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Smile

ひかり

 それはあざやかな光だった。

 自分の無知をまざまざと眼前に突きつける鋭い光。

 大倶利伽羅は何もわかっていなかったのだ。


 ひとつ深く息を吐き出し、静かに吸い込むと腹に力を入れて礼を交わす。本来なら手合わせに必要な立ち合い人の姿もなく大倶利伽羅とへし切長谷部ふたりだけの空間で、藤色の瞳に突きつけるように木刀を構える。少しの綻びも見逃さないと気を張る大倶利伽羅と違って、目の前の長谷部は油断を誘うかのように切っ先を下げたまま、ゆるりと佇んでいる。

呼吸と視線が結ばれ、間合いが凝縮された瞬間、ふたりは弾けるように動き出した。

練度の差は四十はあるだろうか。経験の違いは数えきれない。それでも大倶利伽羅は挑まねばならない。決して足は止めない。

 頭に刻み付けられた苛烈な強さに妬ましいほどの渇望を覚えたあの時にそう決めた。


 大倶利伽羅のありようを完膚なきまでに変えた光景は、数奇な巡りあわせによって偶然もたらされた啓示だった。たまたま体調を崩したものがいて、欠員を埋めるため隊に組み込まれた長谷部。いつもは練度が上限に達した彼と大倶利伽羅が一緒になることはない。近いようで遠い、言葉ではうまく形容できない距離にあるふたりだが、同じ戦場に立つのは初めてだった。

今も荒涼とした大地に走った煌めきを鮮明に思い出せる。それは一瞬の閃光。平坦な世界が切り裂かれ、粒だった光の粒子が溢れた。大倶利伽羅に足りないものが茫洋とした頭に痛みをともないながら刻み込まれ、湧き上がる歓喜に似た熱。持て余すことしかできないでいた器に足りないものが眼前にあった。

 圧倒的な強さ。

 身体の中心に火が灯り、じりじりと炙られていく衝動は忘れられない。長谷部の気まぐれで身体を重ねたこともあるふたりだが、彼のことを大倶利伽羅は何もわかっていなかった。いくらこの腕でがむしゃらにしがみつこうと、掴まえることなどできていなかったことを知ってしまった。彼の冷えた身体を抱きしめると涙が溢れるわけも。欲しい欲しいと無意識に渇望するものが手の中にあるのに、それは空虚でいっときも自分のものではなかったのだ。


 疾風のような初手を受けきった。びりびりと痺れる腕で押し返す。まずは開始と同時に打ち込み続けられる長谷部の猛攻をしのがなければならない。これを受け止められるようになるまで、手合わせの序盤で沈められることが随分と続いたものだ。軽く打ち込まれているようでいて、芯を捉えた無駄のない動きは確実に相手の身体を両断する。誇る切れ味が落ち、刃がこぼれようと止まらない姿。そうやって幾多の敵を斬りふせることをかさね、己の使命を全うしてきた刀に大倶利伽羅は必死で食らいつく。


 戦場で躍る長谷部に衝撃を受けた大倶利伽羅が、帰投後に震える己の身体を抱え呆然と佇んでいると、出迎えた光忠が笑った。

「……伽羅ちゃん、長谷部くんは、強くてこわいひとだよ」

 わけもわからず首を振った。身のうちで暴れる感情は恐怖ではない。大倶利伽羅はすぐに走り出さなければいけない。

 身体が求めるままに走り出した大倶利伽羅は長谷部の部屋にたどり着くと、手合わせを申し込んだ。彼は口元を歪めて、「お前とやっても俺には何も得るものがない」と言い放った。まごうことなき正論だ。それでも、大倶利伽羅はなりふり構わず頭を下げ続けた。根負けした長谷部がため息とともに受け入れるまで。その後、顔を上げた大倶利伽羅は付け加えられた交換条件に目を見開くことになったのだった。


