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福祉課の彼

煙の向こう

「おい、なぜこの時間と場所を指定した」

 戦場帰りの身体にこもった熱を吐き出す荒い呼吸に、笑みを含んだ息が返される。

 出陣から帰城してすぐに審神者の許可を得て飛んできた人物に対する反応としては随分と軽くはないか、と大倶利伽羅はわずかに眉を顰めた。そもそも呼び出しからして素っ気ないハガキに時間と場所が記されているだけで、古臭い通信手段なんてもし届かなかったならどうするつもりだったのだろうか。

 その時はその時だ、この男なら言いそうだ。

 届かなくても良かったのかもしれない。ちらり思いながら人をけむに巻いてばかりの男──へし切長谷部──の横顔を見つめた。

「いいだろ、事務所だと前田にどやされるし、外の空気が吸いたかった」

 長谷部の職場である福祉課が入っている建物の外階段で、悠然と手すりに背中を預けて長谷部は目を瞬かせた。

「こちらにも都合がある」

「なら来なければいい」

 いけしゃあしゃあと言う男の目前に立ち、大倶利伽羅は唇を歪めた。

「あんた、約束を破られるの嫌いなくせに」

「……言うようになったな」

 手すりの方を向くと、長谷部は続けた。

「嫌い? 嫌いも何もないだろ。事実を受け止めるだけだ。あるのは来ないという事実だけだ」

 あくまで淡々とした音をこぼす後ろ姿を見ながら、大倶利伽羅は片手に携えていた刀を握りしめた。

「いつまで……見ないふりをする」

「見ているさ。目はいいんだ」

 

 ああ、生臭い奴らの血の匂いがする。

 

 はぐらかしてばかりの男は、鼻を鳴らして楽しそうな音を漏らした。

 呼び出したのは長谷部だというのに彼はそれきり口をつぐんだ。急かすこともできない大倶利伽羅は斜め後ろからただ横顔を見つめるばかりだったが、日が落ちるにしたがって徐々に表情が見えなくなっていく。

 器を与えられて長い時を大倶利伽羅は過ごしてきた。戦い負傷し手入れされる日々の代償、刀身がすり減ることへの影響が肉の器に現れ始めている。元々は太刀だと設計され登録されていた影響か大倶利伽羅の場合は視力に変化が生じ、夜目が効かなくなってきているのだ。

見つめていたくとも見えなくなっていく。

「かわいいもんだ」

 ふと柔らかな声がした。すぐそばにある演練施設の窓から覗くひよっこたちの奮闘を眺めていた長谷部は、ついとこちらを向いた。紫が瞬く。

「光忠は元気か?」

「……相変わらずだ」

「あれ、あの元気な豆みたいなやつ」

「貞か……元気だ」

「鶴丸は?」

「あんた知ってるんじゃないのか?」

「ん?」

「引退したよ。旅に出るとか意味わからないこと言って養護施設から文字通り姿を消した」

「ああ、そうだったか……」

「……あんた記憶が」

「ん? 少しボケてきてるな」

 仕事となればまだ平気なんだが、磨耗には勝てないな。

 おどけるように言いながら振り向いた長谷部は、胸ポケットから出した煙草に火をつけた。つかのま照らされた顔を大倶利伽羅は呆然と目に映した。

「そういえば、最近お前が張り切りすぎだと聞いてな」

「あんたには関係ない」

「ふ、生意気になったな……いや、前からか」

 まるで保護者気取りで笑うのに腹が熱くなり、思わず詰め寄った。

「あんたこそいつまで兄貴分気取りだ。何年経ったと思う? 俺はもうあんたをねじ伏せてやることができる」

 かつて大倶利伽羅を指導する役目を担い本丸の誰よりも強かった長谷部はもういない。

「そうか……そうだな」

 蛍のような煙草の火が遠ざかり、長谷部の右手に残った二本の指がとんとんと宥めるように大倶利伽羅の腕を叩いた。

「この腕は簡単にあんたを攫うことだってできるさ」

 柔らかな息が返される。

「……お前はしないよ」

 長谷部の小指が龍を撫であげ、乾いて張り付いた血をかりかりと剥がす。たまらなくなった大倶利伽羅が絡めとろうと伸ばした手は弾かれ、とっさにもう片方の腕で腰をさらった。

