Nendroid
▷A gate
耳に届いた張りのある声に、廊下を歩いていた長谷部は、ふと庭を見やる。色づき始めた自然の中にある小さな刀と大きな刀。マントをたなびかせ短刀なのに大きく見える少年を褐色の肌を持つ青年がきょとんとした顔で見つめている。
朗々と説教をしているのは前田藤四郎。小さくともこの本丸の要を担う、短刀たちのまとめ役だ。そして、何一つ堪えてなさそうな青年は、最近顕現した大倶利伽羅。不真面目であったり態度が悪かったりするわけではないのだが、慣れない器を持て余しているのか一筋縄ではいかない刀だ。
今日もまた突飛な行動をして、世話役の前田に叱られているのであろう。呆れ混じりの笑みが漏れた刹那、前田を見つめていた大倶利伽羅がパッとこちらを向いた。ぱちり目があうと、そのまま一心に長谷部を見つめ続ける。よそ見に気づいた前田が引っ張って揺さぶろうと強い視線は揺るがない。
────またか。
初めて顔を合わせた時からそうなのだ。朝、目覚めたら隣に知らない刀が寝ていたという衝撃の出会いからこちら、なぜか懐かれたようで大倶利伽羅はよく長谷部の近くにいる。
忙しく本丸内を歩く後ろに暇を持て余した短刀が仕事という名の遊びを求めてついてくる、という今まで見慣れた光景のその後ろに、何を求めるでなく大きな身体がついてきているようになった。賑やかな隊列は、カルガモの親子だね、少しとうが立ちすぎているが、と歌仙に笑われる始末だ。慕われる理由に心当たりがない長谷部には不思議でしょうがない。そして、どこか大倶利伽羅には腰が引けてしまうのだ。厳格で本丸内の規律を守ることに尽力してきた長谷部が大倶利伽羅を前にすると、鋭く叱責する声はもごもごと不明瞭な音に変わってしまう。大倶利伽羅型ねんどろいどを隠し持っている後ろめたさがいけないのか、大倶利伽羅の目には慣れない。
今も長谷部を見つめている、人形とは違う生きていることを主張する瞳が苦手だ。大倶利伽羅は知らない。初めて生きた大倶利伽羅の声を聞いた時、ひとつ軋む音が長谷部の身体に響いたこと。己が柔らかくなってしまったのではないかと思わず本体に指を押し付け確認してしまったこと。
その目に己を見られたくないと長谷部が思っていることを。
「今日は前田に何を怒られていたんだ?」
長谷部の部屋できっちりひかれたふたつの布団に入り、眠りに落ちるまでの間をとりとめのない話をして過ごすのが、器を与えられてから間もない大倶利伽羅が持つひとつだけの習慣だ。距離を置こうとする長谷部にねだり勝ち取った位置だ。
近いのに遠い距離で笑いを含ませ問う長谷部は不眠症の気がある。きっと一日中、理性ばかりを張り巡らせ働き詰めているからだろう。そんな長谷部を寝かしつけるのも大事な役目だ。
からかいには知らぬふりを通して事実だけを述べる。
「庭の木のてっぺんにある柿が欲しくなって登ったら危ないと怒られた」
寝る前のひとときに長谷部はだいたい大倶利伽羅の話を聞きたがる。自分の話はせず、大倶利伽羅の面白くもない一日の様子を淡々と聞いている。
「他には何をした? 何を感じた?」
巧みな話術など持っていないが、望まれるがままにつらつらと言葉を紡ぐ。
木は刀より柔らかいのに、この手にくい込んでごつごつとした肌が痛かった。
思っていたよりも虎の肉は温くて柔らかい。そして、きっともろい。持ち方がわからなくて足を持って逆さにしたら、五虎退が泣いた。
腹が減ると途端に動きたくなくなっていらいらする。腹は虎みたいな声で鳴く。
刀の匂いはそれぞれ違う。光忠の匂いは懐かしい。秋田は外の匂いがする。前田は優しい匂いだ。虎の匂いは落ち着く。あんたは美味しそうな匂いだ。
