Nendroid
▷Lily magnolia
────ゆらりゆらり聴こえる。
この本丸にはいまだ現れていない刀の穏やかな声。夜の見回りを終え音を立てぬよう廊下を進む長谷部の耳に障子越しに届く子守歌。この歌をねだったのは秋田だろうか。兄弟が多いと長男は大変なものだ。もし、運良く顕現することがあれば負担を考慮してやろうと考えを新たに資源のやりくりをちらり計算する。歌が徐々に小さく消え、穏やかな呼吸ばかりが聴こえるようになると、止まってしまっていた足を動かした。
────主は眠ることは幸せだとおっしゃった。
長谷部にはわからない。けれど、あの小さな器に訪れる眠りが安らかであるように、闇の中、早足で風を切りながら、そう長谷部は思う。
短刀ばかりで暮らす駆け出しのこの本丸では粟田口兄弟が長兄、一期一振型の入眠機能付き人形、通称ねんどろいどはひっぱりだこなのである。
しゅるりと薄汚れた手袋を脱ぐ。
届けられた箱を前に正座をした長谷部は慎重に組み立て作業に取り掛かった。小さな部品を並べ、乾いた音をたてながら繋げていく。小さな人形におっかなびっくり触っているさまを他のものに見られたくなくて焦りつつも、これは主からの賜りものなのだから、と己を叱咤して手のひらに汗を滲ませながら手順を追う。
「長谷部ねむれないんだろう? 白い顔にくっきり隈をつけて痛々しいよ……」
審神者にそう指摘された時、不調をごまかせないことを悟った長谷部は彼にしては素直に悩みを打ち明けた。なにより彼は眠かった。身体は重く思考は鈍っていた。ねんどろいど一期のおかげで、寝かしつけの負担がなくなったのは良かったのだが、今度は自分が寝つけなくなってしまっていたのだ。
「君はずっと忙しかったから、ゆっくり眠りに落ちる感覚を経験してこなかったんだね」
事情を聞いて、すまない、そう苦く微笑んだ審神者は長谷部にもねんどろいどを与えたのだった。
力をこめたら折れてしまいそうな刀を、これまた畑で泳ぐ蚯蚓よりも小さな龍が這う腕にそっと持たせ、重たい頭の位置の調整に苦労しながら立たせる。衣装をたなびかせてすっくと立つ大倶利伽羅型ねんどろいどの完成だ。人のように人形を愛でる気持ちはわからないが、小さくとも立派なものだと思う。戦場でもこのように悠然と在る刀なのだろうか。なにぶん大倶利伽羅という刀は、まだここにはいない。それなのになぜこの個体を選んだかと言えば、電子端末の注文画面で視聴した声が落ち着いていたことに尽きる。いまだ知らぬ低く抑えられた声は長谷部の耳に心地よく響き、これなら眠れるかもしれないと思ったのだ。既に一緒に暮らす仲間や刀の時分に由縁がある刀ではむず痒い気分になりそうだというのもある。
渡された時に動力源である審神者の霊力は吹き込んであると言われているから、後は起動させるだけだ。長谷部は顎に手をやり、短刀たちはねんどろいどを目覚めさせる時どうしていただろうか、記憶を洗う。
────今日もおねがいね、呟いた乱が笑みを浮かべしていた動作。
長谷部は丁重な手つきでねんどろいど大倶利伽羅を顔の高さまで持ち上げて、小さな小さな口に唇を触れさせた。
ひやりとした感触を感じながら様子を伺う長谷部の目の前でぱちりと大きな目が開く。その金色の瞳の中に燃える炎が見えた気がした。
結果から言えば長谷部はその夜、それはもうすんなり眠れた。
長谷部がありきたりで単純な子守唄を要求すると、枕元に立つねんどろいど大倶利伽羅はコホンと咳払いした後、随分優しい声で歌い始めた。しかめっ面の表情と合っていないなとぼんやり思っていたのも束の間、低く腰に響く音で肌を撫でられ、ふわふわの空気に包まれる心地がしたと思ったら溶けるように眠りに落ちていたのだ。安らかな睡眠の効果は大きく、もっともっとと新しい歌をねだって一振りと一体の夜を重ねるごとに、忙しい日々をこなすにも身体が軽くなるのを感じた。
ある夜、ふと歌以外のことも聞いてみたくなった長谷部は指示を待ってじっとこちらを見つめる大倶利伽羅に問うた。
「お前の話を聞かせてくれ」
パチリと目を閉じ、首を斜めにかしげ止まった大倶利伽羅はおおかたネットワークに接続し情報を検索しているのだろう。さほど時間をおかず開いた目に力をみなぎらせ話し始めた。
