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Sea

こぼれる

「か、ぐふっ」

 

 門をくぐりながら「帰った」の音を吐きだそうとした瞬間、身体に衝突してきた何かに遮られる。それは長期遠征帰りで疲弊した脳に残像しか残さない、ものすごい速さだった。ぐ、と詰まった声を絞り出した大倶利伽羅は顎の下に見える煤色に目を瞬かせた。

 へし切長谷部がしがみついている。

 身体を重ねたことはあっても、陽の高いうちにこんな馴れ合いをするやつではなかったはずだ。むしろ最近は避けられている気配を感じていた大倶利伽羅は、ぎゅうぎゅうと胴を締めあげる長谷部のつむじを見おろした。

 

「おい、どうした?」

 

 反応は返ってこない。

 大倶利伽羅が彼を幽霊だと思っていた時のように、何も言わずにただここにいろとばかりに肉の器を絡めとっている。遠征を同道していた自由な刀たちは口々に、ひゅ~さすがの体幹~だの、猿の親子だ、好かれてるなぁだの、表情変わらない君もすごいよねなど、軽口を叩いて行ってしまった。大倶利伽羅は物言わぬ長谷部を張りつけたまま、玄関を前にして立ちつくしている。

 嫌なわけではないが、単純になぜと思う。顔がうずめられた首元を息がくすぐり、冷えた身体に長谷部の熱がしみ込む。上着を脱いだ軽装の長谷部は寒くないのだろうか。よくわからないが、と思いながら大倶利伽羅は手袋に歯を立て取りさり、裸の指で生えぎわをたどった。幽霊というよりは赤ん坊だ。ぷつりと汗が浮く白い肌に見いる。

 

「あ~旦那、すまねぇ」

 

 玄関から飛び出してきた薬研がいつものよく通る声で、ぼんやりとしていた大倶利伽羅の頬を張った。

 

「こっちも長期遠征で、向こうで思いのほか時間がかかっちまってな……まぁ、それで色々とあって、」

 

 彼にしては歯切れ悪く言い、「好きにさせてやってくれねぇか」と頭を下げた。もとより否やはない。ただ、何が彼をこうさせたのかと思うだけで。遠征ばかりを繰り返している長谷部は、本丸を離れていると渇く、と以前言った。どうやらからからになってしまった長谷部を抱えなおし、薬研に頷くと大倶利伽羅はやっと足を踏み出した。腕のなかの重み。長谷部は、少し、軽くなったかもしれない。


 

 前面に長谷部をくっつけたまま廊下を歩く大倶利伽羅を、あるものは生ぬるい目で眺め、あるものは目を見開き、あるものは目を細めた。

 燭台切光忠はにっこりといつもの笑みで「おかえり」と言っていたが、長谷部にふれないことが逆にこわかった。

 宗三左文字は目があった瞬間、眉間にみごとな縦線を刻み、「それ、僕に近づけないでくださいよ」と呟きそそくさと去っていった。

 ゆったりと向かいから歩いてきた一期一振はすれ違いざまに「無礼な態度をとってしまい失礼いたしました、とお伝えください」と軽く頭を下げた。

 いっこうに事態がつかめないが、大倶利伽羅の留守中に長谷部が何か騒動を起こしていたのはわかった。

 

「あんた何をしたんだ?」

 

 大倶利伽羅がわずかに笑みを含んで問うと、首にまわった腕の力が強くなる。荒れた唇がちりりと肌をひっかいた。

 まただんまりか。

 大倶利伽羅にとって長谷部は幽霊であり海である。身のうちにうねる熱量を抱えいるのに、その姿はうつくしく静かで、寡黙。だんまりが得意なことは知っているので、追求はしない。

 

 もうすぐ自室につこうかというところで太鼓鐘とかちあった。

 

「よ! おかえり!お~噂どおり、言っちゃ悪いが長谷部くん面白かったぜ。伽羅は見られなくて残念だったな」

 

