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Nendroid

Favoritism

 早朝の時分には冷え切っていた厨の空気が、働く刀と竈の熱で温まりだしていく。鼻につんと抜ける匂いで朝のぼんやりした頭が鞭うたれ働き出すのを感じる。それとともに、今日も目が覚めて一番に目に映したもの──あの男の寝顔──がよみがえって、胸に広がるつかみどころのない煙を振り払うように長谷部はひたすら手を動かす。

 トントントントントン。

「まるで走ったあとの心臓みたいな音です」

「そんなに力をこめなくとも切れるだろうに」

 ふいにかけられた秋田の声に瞬きをし、歌仙が言うように力が入り過ぎていたかと手元を見れば、大量の長ネギの小口切りが山を作っていた。長谷部は均一なものが好きだ。等しい厚さ、等しい長さで切りそろえていく作業にはつい没頭してしまう。いくらこの本丸で生活する刀が増えてきたとは言え、味噌汁に最後に散らすネギの量としては多すぎる。短刀には生のネギが苦手なものも多いのに。

 ふぅと息を吐き出し、多すぎるネギを蓋つきの容器につめこみ冷蔵庫にしまう。

「千切りといえば長谷部だね」

「飾り切りといえば歌仙だな」

 朝食の準備にはもう慣れたもので、この本丸が歴史を紡ぎだして間もない時間に追われる必死だったころとは違って軽口を叩きながら手を動かすのもたやすい。まな板と包丁を洗い、清潔なふきんできゅっと水気を拭って、じゃがいもを並べる。

「わぁ」

 でこぼこな形に従ってごろごろと転がってしまうのを楽しそうに秋田が抑えた。

 予測と違う方向に跳ね転がるじゃがいものように俺のこころも歪だ。たびたび制御不能になる心臓を抱え長谷部は途方にくれている。時が経てば慣れると思っていた。人の身体は良くも悪くもこなれていくものだ。けれど、はせべの身体はいまだにあの男──大倶利伽羅──の視線に慣れない。強請られ同室で寝ることを許してしまったのがいけなかったかもしれない。毎日、目を覚ませば一番に大倶利伽羅の寝顔を目に映すことになり、気配に敏く次いで目を覚ます大倶利伽羅の目に最初に映るのも己なのだ。最近になって、ただ強いばかりの視線が目が合うとわずかにゆるり緩むようになったのが尚更落ち着かない。でこぼこなこころが馬鹿みたいに跳ねる。今日の朝だって、

「手伝う」

 突然、厨に響いた低い声にびくりと肩が揺れてしまう。

「じゃあ、箸と小鉢を並べてきてくれるかい」

 刻むリズムが乱れる。自意識過剰な背中が視線を感じて熱を持つ。振り向けない。けれど、

「ガレット今日はいっぱい食べられそうですね。うれしい」

 再度となりの桃色からかけられた声にはっとして、じゃがいもを千切りにする手を止める。まな板の上には、こんもりした毛玉のようなじゃがいも。

 がれっとは好きなものも多いからこれぐらいなら許容範囲か。

「……たくさん食べてくれ」

「はい!」

 やつあたりに似た気分で、大倶利伽羅の皿も量を多くしてやれ、と思う。

 なんで、なんで、不公平にひとりばかりを気にしてしまうのだろう。

 ご飯が炊ける甘い匂いも、じゃがいもが焼ける香ばしい匂いも、慰めにはならなかった。

 

 

 夜が更けると、肌をなぞる空気もどんどん鋭くなる。手入れ部屋のなかにまで忍び込む寒気に肌を粟立てさせながらも、長谷部は動けないでいた。目を閉じてぴくりともしない大倶利伽羅の枕元に座し、暗くて色を伺えない顔をじっと見つめている。白黒の世界に呼吸音だけが響く。

