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Sea

きみの水底

「どうした?」

 切り分けられた西瓜を片手にようやっと見つけ出したと息をつく長谷部を、くつろいだ様子の大俱利伽羅は緩慢に見上げた。

「外のプールに入ればいいじゃないか」

「俺は俺で楽しんでいる。騒がしいのは好かない」

 大浴場の水風呂に裸でつかっている男は縁に頭を預け静かに目を閉じた。久方ぶりの全刀休息日に庭はノスタルジックな夏の趣向に興じる刀で賑わっている。監督役よろしくぼんやりとそれを眺めていた長谷部は、特徴的な肌を持つ男がいないことに気付いて、おやつを持参がてら建物内を探しまわったのだ。予想をことごとく外され手間取ったので、ここにたどり着くまでに西瓜はぬるくなってしまっていることだろう。

「世話焼きなんだな。あんたこそもっと涼しそうな格好で遊んできたらどうだ」

「……俺はいいんだ」

 いつものシャツを腕まくりし、スラックスの裾を少々折って上げただけの長谷部は、風呂場で物を食べるのはどうなんだと思いながらも、不作法は今更かと男の頭の横に皿を置いた。

「焼けてるな」

 差し出した腕の袖口との境を冷たい褐色の指がたどるのを目で追えば、確かにうっすらと色が違っている。ふれるかふれないかの強さで産毛を逆立てるように、何度も螺旋が描かれる。

「この皮膚は焼けるのか」

 興味深げに濡れた指が描く線が皮膚から心臓に伝わり、ざわりざわりとした感触の苦しさを催させ、ひどく落ち着かない。

「……そうだな焼ける。手入れをすれば戻る……と思う」

 遠征任務ばかりで久しく利用していないからか、“手入れ”という言葉がひどくよそよそしく聞こえた。少し震えてしまった吐息に眉をあげた男が、不意に長谷部の腰をさらった。

「おい!」

 大きな飛沫を上げて水に落ちた長谷部は、気付けば男の膝の上に収まっていた。張りのある皮膚を叩こうが、爪を立てようがものともしない。巻き付いた腕の力強さに呻きながらもがく長谷部を見て、男がわずかに口角を上げたような気がした。

「俺の服を貸してやるから少し付き合え。冷たくて気持ちいいぞ」

 そういうことは引っ張り込む前に言えと怒鳴ろうとした長谷部は、過去にした己の所業を思い出し口をつぐんで眉間に皺を寄せた。本当に長谷部が言えたことではないが、大俱利伽羅という刀は強引だ。

「あんたの音が聴きたいんだ」

 いまだ腹の虫がおさまらず身じろぎしては貼り付くシャツの不快感に内心で悪態をついていた長谷部は、水音に混じって転がり込んできた小さな声に思わず目を瞬かせた。こめかみを伝う水を拭って、少し下にある男の顔を覗き込む。うっすらと隈ができているだろうか。そわりと落ち着かない心臓を隠して、無造作に目の下をなぞった。

「眠れないのか?」

「いや、ついつい映画に熱中してしまった」

「怠慢か!?」

 心配して損をしたと、頬を軽くつねる指をつかまえた男はあくまで冷静に答えた。

「誉れはたっぷりだぞ。だから好きな映画を観られる」

「また、海、か?」

 逃げ出した長谷部の指をそれ以上は追わず、頷いた男は抱き込んだ長谷部の胸に耳をつけた。

「そんなに好きなのか? 俺たちの生活に関係ないものに、そこまで熱中する気持ちが俺にはわからない」

「欲しい欲しいって顔しながら無自覚で、何が欲しいかは知らないんだな」

「は?」

 くぐもった声がした。長谷部からは湿った柔らかな髪がうねるさましか見えない。濡れた布越しにくっつく身体の熱が冷えた水の中で鮮明に感じられ、冷たいのに熱い、矛盾したことが頭に浮かぶ。

「俺もまだ手探りだ」

 声と共にぐ、と頭が押し付けられて、思わず胸の前にある頭を抱え込んだ。どうしてだかはわからないが、こうしたいと身体が勝手に動いてしまい、無意識の行動に長谷部は困惑した。