 むずかるように煤色が顎をくすぐった。

 

「いやぁ、帰ってきてふらふら〜っと本丸中を徘徊しだしたと思ったら、手当たり次第に抱きつき始めてよ。自分から抱きついたくせに、首を振ってはしゅんとして離れていくのが何とも言えなくてな」

 

 からりと太鼓鐘が笑うと鎖骨につけられた頰がわずかに熱くなった気がした。

 

「みっちゃんに抱きついてデカイと呟いたり、宗三サンにバシバシ叩かれながらも無理やり抱きついて、骨が当たって痛いってぼやいて本気で殴られたり、薬研の膝に顔をうずめてしばらくは大人しくしていたんだが、一期の兄ちゃんが複雑そうな顔で見てるしでな。はは、最終的には包丁の腹にずっと顔をうずめてたよ」

 

 大倶利伽羅は手慰みに真っ直ぐな髪をなでながら、まぁ随分と派手なことをしていたものだ、と思う。

 

「包丁が人妻の気持ちがわかった、これは新境地なんだぞ、とか言っていたな」

 

 ふっと柔らかい息を漏らし、太鼓鐘はぽんと長谷部の背を叩いた。

 

「そっか、長谷部くんは伽羅を待っていたのか」


 

 やっと自室にたどり着いた大倶利伽羅は長谷部をくっつけたまま防具を脱いでいく。それなりの筋力はあるつもりでいたがぷるぷると震えだした筋肉に、どうしたものかと嘆息した。

変わらずだんまりを決め込んだ長谷部を無理やり引き剥がしてもいいのだが、してやりたくない。無理に引き剥がしたら、もう来ないのではないかとすら思う。幽霊とはそういうものだ。

 好きにすればいい。

 始まりも勝手に大倶利伽羅にしがみついてきたことを思い出し、なんとも自分勝手な男だ、と大倶利伽羅は筋力の鍛錬だと思うことにした。



 

 さすがに風呂も一緒だとは思わなかった。

 大倶利伽羅は脱衣所で考えた末に引き離した長谷部に呼び出した本体を抱えさせてみた。本体を抱きしめて身体を縮めた長谷部はそのまま大人しくしているので、いけるかと思った大倶利伽羅が手早く脱いでいくとおもむろに長谷部も服を脱いで静かに本体とまとめると、何事もなかったかのように背中にはりついたのだ。ぐ、と喉にまわった腕に大倶利伽羅は珍しくうろたえた。本当に幽霊だ。恨めしげにまとわりつくばかりで何も言わない幽霊。

 そのまま大浴場に入ると中にいた山姥切が目を剥いて妙な揺れを繰り返すし、鶴丸がケタケタと笑い続けるしで、うっとうしいことになった。心底愉快そうな笑い声が頭に響いてさすがに苛立った大倶利伽羅が、反応を見る意味もあって背後にいるのにも構わずお湯をぶっ掛けても、長谷部は身じろぐだけでそのままだった。重症だ。

 身体の間に手を潜り込ませ乱暴にこすり、伸ばしたタオルで長谷部の背中も洗いながら、目の前にある鏡を見てふと思う。背中からわずかにのぞく白いひたい。

 そういえば、帰って来てから一度も顔を見ていない。彼は、どんな表情をしていた。鏡の中で鈍く光る髪が褐色の肌に張り付いている。


 

 事情を知らない村正が「裸の付き合いデスネ」と羨ましげに見つめるのを無視して、大倶利伽羅はタオルを腰に巻いただけの格好で椅子に座らせた長谷部に己の浴衣を着させる。うつむいた彼はその間もずっと大倶利伽羅の胸にぺたりと手ををふれさせていた。