「……大倶利伽羅だ。相州伝の広光作で、前の主は伊達政宗。名前の由来は彫られた倶利伽羅竜。……それ以上は特に語ることはないな。何せ、無銘刀なものでね」
これは刀剣男士である大倶利伽羅の説明だろうか。自分も器を与えられた瞬間に目の前で微笑む審神者に同じように自己紹介したことを大した時が経ったわけでもないのに遠い昔のように長谷部は思い出す。
相州の刀、どうやら大倶利伽羅は長谷部と遠からぬ縁のある刀のようだ。相も変わらず仏頂面で控える小さな大倶利伽羅の細い腕から刀までを指先でなぞり、なんとはなしに大きな大倶利伽羅が来るのが楽しみになってきているのを長谷部は感じた。
次の日も長谷部は同じ問いをした。
「……大倶利伽羅だ。相州伝の広光作で、前の主は伊達政宗。名前の由来は彫られた倶利伽羅竜。……それ以上は特に語ることはないな。何せ、無銘刀なものでね」
繰り返される一言一句同じ台詞に少しがっかりして人形なのだから当たり前かと思い直す。
それから長谷部は変わらないことはわかっていても半ば意地のように歌の前に同じ問いをし続けた。自嘲しているようでいて淡々と受け入れているような言葉が長谷部の耳に馴染んでくると、声の音色と相まって不思議な落ち着きをもたらすようになったからだ。
たまに人形なのだから飽きたわけではないだろうが、「……大倶利伽羅だ。別に語ることはない。慣れ合う気はないからな」と多少言葉が変化することはあっても、同じ言葉が繰り返され重なっていく。勝手な話だが、次第に長谷部は虚しくなってきてしまった。
「……ああ」
長谷部の口から嘆息が溢れる。今日も同じ問いを重ねた長谷部は、いつかこの人形が繰り返される決まり文句とは違う彼自身のことを話し出すのを期待してしまっている自分に気づいた。
ねんどろいどは少し便利な機能のついた人形だ。それ以上でも以下でもないのに、まるで意思を持つ瞬間を待っているかのような浅ましい自分の心にいたたまれなくなる。いつもより柔らかに響く歌を持ってしてもなかなか寝つけず、寝返りとため息の回数ばかりが増えていった。
「前田、ちょっといいか?」
こそこそ周りを伺い、廊下を行く前田に潜めた声をかけた長谷部は内心とても焦っていた。膝をつき手の中に隠していた塊を見せて問う。
「ねんどろいどが突然動かなくなってしまったのだが、何か対処法を知らないだろうか……」
一瞬虚を突かれた顔をした前田はすぐさまピクリとも動かないねんどろいど大倶利伽羅を検分すると「電池切れではないでしょうか?」と答えた。
「え?」
そんな単純なことにも考えが及ばなかった自分に呆れる。
「主君にまた霊力を込めていただけば動くと思います」
間抜けな自分は置いておき、壊れたわけではないことにほっとする。
「それにしても、ねんどろいど懐かしいです。やはり可愛いものですね」
懐かしい? 長谷部は前田の言葉に引っ掛かりを覚えた。
「粟田口は今も一期型のを使っているだろう?」
「なにぶんうちは兄弟が多いですから、眠ることに慣れたものからねんどろいどは卒業することになっているんです。いつか来るいち兄に一人前の姿を見てもらうためにも」
卒業、はくりと飲んだ息とともに大人びた表情をした前田からもたらされた単語を咀嚼した瞬間、頭をしたたかに打たれたような感覚がした。
そう、本来は不慣れな人の身体での睡眠に慣れたなら使わなくなるのが自然だ。物に情を持ち気持ちを傾けすぎていることが途端に怖くなる。長谷部はこの本丸で皆の規範となるべく振る舞い、先導してきた。短刀ですら未来を見据えこの身体を使いこなし強くあろうとしているのに、長谷部は足元ばかりを見ている。
ぎこちなく前田に礼をし戻ってきた部屋で手の中で静かに眠っているかのような小さな大倶利伽羅の姿を眺め、詰めていた息を細く吐く。
「物が……物に情を持つなど……」
しばし目を瞑り手のひらの上の重さを受け止めると、長谷部は押入れから箱を取り出した。今一度じっと見つめ、起きないのはわかっていても最後に一つ唇を触れ合わせた。
「……ありがとう」
小さくつぶやき口元だけで編まれた笑みは、すぐにほどけて消えた。
とん、たん、とたん。踊るような酔っ払っているかのような足音が響く。