「また遠征に行ってしまうんだろう?」

「あ、ああ」

「なら、俺のところに帰ってきてくれないか」

「……襲うぞ」

「好きにすればいい」

 物好きな男が迷いなく断言する言葉に合点がいかず眉尻を下げた長谷部を、見上げた大倶利伽羅はゆっくりと言い聞かせるように音を発した。

「この心臓はここちいい」

 切れ長で鋭さを持ちながらも優しい印象を滲ませるつぶらな瞳が、金に輝く双眸が、長谷部を映している。きゅうと胸が鳴いた気がした。

「ん、さっきより速い」

「…うるさい」

 また長谷部の胸に耳をあてる定位置戻った大俱利伽羅が淡々と言うものだから、体を貪ったこともあるのにこんな触れ合いで意識している己がひどく滑稽で恥ずかしい。

「お前、おしゃべりじゃないか。無口ときいていたのに」

「他の連中がしゃべりすぎなんだ」

 大俱利伽羅と親しいと思われる刀を思い浮かべ、確かに、と頷く。

「あんたは聞くより静かだ」

 そうだろうか。へし切長谷部は決しておとなしい性質ではない。

 考え込んだ長谷部が無意識に噛み締めていた唇に褐色の指がふれ、そのままやんわりとなぞる。ぴりりとふれられたところから電流が走った。ぴちょん、ぴちょん、とどこかで水が滴る音がやけに耳につく。空間が切り取られたかのように静かで、溌剌とした外の喧騒もここには届かない。逞しい首筋を流れる赤が血のようだと、頭の片隅で思った。男のこめかみから顎にかけて貼り付いている邪魔そうな髪をすくって流し、重たい前髪を後ろに撫でつける。猫のような金目がちろりとこちらを見上げた。くせになりそうだ、ぼんやりと思いながら、なだらかな眉をたどる。

 ぽたり、またひとつぶ、水滴が落ちた。

 いかん。

 不意に正気に戻った長谷部は、バチンと大きな音を立てて大俱利伽羅のほおを挟むと、わずかに緩んだ腕から逃げ出した。

 どうも、この男には調子を乱される。

「俺の着替えを着てくれてかまわない」

 慌てて出口に向かう長谷部の背中にかけられた声はあくまで平坦な調子のままだった。

「………西瓜残さず食えよ」

「下着はのこして置いてくれると助かる」

 続けられた言葉に長谷部は扉を思いっきりしめることで答えた。




 

 最新式のごてごてした水鉄砲で遊ぶ兄弟を眺めながら縁側で西瓜を食べていた薬研は、常と違って随分とゆっくり近づいてきた足音の主を見上げ口元を拭った。

「よぉ、渡してきたのか? って一目瞭然だな」

 誰に渡すとは聞いていなかったが、黒いジャージと白いTシャツを身にまとった長谷部を見れば自ずとわかる。それにしても似合っていない、というのが薬研の正直な感想だ。

「薬研……」

「なんだ」

「困るなこれは」

「ん?」

「心臓が痛い」

 ぽかん、として一瞬止まった薬研は目を細め口元だけで笑った。

「確かにそいつぁ困るな」

 ぬるくなった西瓜を飲み込み、べたべたする手に眉をひそめながら短刀対大包平になった戦場に視線を戻した。

「おれは、海に似ているか?」

「は?」

 おぼつかない声が変わらず降ってくる。

「いや、その、ここに海があると」

 ────大倶利伽羅が。

 ごにょごにょと言うのに、ふっと息を吐き出した。

「あの御仁の感覚は俺にはわからねぇが、次の遠征で海にでも寄るか? 見りゃなんかわかるだろ」

「任務中だ」

「海にだって異変は起こるだろ? 仕事のうちだ」

 薬研をじっと見下ろし立ち尽くしたままの足を叩いた。

「もっと食べるか? 食いしん坊。休みのうちに新鮮なもんいっぱい食っとけ。あんたはすぐ乾くから」

 気分が盛り上がってしまった買出し班が大量購入したために、まだたんまりと西瓜が乗った皿を押し付けつつ、あの御仁も乾いているのかもしれないな、ぼんやりと薬研は思った。

隣に座った長谷部は黙々とスイカを食べている。ぷらぷらと揺れる素足は、いつもと違う格好なだけで随分と無防備に見える。

 水鉄砲を武器にした戦場では、無理やり大典太を引っ張り出してきた大包平側が先ほどから押しているようだ。見かねたソハヤノツルキが短刀に加勢し、むんずと掴んだ包丁を敵陣に投げ込む。包丁は両手に構えた水鉄砲を回転しながら器用にまき散らし、先ごろ短刀と脇差たちで観たアクション映画さながらだ。

 笑い交じりのはしゃぐ声、盛大な水しぶきにかかる虹、ぽつり薬研の頬にまで飛沫が届いた。束の間の休息は随分と賑やかで、薬研の趣味ではないが悪くない。隣からしゃくしゃくとした音がするのが聞こえて、静かに横たわる事実がふっと胸に波紋を描いた。

 やっぱり長谷部の心を動かすのは大倶利伽羅なのだ。

 仲間としての親愛以上のものは抱いてないが、ずっと近くで見ていたただの仲間だからこそ悔しいような気持ちがこみ上げる。視界の端で鈍色の髪から、ぽつりぽつり、滴り首筋を伝う水が眩しい。拭いてやろうかと一瞬考えてやめた。

 ガキじゃないんだ。いつだって些細なことであろうと薬研は彼の選択を尊重する。そう考え、事実そうしてきた。

 物思いだなんてらしくないなと思い至り、掴んだ西瓜にがぶりと齧り付いて勢いよく種を飛ばすと、張り合うように長谷部が種を飛ばした。

 ぺたり、随分と手前で落ちた種を見つめる。

「くく、へたくそだな」

「……コツを教えろ」









 

「ところで長谷部、パンツも借りたのか?」

「んぐっ、借りるか!」

くりへしワンライお題「焼く/焼ける」「夏休み」

​12/08/2017                             

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