 顔が、見たい。

 でも、見せたくないというなら、俺は。

 自分の思うまま好きに行動してきた大倶利伽羅は今になって躊躇いを覚えて指先を握った。ジャージをおざなりに着て抱き寄せると長谷部の髪を乱暴にタオルでかき混ぜる。我知らず力がこもってしまってぐいぐいと頭をマッサージするように水気をとるうちに、長谷部の頭が大倶利伽羅の胸にめりこんだ。

 シャツ越しに感じる湿った吐息。長谷部はすっかり眠ってしまっていた。

 

「子供か……」

 

 つぶやいた大倶利伽羅はかつぎ上げた長谷部を自室に寝かしつけて初めて、彼に熱があることに気づいた。そして、せっせと世話をしている自分に驚く。長谷部の音は好ましいが、他人に干渉するなど今までの大倶利伽羅には考えられないことだ。

 それぞれが勝手に行動するのはいい。長谷部の自由な行動も。だが、問題は大倶利伽羅だ。一人前の刀に対しこんな子供にでもするような、脆いものを扱うような手つきなどをして、相手に対する侮辱ではないのか。奥歯を噛み締め目に映した長谷部の寝顔はしかめっ面だった。こんな時でも気を張った顔。

 長谷部の眠りは、安息ではないのかもしれない。ちらりと頭をかすめた思いつきが、いやに大倶利伽羅の胸を重くした。


 

 よく見ると隈ができている長谷部の寝顔に、しばらくは起きないだろうと踏んだ大倶利伽羅が夕餉を済ませてから部屋に戻ると、中には布団で饅頭ができていた。机に小さな土鍋と薬がのった盆を置きあかりを灯すと、布団をとんとんとノックしてからそっと扉をあけた。こもった熱が大倶利伽羅の腕をつたって逃げていく。入れてくれとばかりに覗きこんで、やっと見えた夕暮れ色の瞳は、暗闇の中で潤んだ光を放っていた。

 器からあふれてしまいそうな、海。

 それでいて底に煮えたぎる鋼があるような、瞬き。

 大倶利伽羅は言葉を飲みこんだ。かける言葉が見つからなくて、ただ夕餉の鍋の残りで作ったおじやをお椀についで差し出した。もぞりと出てきた長谷部のくしゃくしゃの髪の毛を直してやりたくて仕方がない。

 

「あんたはネギが好きだと宗三がいうから沢山入れた」

 

 どうでもいいことならいくらでも言える気がした。

 

「俺は、……火の通ってないネギは好きじゃない」

 

 おじやを作る大倶利伽羅の横で珍しく口を出した宗三に図られたのを悟る。彼のひねくれて見えるが案外素直な物言いが、長谷部に対しては本当にひねくれているのを忘れていた。

 

「……からい」

 

 ひとくち食べてつぶやくと、長谷部は目を伏せる。ほろり、星粒が転がり、瞬く間に頰にいくつもの線が描かれた。それでも長谷部は手を止めない。ぱたり、ぱたり、海があふれだす。子供のようになってしまった長谷部。でも、泣き方だけは子供ではなくて、ひ、ひ、と握りつぶされた音が散らばるのに、大倶利伽羅も息をひそめる。

 嚙み殺そうとして失敗した嗚咽がぼつぼつと漏れでては、また飲みこまれる。もしかしたら、長谷部はうちにあるものを表す言葉を持たないのかもしれない。だから、口をつぐむ。

大倶利伽羅の見守るなか少しずつ食べ進めた長谷部は薬を飲むと、

 

 知らない男の一生を見届けた、それだけなんだ。

 

 ぽつりと言葉を落とした。

 

「そうか」

 

 また噛み締められたぼろぼろの唇を衝動的に舐める。丁寧に何度もなぞると、やっとほころんだ唇から舌を忍び込ませ、わななく舌に絡めてしごいては熱い粘膜に吸い付いた。やわく下唇を食んで離れる。

 薬の苦味としょっぱい、海の味がした。

 

「なぁ、あんたの音を聴かせてくれ」

 

