落ちる汗を拭い無理やりでも顔を上げて戦い続けていた大倶利伽羅に届いた簡素な葉書。

 ただ『元気にしているか?』のひとことだけ書かれていた。

 他に何かなかったのか。今更なんで。文句はいくらでも浮かんだが、流れる角張った筆跡から彼の匂いがした気がして、どうしようもない想いがあふれだした。

 そして、思い出した。

 刀にこころを与えて勝手に死んでしまった審神者と、大俱利伽羅のこころを育て奪った長谷部を困らせたくて持ち出した遺品の存在を。本来ならこの形見を持つにふさわしいのは近侍の長谷部だっただろうに。

「ずっと隠していて……すまなかった」

 大倶利伽羅の謝罪に長谷部はきょとんとした顔をした。

「知ってたよ」

 

俺はおまえに託したんだ。

 

 大倶利伽羅は目を見開き、咄嗟に胸ぐらを掴みあげようとした手を握りしめる。ぎちり、革が軋む音がした。彼の瞳に滲む諦念に行き場のない怒りがこみ上げ、声を絞り出す。

「……また、来てもいいか?」

「俺はもう出陣することもないからな。データじゃない外の話を聞かせてくれ」

 

 待っているよ。

 

「土産だ」

 ポケットから取り出したチョコレートを投げ、踵を返した。

「気が利くようになったじゃないか。ん? 暑さで溶けてないか?」

 にゃあん、にゃあん、背後からしきりに聞こえる場違いな音にくっと口角を上げる。

待っている、言質がとれただけで今はいい。まだ、負けではない。充分に戦ってすらいない。もっと戦える。思えば大倶利伽羅は真剣での勝負すら挑んでいなかったのだ。

 うだるような暑さに負けない熱が身体に広がった。




 

「もう宜しいんですか?」

 衝立の奥から出てきた大倶利伽羅が、見送るべく車いすのハンドリムに手をかけた前田を手で制して足早に通り過ぎていく。長い前髪が靡いて、ちらりとのぞいた燃えるような金色にはっとする。

「ああ、また来る」

「お待ちしております」

 擦りガラスの向こうに消えた鍛えられた背中を見送る。

 戦えない苦しさと羨望は消えないけれど、今はこの任務も戦うことと同義だと納得している前田は、前線に立ち続ける苦労はいかばかりかと思う。

 手入れを繰り返す度に刀はすり減る。無限の物質などない。それは確かなのだ。

 

 給湯室からアイスコーヒーを片手に出てきた長谷部が行儀悪く立ったままあおるのを横目に、声をかけた。

「宜しかったので?」

「あいつはきっとまた来てくれるさ……優しいからな」

「あらあら」

 にやりといつもの悪い笑顔を浮かべているけれど、口の端にチョコレートを付けていては締まらない。

「あなた、随分と気が長くなりましたね」

「俺には追いかける若さはもう無いよ。歳をとるというのはこんな感覚か」

 おどけたように言うのに、誤魔化されたと感じる。果たしてそれだけだろうか。長い長い年月の果てに待ちたくなったのだろうか。矛盾するようだが、待つのに飽いて希望を託したのだろうか。

 それにしても煽るのがお上手ですこと、と内心でつぶやきながら、出入口の方を見やる藤色を見つめて、前田も新しい風に想いを馳せる。瞳の奥で藤の房が揺れているようなまぼろしが立ちのぼる。

 長谷部の手の中で、からん、と氷が溶け崩れる音がした。

 

 

くりへしワンライお題「かえす」「眼鏡」

​15/07/2017                             

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