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福祉課の彼

 こん、と扉を叩く音が静まり返った建物に投げ込まれた。誰もいない夜のビルで、ただひとつ灯りがついた部屋の扉を開けると、暖かい空気が流れ出す。不在を伝える整頓された机の列をたどった先に位置する衝立から、おもむろに紫色の瞳がのぞき眇められた。

 

「呼んでないぞ」

「呼ばれてない」

 

 大倶利伽羅は雪のかけらを散らしながら遠慮なく入り込み、彼の書類や資料でごちゃごちゃとした机の前まで足を進めた。

 

「泊めてくれ」

「……報酬は?」

 

 現世で有名な高級チョコレートの箱を放る。奮発して二段分はあるそれに、にっと悪そうな笑みを浮かべた長谷部は「今日はここに泊まってもいいかと思ったが、仕方ない帰るか」と口ぶりだけは億劫そうに腰を上げた。



 

 一歩外に出れば真っ白な世界に包まれる。風はそれほどでもないが、とにかく量が多い雪がしずしずと着実に降り積もっていく。無防備な首元をひやりとした空気がなでた。

 政府の社員寮にある長谷部の部屋までの道をたどる大倶利伽羅は、出陣後に急いで飛び出してきたので足元だけは玄関にあった誰かのブーツで守られているが、服装はいつものままなのだ。対して隣でポケットに手を入れて歩く長谷部は洒落たコートにマフラーで完璧だが、足元だけがゴム長靴でしまっていない。いくら人間とは違うといえども、人をもとにできた人に準じた肉体だ。苛烈な寒さは流石に堪える。気持ちだけで走ろうとするな。服装を整える時間ぐらいある。と過去の自分に伝えるために時を遡れたらと埒もないことをちらりと思う。

 刀が私用というのもおかしな話だが、時を渡る仕事をしていても私用ではその恩恵には預かれない。ただ、同じ時間軸にある政府施設とは同一の時が流れ、急いだり待ちぼうけたりすることは悪いことではないだろうとも思う。

 今日のような天候も。

 

「なぜ?」

 

 つまらなそうに時折雪を蹴りながら進む長谷部が、マフラーにあごをうずめ簡潔に言った。彼の真珠色の肌はあっという間に白さを増し、次いで赤みを帯びた。青みのつよい瞳も色素のうすい髪も、輪郭の鋭利さも、雪が似合う刀だと思う。それでいて寒がりの刀の声はぶっきらぼうでもひどく甘い。

 

「……本丸にいたくない気分だった」

「大雪の日にか?」

 

 くすり、白い息が流れていった。

 白で塗りつぶされた一本道を点々と続く街灯がスポットライトのように照らしている。

今日、この時間軸には大雪注意報が出ている。目視した限りでは警報でもいいぐらいの量だと、大倶利伽羅は寒さでこわばるほおを思わず拭った。

 通常、個々の本丸、施設の領域ごとに天候はコントロールできるものだが、システムを運用していくうちに溜まった矛盾を清算するように春と冬に一日だけ、時間軸全体に影響を及ぼす天候プログラムの転換点がおとずれる。以前、気象部門に勤める元同僚の秋田が饒舌に目をきらきらとさせながら説明し、「クリーンアップが必要なんです」と締めくくっていたが大倶利伽羅にはシステムやプログラムについて、いまいち詳しいことはわからなかった。乱暴に咀嚼しわかったことは、なにもかもを思いのままにしようとしたところで、自分の手ではどうにかできない瞬間もあるということだけだ。

 桜の開花と冬の大雪だけは、日にちの予測はできても制御はできないのだ。

 

「見てる方が寒い」

「筋肉量をなめるな」

「下半身はさして変わらないだろ」

 

 きゅ、きゅ、と雪を踏みしめる音が雪原に転がっては新たな雪に潰されていく。何かに呼ばれた気がして振り返ると、飛び石のように街灯が照らすまっさらな丸の中を横断していくふたりぶんの足跡が見えた。少し視線を遠くに飛ばせば、もう消えてしまっている連なり。ふたりがどこから来たのかなんてすぐにわからなくなる。きっと、どこへ行くのかも。

 

「ほんと、お前は甘い男だなぁ」

 

 昔から詰めが甘い、と隣で長谷部が笑った。温かそうな息がふわふわとこぼれるのを凝視して大倶利伽羅は小さく拳を握った。

 ただそれだけで、よかった。

 愚かな男を笑う、それだけで。

 見つめる先で笑う長谷部のほおに触れた雪片が溶けていく。白を纏ったまつげが小刻みに震え、泣いているのかと大倶利伽羅は思った。我知らず指を伸ばした先で、ふ、と真顔になった長谷部が瞬きのうちに消える。

 

「ぇ」

 

 雪の中へ消えていく後ろ姿。

 

 まて

 

 目を見開いた大俱利伽羅もがむしゃらに追いかけ走る。豪雪でも長靴でも、引退して時間が経っていたとしても長谷部の脚は速い。昔の彼もそうだった。教育係だというのに気まぐれに走り出しては、教え子をまく意地の悪いところがあった。

 あっという間に見えなくなってしまう。不意にか細い音がした。

 大倶利伽羅が咄嗟に身体を傾けると耳のそばを、ごう、と風音が通り過ぎていく。それは暗闇を切り裂いて現れた雪玉だった。背後の雪にべこりとめりこんださまに、強烈だ、と嘆息する。

 

「走って動いた方があったかくなるぞ」

 

 灯火から外れた薄暗がりから弾んだ声がし、顔のど真ん中を狙って飛んできた玉をかがんでよける。かつての利き手ではない左手で投げられたのだというのに、投石の腕は変わらない。