 夕方、長谷部が締め切り近い書類を仕上げるためにこもっていると、前田が気を使ったのか、静かにあえてしなくても良い報告に来たのだ。

「今日の出陣で大倶利伽羅さんが中傷を負いました。問題なく手入れされ、今は手入れ部屋で休んでおられます」

 聞いた瞬間、心臓がぎゅうと縮んだ。

 中傷、文字通り軽くも重くもない、手入れされれば治る怪我。いつもの慣れた戦場、練度相応の難しくもない任務、これぐらいの怪我を負うことは想定内だ。いままでだって、仲間が傷つき強くなっていくのを見守ってきた。経験を重ねていく上で、血を流すことは当たり前のことだ。幾度も経験して知っているから、顔を歪め、時には泣く仲間をいつだって大丈夫だと励ましてきた。なのに、先導する立場として平等でいたい長谷部のこころはえこひいきをする。

 目の前の穏やかな寝顔が物語るように、もう傷は癒えている。

 でも。でも。あの生きて輝く目を見るまでは、安心ができない。どうしたら。どうしたら。

 ────頭をかすめる記憶。ねんどろいど大倶利伽羅が目を開けた瞬間。ねんどろいどを起動させる手順。力を分け与えるような祝福を与えるような行為。

 今眠っているのはねんどろいどではない。わかっているけれど、思いついてしまうと少し開いた唇から目が離せない。引き寄せられるようにゆっくりと身体を傾け、湿った温かい息に誘われる。血と汗の混ざり合った匂いが濃くなっていく。

 ちうと唇を合わせた。

 人形とは違いいつまでも触れていたい弾力と優しい熱を意識した瞬間、凍っていた心臓が暴れだす。潤んだ視界にぱちりと咲く金色の瞳が映る。

 その鮮やかさに、長谷部は傾いてころりと転がるこころを、たしかに、こわくとも、────認めるしかなかった。

 

 


 色とりどりの洗濯物がはためく秋晴れの空を目に映し、大倶利伽羅はため息を吐いた。

「辛気臭いぞ」

 同じ洗濯当番の鶴丸の方に目をやると白が眩しく、にやにやしているのも気にくわなくて顔を背ける。

「せっかく天気がいいんだ、主命の洗濯もあとこれだけ干せば終わりだ。楽しくやろうぜ。ほれ、そっちもて」

 大きなシーツを干すにはふたりでやるしかない。常日頃、馴れ合わないと言っている大倶利伽羅も仕事ならば別だ。楽しくやる必要があるかどうかは知らないが。何にせよ楽しいとはほど遠い気分だ。洗濯が嫌なのではなく、鶴丸が鬱陶しいのでもなく、疑問が渦巻く答えが出ない状態が煩わしい。

 この真っ白なシーツは何処の部屋のものだろう。

 先日、いつもより少しばかり深い傷を負った夜、ふと呼ばれたような気がして目を覚ませば、目の前すぐ近くに長谷部の藤色が迫っていた。暗闇の中きらり光る瞳にしばし見蕩れていたら、慌てたように宝石が遠ざかる。離れた顔を惜しく思っていた大倶利伽羅は唇が冷やりとした空気を感じて初めて、口に何かが触れていたことに気付いた。温かい何か。

「なにを?」

 掠れた声で覚束無い問いをした大倶利伽羅に、泣きそうな顔をした長谷部は要領を得ない答えを返す。

「いや、その……挨拶、というか、……激励の、ような、あ、元気になって良かった……うん、ゆっくり休め」

 ちぐはぐで混乱した空気を残して、逃げるように頰を染めた長谷部は出ていった。追いかけたくとも手入れ後の気だるい身体では満足に動けなくて、ただ、唇に残る熱を思い出していた。