 横たえた長谷部の胸に耳をつける。壊れものを扱うようにそっと抱きしめた大倶利伽羅に長谷部は囁いた。「いつもみたいに痛いぐらいがいい」と。

 困った。

 大倶利伽羅の腕は、もうどうやって長谷部を抱いていたか忘れてしまったようだ。おそるおそる少しだけ力を強くする。

 

 くり、から、お、くりから、

 

 幼い音が降ってくる。腕で押した分だけ、わずかに震えた声が吐き出された。思えば彼が大倶利伽羅の名をこんな響きで呼ぶのは初めてかもしれない。

震えている。彼の身体も呼吸も何もかも。耳朶を打つのは、なんて、激しく孤独な波だ。

 

 ああ、ああ、

 

 息継ぎをするように、大倶利伽羅もただそれだけを繰り返した。





 

 大倶利伽羅が目を覚ますと、視界には長谷部のすっと伸びた後ろ姿が広がっていた。気配を感じてわずかに振り向いた彼は「先行くぞ、くりから、出陣には遅刻するなよ」と言うと、いつも通りの様子で何事もなかったかのように出ていった。ちらりと見えた表情までいつもの少し低い温度のままだった。呆気に取られた大倶利伽羅は昨日との落差に思わず口の端を上げて、しかし、すぐさま愕然とする。

 長谷部は本当に覚えていないかもしれないのだ。

 実際に覚えているか覚えていないかは問題ではない。覚えていないふりをしていたとしても構わない。問題は、分岐する道のひとつが見えたこと。記憶が簡単に消えてしまう可能性に思い至って、うなじがぞくりと冷えた。刀に残る傷とは違って、人の器は忘れていくのだ。それはいともたやすく。

 いや、彼はなんと言っていた。

 布団の上で伸びた大倶利伽羅は、畳の上に転がっていた「くりから」という音をそっとつかまえ口に含んだ。横たわる可能性に対するこわさは消えないが、舌の上に広がるじんわりとした甘さにやっと少し安心をする。

 生まれてからあるがままを受け止めてきた大倶利伽羅はいま、わずかばかり不安ということを知った。渇くと言い、人肌を求める、どこか不自然な振る舞いが飛び出す長谷部はこんな不安を抱えているのかもしれない。声を押し殺して静かに泣く長谷部の姿がよみがえった。

 なんて、哀しい。

 苦しい、

 こわい、

 かれが、

 いや大倶利伽羅が、

 ────かの寂しい海に溺れてしまう。

 持て余した衝動を抱え布団の上を転がっていると、顔を出した薬研と目が合い固まる。

 

「ふ、おはようさん、お疲れ」

「……疲れてはいない。役得だ」

「はは、言ってくれるねぇ。……あーこういうことを言うのはお節介というか、無粋だと思うんだが、……ま、頼むわ」

 

 大倶利伽羅の返事も聞かずに薬研は笑みだけを残して行ってしまった。

 

「おーい!長谷部ー!そろそろ行くぞー」

 

 張りのある声が遠ざかっていく。名残の熱がひそむ布団をかきだき、大倶利伽羅は、しばし、息づき痺れる己の心臓の音に耳をすました。

 暴れている。ごうごうとした嵐が大倶利伽羅の身体で。

 待ちきれないとばかりに起きるのが早い刀たちの朝の挨拶が遠く聞こえ始め、開いたままの障子から光が差し込む。手を差し出せば、冷えた指先をじんわりと温めた。

 

 くり、から、

 

 耳の奥でころりところがる。

 

「……はせべ」

 

 気合を入れて跳ね起きると髪をおざなりになでつけ、ぐっと足の指で畳を掴んで大倶利伽羅は歩き出した。ただひとことあふれたことば、ここで待っている、と伝えるべく。

くりへしワンライお題「おかえり/ただいま」

​02/12/2017                             

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