 

「はっ」

 

 大俱利伽羅の凍えた唇から熱い息がもれた。次々と投げられる雪をかわしながらゆっくり進むと、紗のように降り続く雪の向こうに紫が浮かんだ。ふざけた行動とは裏腹にその光は真摯な色をまとっていて、喉がつまる。

 

 長谷部。

 

「は、くちっ」

 

 何かを言おうと開いた大俱利伽羅の唇から飛び出したのは間抜けなくしゃみだった。いつものおどけた色に戻った目を瞬かせ、光の下に躍り出た長谷部は大俱利伽羅の首に自身のマフラーをくるりと巻いて、寒さで足踏みをした。温かい。長谷部の熱を蓄えた深い赤が首元をくすぐる。

 しょうがないなとばかりに口の端を上げて流し目をよこし、流れるように煙草に火をつけようとするのを衝動的に止める。

 今はだめだ。火が灯るその時、彼は彼でなくなる。

 理由のない苛立ちに押されて煙草を取り上げるとぶつかるように口付けた。冷たい。凍えるふたりの震えが共振し、奥底にある温もりをわずかに伝える。雪夜の闇は白で明るいようでいて光量が足りない。額をつけて瞳をのぞきこみ、唇に囁いた。

 

「この前のお返しだ」

 

 見開いていた目がきりりとつり上がり、強く抵抗されるが腕をきつく絡め離さない。噛みつかれるか頭突きされるまでは、と触れるだけの口付けを繰り返した。口の端から、なだらかな曲線をたどり、きゅと尖った頂まで、遊ぶように、けれど切実に。冷えた唇で挟んでは吸い付く。名残惜しく顔を離せば、ぎらぎらとした視線で大俱利伽羅を刺し唇を引き結んでいる長谷部に高揚する。

 そうやって、大俱利伽羅にだけ怒っていればいい。

 すり抜けた右手が飛んでくるのをつかまえると、大俱利伽羅は自身の手袋に歯を立て外し、左手に閉じ込めた。そっと指二本分の質量が足りないこぶしを包み込む。

 まだ道の途中だ。

 前を向き、手を引いて歩き出した。頭にも繋いだ手にも容赦なく降りかかるのを感じながら雪を蹴散らしひたすらに歩く。一向にやむ気配のない雪片が刀の輪郭をなでては落ちていく。不意に左手が温かくなった。振り返れば、長谷部が大俱利伽羅の手を自身のポケットに招いたようだ。

 

「……家に、つくまでだ」

 

 ぼそり、長谷部がつぶやいた。

 

「ああ」

 

 答えて大倶利伽羅はポケットの中の手をきつく握り、ざくざくと足を進める。

 

「ありがとう」

 

 耳の後ろから小さな小さな声がした。

 

「……これで貸し借りなしだからな」

 

 不服そうな声も。

 

 彼は与えられるばかりをよしとしない。やはり、長谷部には大俱利伽羅のわかりやすい意図などお見通しだった。

 かつて────長谷部と大俱利伽羅の主だった男が死んだ日も特別な雪の日だった。大雪などではなくて、それは淡い淡い雪だったけれど。

 営みを続けるために、たまったゴミは廃棄される。不要なファイルもクリーンアップされる。雪だっていつかは溶ける。だが、こころの澱ばかりは、いつまでたっても消えないのだ。




 

「ん」

 

 こたつにおさまり感覚がなくなりそうになっていた脚を温めている大俱利伽羅の目前にラーメンの袋が突きつけられた。冷えきった耳がまだじんじんとしている。

 

「なんかたくさん奪われた気がするからイーブンじゃなかった。お前の仕事だ」

 

 見下ろし言う女王様がほおも鼻も赤く染めていては様にならない。「仰せのままに」と不肖の弟子は鼻を鳴らした。

 消費期限ぎりぎりの卵とビールひと缶だけの冷蔵庫に絶句した大俱利伽羅が作った、具は落とし卵のみのラーメンをディナーとしたふたりは、ぬるくなってしまったビールを回し飲みしながらこたつで温まっている。

 デザートだとチョコレートをほおばっていた長谷部のせいで、缶の飲み口がいやに甘い。ぼんやり口をつけてはそのたびに大倶利伽羅は眉間にしわを寄せた。長谷部の方は長谷部の方で、知らず知らずのうちに食べ過ぎていたことに気づいたのか、残り少なくなってやっとハッとすると神妙にチョコレートの箱を閉めていた。

 ふたりが身じろぐ音ばかりが響く。

 大俱利伽羅が暮らす大人数が生活している本丸とは違い政府が管理するマンションは防音もしっかりしているのか隣の部屋の物音もせず、カーテンの隙間から見える雪で閉じ込められたかのようだ。

 

「……静かだな」

 

 窓の外を眺め、ぽつりとこぼした声に柔らかな息が返され、次いでとろりとした音がこぼれる。

 

「今日は、随分と賑やかだよ」

 

 振り返ると唇にチョコレートの名残りを付けた長谷部が小さく欠伸をしていた。

 

「片付けもお前だぞ」

「わかった」

 

 ため息まじりに頷き、調子に乗って図々しい願いをもうひとつ。

 

「湯たんぽになるから布団もかしてくれるか」

 

 目の前で眠そうな目がぱちりと瞬き、かくんと首が傾いたかと思うと唇がとがって、目尻が溶ける。

 

「……今日は寒いからな、仕方ない」

 

 大倶利伽羅は情けなくも己の眉が下がるのを感じた。

 

 ────今日だけ、今だけ、それだけで、

 

 

くりへしワンライお題「ありがとう」「大雪注意報」

​15/12/2017                             

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