とにかく時間が潰せればいいとばかりに大倶利伽羅は本丸内を徘徊していた。生まれたばかりの身体はこうあれという意思通りにはいかない。夜は眠るものだと教えられ、することもないのだし、では寝よう、と思ったところで一向に眠くならない。むしろ、大倶利伽羅の目は物珍しく映る世界を追ってキョロキョロと彷徨うばかりだ。
まだ顔を合わせていない刀がたくさんいるというが、薄暗い闇に包まれ静まり返った本丸内に動くものの気配はない。大倶利伽羅はただ足の裏に触れる廊下のひやりとした感触だけを追って歩き続けている。たまに頰をくすぐる風の感触にひひと笑う。変わりばえのしない白い障子の波を跳ねるようにかき分け通り過ぎたところで、大倶利伽羅の耳が音を拾った。
単調な中に投じられた小石に踊る身体は簡単に調子を乱され、ばたりと倒れる。とっさについた手に残るしびれに首をかしげてから、大倶利伽羅は這いつくばり音の出所を探した。
「………くり…か………」
無理やり箱に閉じ込めたようないびつで掠れた声は確かに大倶利伽羅の名を呼んでいる。布の擦れる音が聞こえる部屋の前で立ち上がり、静かに障子を引く。朧げな月明かりで浮かび上がる室内では一人の刀剣男士であろう男が眠っていた。
色素が薄く短い髪が枕に散っているのを見て、大倶利伽羅が生まれた時にいた小さな刀に似た髪色は縁者だろうかと思う。惹かれるまま近寄り見下ろした男は眉間に皺を寄せ、口を引き結び苦しそうだ。眠るとはそんなに苦しいことなのだろうか。確かめるようにしゃがみ込み男の顔をまじまじ眺める。やはり苦しそうだ。不意に男が寝返りをうち、甘い匂いが立ち上る。大倶利伽羅の口にたちまち唾液が溢れ、かぐわしい香りに惹かれるままこの男を口に含みたいと思う。
「なぜ、俺を呼んだ?」
つぶやけど返ってくる言葉はない。眠る男の荒い呼吸音が胸に響くのを暫く身じろぎもせず受け止めていた大倶利伽羅は、おもむろに男の隣に寝転がった。眠れるということが大事で、眠る場所はどこでもいいはずだ。ならば、この男を眠れるまで見ていよう、と。
飽きずに苦しげな顔を眺めていたら、今度は触りたくなった。
大倶利伽羅は、そっと指を眉間に押し付ける。硬い。ついでまろい頰。柔らかい。眉間の皺が濃くなった。まぶたが震える。起きてしまうだろうか。
心安らかでありたい時、人はどのように振舞っていただろうかと考える。思いつくままに、大倶利伽羅は男の頭を撫で、肩から下へ描かれる稜線をなぞった。男があどけなく無防備な表情になるまで、大倶利伽羅は撫で続けた。かつて人が己の柄をなぞる手の感触を思い出しながら。単調な動きにいつしか、口から大きな欠伸が漏れる。ひっそりと微笑んで大倶利伽羅もまた眠りに落ちていった。
前田は常の落ち着いた振る舞いをかなぐり捨てて、廊下を走っていた。早朝の本丸内に響き渡った叫び声に何事かと声の主である長谷部の部屋に転がり込む。
「どうされましたか!?」
果たしてそこには布団の上に起き上がり、震える長谷部と寝転がったまま眠たげに目を瞬かせる青年がいた。そう、彼は昨夜忘れていた日課をこなすために前田が立会い顕現した刀の大倶利伽羅で、夜遅くなので皆への紹介は明日に今日はお休み下さい、と部屋に案内したはずだが、どうしてここに?
「お……お前は誰だ?」
状況は飲み込めないが、とりあえず紹介をすべきかと口を開いた前田を遮るように大倶利伽羅が話し始める。
「……大倶利伽羅だ。別に語ることはない。慣れ合う気はないからな」
昨夜も聞いたはずなのに寝起きの声だからか、その声は甘く優しく前田には聞こえた。言葉の余韻が消えれば広がる長い沈黙。どうしたものかと今度は経緯を確認しようとした矢先に、ぽつり、長谷部の声が落ちる。
「……知っている」
蚊の鳴くようなか細い声に前田は目を瞠った。いつも皆を叱咤激励し先頭で手を引く長谷部のそんな声を前田は初めて聞く。ざわざわと胸が騒いで言葉が出てこない。
「……知っているよ、大倶利伽羅」
笑いながら泣き出しそうな複雑な顔で笑む唇から溢れた音は、まるで人の子のように聞こえた。共振し震える心。前田は胸で踊る予感をぎゅうと手で抑えた。
くりへしワンライお題「ねんどろいど」
30/09/2016
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