頬杖をついた長谷部は、ゆうらり、唇を撓ませ微笑みながら俺の龍をなぞる。眠たげな目から無意識であろうことが伺え、ちりちりと生え際が逆立ち苛立っている己を感じた。
そんな、慈しむような瞳のぬるい熱が欲しいわけではない。
心臓が駄々をこね、弾かれるように慰撫する指を捕まえる。加減を知らない力で骨が軋む感触を感じながら、ひたすらに丸くなった瞳を見つめる。
しばしの静寂の後、次第に顰められた眉に安堵する。
「寝る」
違和感を訴える喉から声を絞り出し、そっと力を抜いて冷たい手を解放した。
最近、風に踊る煤色の絹糸を見ていない。見られたとしてもその距離は遠い。温度の足りない瞳はいらないとただをこねたからだろうか。
風呂場掃除の当番を真面目に勤めながらも、大倶利伽羅の頭は違うことでいっぱいだ。脳裏に浮かぶ遠目に見えた長谷部の姿。出陣に備え凛とした佇まいで部隊に注意事項を述べていた。真剣な面差しで語気も強く叱咤激励すると最後に隊員を見回し、ゆるり、目尻を緩ませた。
なんて癇に障る表情だろうか。そんな母のような顔が見たいわけではないが、世話を焼かれる時間すら持てない己の現状はどうなんだ。
長谷部は今、新しく顕現した大太刀につきっきりで指導をしていて、大倶利伽羅はふた振りだけの時間がとれないでいる。のんびりと我が道を行く大太刀に甲斐甲斐しく教え世話をしている様はどこか大倶利伽羅の胸を寒くし、こころが棘を持ち震えだすのを持て余す。
鏡の前に鎮座する大太刀お気に入りであるアヒルの人形すら妬ましい。とぼけた顔を歪ませてやろうと握りつぶせば、ぷぴっと気の抜ける音がした。
なぜ同じ部隊に入れない。同じ戦場に立てない。俺が弱いからか。早く帰ってこい。一緒に眠りたい。
焦るような寂しいような心持ちで自ずとタイルを磨くブラシの動きも忙しなくなった。
「大倶利伽羅さん、そわそわしてどうされました? もしかしてお腹空いちゃいました?」
当番の相方である秋田藤四郎が大倶利伽羅の落ち着かない様子に目をとめて、笑いながら話しかけてくる。夕方の掃除当番ってお腹空きますよね、続けられた言葉に聡いのか聡くないのかわからなくなる。食えない短刀だ。
しかし、そわそわ、とはなんて浮ついた音なのだろう。
「お前にはそんな音に聞こえるのか?……俺には身体の中がぐつぐつと言っているように聞こえる」
「ぐつぐつ、まるでお鍋ですね」
「なべ……?」
厨にある調理器具か。そういえば、まだ厨当番に回されたことはない。
「もっと寒くなれば献立に頻繁に出てきますよ。野菜とお肉や魚を色んな味のスープで煮込むんですけど、お野菜に味が染み込んで美味しいんです! メインの食材はお肉でも魚でも!」
「……そうか」
「残ったおつゆにごはんをいれて雑炊にすると、くたくたになった野菜と甘いご飯ととろとろの卵で、びっくりするぐらいほっこりしてじーんときます!」
人の話を聞いているようで聞いていない秋田の怒涛の鍋推しに気圧されながら、鍋とは料理名でもあると知る。秋田のふわふわした感触の笑みにひきづられるように浮かび上がる柔らかな情景、立ち上る湯気、小さきものたちの弾ける笑顔。
けれど、大倶利伽羅の中にあるぐつぐつはきっと違う。もっとどろりと絡みつく苛烈な熱だ。怒りにも似た身を焦がす炎だ。
目の前の笑顔に口角を上げ、衝動的に傍らの蛇口を捻った。ひゃあと驚く声を尻目にずぶ濡れになっていくまだ弱い己の身体。
降り注ぐ冷たい水の中で益々存在を主張する熱は、伝播して、あの優しげな体温をも熱くするだろうか。
くりへしワンライお題「そわそわ」
15/10/2016
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