 そんなことがあっても長谷部はいつも通りの態度で、むしろ前よりも怯えるように距離を開けられているような気がする。

 ひゅうとひときわ強い風が吹き、シーツが疑問でいっぱいの大倶利伽羅の顔を打つ。いつの間にか最後の一枚も干し終わったようで鶴丸が近づいてくるのが見える。

 持て余した人の器が動くままに近くに寄り、遊びに誘う気満々の笑みを湛えた口に唇を触れさせていた。

 珍しく驚いて見開かれた自分より薄い金色の目、儚い白い睫毛に透けるような肌、長谷部の荒れた唇とは違い滑らかな唇。美しい刀だ。けれど、どこまでも静かに凪いだ心臓。

 また、風に揺れるシーツに頭を叩かれ、弾かれたように離れた。

「「うぇぇー」」

 同時に口の中に広がるなんとも言えない面映いような苦い感覚を吐き出すように息を吐き出し、顔を見合わせた。

「おい、から坊、なんで若干怒っているんだ。どう見ても被害者は俺だろうが」

 清涼な風が幾分気分を和らげるが、やはり、長谷部と他のものではこの胸に響くものが違う。

「はためく白いシャツ、石鹸の香り、溢れる光、口づけをする二人……こんな状況少女漫画で読んだぞ。しかし、驚くほどときめかないな!」

「あんた何を読んでいるんだ……」

「乱から借りたんだ。現世のことを知るにはいいぞ」

「……これは挨拶のようなものなのか?」

「ん? 知らずにしたのか……君も飛んだ……いやいい、まあ、海の向こうの国では挨拶みたいなもんらしいが」

 驚きを求める結果ついた鶴丸の知識が役に立つこともあるのか、と感心した大倶利伽羅は続けられた言葉に頭が真っ白になった。

「でも……確かその場合は軽く頰とかにするんじゃなかったか。漫画の中では思い合う男女が、そりゃあ顔を真っ赤にして口を合わせていたがな」

 


 厚手の毛布を引っ張り出してきた夜、長谷部の寝息にずっと耳を傾けていた大倶利伽羅はおもむろに起き上がった。

 距離を置くくせに長谷部は、同室で寝ることをやめようとは言わない。けれど、真意を問おうとしてもするりとはぐらかされる。きっちりと開けた距離の向こうで縋るような目をするくせに、追えば逃げられるのだ。わずかでも興味や好意があるのならば、近づきたくなるものじゃないのか。 

 もやもやとして眠れない大倶利伽羅は長谷部の寝顔を前にだんだんと腹が立ってきた。警戒しているくせに自分という獣の前でぐっすりと寝ていることすらどうかと思う。

 怒り混じりの衝動がもういちど確かめたいと囁く。寝ている時にするのは卑怯だ。けれど、正直に迫っても逃げられるのだからと。

 いちどだけ。

 恐る恐る唇を触れさせる。控えめな体温が伝わり温めてやりたくて擦り合せれば、乾燥した皮膚が刺さり今度は潤してやりたくなる。逆剥けた唇をなだめるように何度も舌を這わせる。割れているのか血の味が舌を刺激し、唾液が溢れた。くるくると様々な欲求が入れ替わり立ち替わり顔を出し、大倶利伽羅の心臓を翻弄する。鼻から抜ける甘い吐息が耳をくすぐり、苦しいのか長谷部の口がわずかに開いた。ぬらりと光るなだらかな山を目に映してから下唇を食むように挟み、その柔らかさを堪能する。

 長谷部との口づけはこんなにも離れがたい。

 やはり長谷部と他では違うことを痛感し息をついた大倶利伽羅の目に、散々いいようにされて緩んだ薄い口の端からつうと唾液が伝うのが映る。隙間の奥でうごめく赤い粘膜に誘われて、ゴクリと唾液を飲み込んだ。大倶利伽羅はいちど歯を食いしばってからほどいた口を近づけて、そろり舌を忍ばせていく。前歯に隠れて横たわる長谷部の肉に触れた瞬間、大倶利伽羅は固まった。本能のままに動く舌が柔らかく熱い長谷部の舌を擦ると、頭の中で熱が爆ぜ、どうにかなってしまいそうで慌てて顔を離す。

 揺れる空気に意識が浮上したのか、むずがるように頭を振った長谷部が薄く目を開けた。混乱のさなかの大倶利伽羅と目があうと、とろりと微笑んで、また緩やかに目を閉じた。

「な、ん、」

 再び寝入ったあどけない寝顔を前に荒くなる息を嚙み殺し、熱を持つ頰をぼふりと枕に埋める。落ち着け、落ち着けと深呼吸すれば、枕に染み付いた長谷部の匂いが追い打ちをかけるように脳にまわり、背筋を電流が走り抜ける感触がしてうっと身体を丸める羽目になった。

 俺が嫌いなら、そこで微笑むな。

 逃げる、嘘をつく、子供扱いをする。

 なんて、なんてずるい────。

 

くりへしワンライお題「キス」

​28/10/2016                             

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