刀が転がる音が嫌に反響した。

 湿った息が唇にかかる。顔を近づけるほどに長谷部の好きなチョコレートの匂いが濃くなった。

「なんだ煙草が欲しかったか?」

 言葉とともに息を吹きかけられ、目を眇めた。あたりは闇に包まれ、これだけ近くに寄っても輪郭がおぼろげに滲んで、形だけではなく大倶利伽羅には長谷部がわからない。

「そうじゃないことはあんたが知ってるだろ」

 そっと唇を指でたどった。

「……知らないよ。俺は何も知らない」

 紫の光をちらつかせながら、長谷部は堂々と嘘をつく。

 思わず舌打ちをして、大倶利伽羅は噛み付いてやろうかと顔を固定し親指で目元をなぞった。握りつぶせそうなぐらい細い顎だ。

 

にゃあん

 

 突如、携帯端末の呼び出し音が鳴り固まる。

「タイムリミットか……」

 つぶやいた長谷部がそっと押しやり、大倶利伽羅の口に煙草をねじ込むとするり抜け出す。

「隙だらけだぞ」

「ぐ」

 すれ違いざま動けない大倶利伽羅の尻を鷲掴みにして、笑いながら端末を操作し階段を降りていく。

 長谷部の瞳から星が散らばり、消えていく。

 もうすっかり夜の気配がした。彼は振り返らない。闇の中で纏う空気が濃密になる刀、彼と夜戦に出ていた頃を思い出す。

 刀種が変わってまもないある夜、見えることに内心で喜んでいた大倶利伽羅は、昼の口煩いさまとは打って変わって闇に見事に同化した長谷部に驚き、次いで斬撃の時だけこぼれる彼の鮮やかな光に瞬いた。そのまま夜に消えてしまいそうでいて、絶えず躍り出てくる刃。あの時も残像を残して消えていく紫の光を大倶利伽羅は追いかけていた。

 深く吸った煙を吐き出す。

 懐かしい匂いだ。菓子の甘さときつい煙草と血の匂いが混ざった。すんと鼻を鳴らして、甘美な気配を舌の上でころがす。かんかんとした軽快な足音と通話をする声が遠ざかっていく。

 

「この間のチョコうまかったぞ。また持ってこい」

 

 呼びかけと言うにはささやかな声が、下から響いた。

 返事の代わりに煙を吐き出し、手すりに寄りかかる。ガラス越しに見える演練場の光を見つめた。夜でも昼の戦場が再現され煌々と明るく照らされているので、小さな人影でも色で何となく誰だかわかるものだ。

 黒に白に赤に紺、そして紫。

 生まれて間もないやつだと思われる個体でも足が速い。きっと判断力にも優れ、迷いがないのだ。彼より先に顕現したとしても、大倶利伽羅は追いかける立場だっただろう。悔しさはあるが、ひらひらと揺れる尾鰭を追いかけるのは、悪いものではなかった。

 彼はもう戦わない、戦えない。もう戻らない。

 冷え始めた空気に熱い息と一緒に煙を吐き出す。煙草を手放せない長谷部に憧れて吸ったこともあった。吸ってみてわかったことは、感覚と鼻が鈍るのが嫌いな自分には合わないことと、粗雑な振る舞いとは反対に長谷部は敏感なのかもしれないということだ。久しぶりの煙草はひどく目にしみた。ひとつため息を吐いて目元をこすり、指先に残る違和感に首を傾げる。

 触れた温度。

 そう、長谷部の肌はいつだってひんやりとした感触を大倶利伽羅に与えていたというのに、さっき触れた彼の頬はわずかに熱を持っていた。

「はっ」

 煙草を喫んで、大倶利伽羅はうっそりと口角を上げた。

 またうまいチョコレート屋を探さねばならない。スモーキーなやつがいいだろうか。あの男がチョコレートを好きだというのも最近知ったばかりなのだ。

 演練場から漏れ聞こえる聞き慣れた怒号に、大倶利伽羅は小さく笑みを漏らした。

 

 

くりへしワンライお題「赤らむ」「黄昏時」

​21/10/2017                             

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