 長谷部が少し身体を引く息継ぎの合間に仕掛けるが、まだ技術を体得できず力任せにならざるを得ない大倶利伽羅では簡単にいかない。ふと躍るように流れる手本のような太刀筋が変調し、荒々しく姿を自在に変える。視界の外れからひゅっと足が出てくるのを寸でで交わすが、動きにのって間髪入れず出てくる第二波をよけきれず、同じく足で受け止めた。長谷部の強さはいつだってこの身を芯から痺れさせる。

 

 提示された交換条件は長谷部を抱くことだった。さも悪人のような顔で彼はいつものように嗤った。手合わせを重ねるたびに二人は肌を合わせ、獣のように汗がしたたる身体をぶつけあう。褐色の腕を真珠色の身体に巻き付けるたびに感情が溢れて、琥珀色の目からは涙が落とされた。悔しさに似たぐちゃぐちゃの熱の塊がこの身を焼くのを、大倶利伽羅は甘んじて受け止め、強くなるためにもがき続けた。手合わせをすればするほど、抱き合えば抱き合うほど、もっともっとと執着がひどくなる。かりそめに腕の中にある器に秘められた強さと、それを支える意思を捉えたくてのたうつこころ。瞳を潤ませながらも目を逸らさず大倶利伽羅はかたい身体を抱いた。無様で愚かな男だと嗤ってもいいのに、長谷部はいつしか皮肉げな笑みをやめた。


 背中に衝撃が走る。転ばされても次の手を考えろ。弾き飛ばされた己の得物だけが武器ではない。振り下ろされる木刀をぎりぎりで避けながら、脛を渾身の力で蹴ると、わずかに体幹がぶれ隙ができた。機を逃さず意識が離れた手首に手刀を落とす。木刀が転がる高い音が道場に響いた。そのまま、体勢が崩れた身体を引き寄せる。


 ある時から交換条件に付加された新たな条件。長谷部は大倶利伽羅に目隠しをすることを要求した。断ることなど考えられない大倶利伽羅は軽く頷いたが、視界を奪われながら身体を繋げてはじめて、彼の宝石が見られないことに気付いて歯噛みした。唯一わずかに感情をこぼす目が見られないと、遠い距離がもっと遠くなった心地がした。

 暗闇の中で佇む大俱利伽羅の頬をそっと包み込む長谷部の手。最初はかさかさと冷たく、快楽で溶けたあとは汗で吸い付く手の感触は、胸が締め付けられるような優しさを持っていた。彼は何を想いそんな風にふれるのか。


 大倶利伽羅の上に倒れこんだ長谷部の身体を転がし素早く背後にまわると、足に足を絡め、首に腕をまわす。逃げられないように自分の身体の上に仰向けの長谷部の身体を乗せ、肘打ちも頭突きも全部受け止めて、多少の痛みには構わず本気で落としにかかる。絶対に離すな。この強い想いと腕の力だけは負けない。褐色の腕が柔らかな喉に食い込み、跳ねる脈拍が肌に伝わった。大倶利伽羅の激しい呼吸音だけが響いた一瞬ののち、

「……まいった」

長谷部の手が力なく腕に添えられ、ひしゃげた声が空気を震わせた。

 糸が切れたように、力を抜く。

 ただひたすらにふたりは呼吸をしている。大倶利伽羅は長谷部の強さに指先だけでもふれられただろうか。大倶利伽羅の上で弛緩した身体をごろりと横に倒し丸まった長谷部は、どくどくと煩い大倶利伽羅の胸に耳をつけたまま動かない。荒い息をしている口が音を紡ぐことはない。たとえ、つかの間のひとときでも、快楽だけを求めた気まぐれでも、己に身を委ねている長谷部が胸のうちを見せてくれることはあるのだろうか。この早鐘を打つ鼓動は届いているだろうか。

 思わず頭をつかみ、顔をこちらに向けさせた。

「馬鹿力め……」

 鋭さをなくした瞳に大倶利伽羅は少しの希望を見た。

 目をそらさず、大倶利伽羅は見つめ続ける。いつかは届くと信じて。

 唇がわずかに震え、ぽつり、こぼされた長谷部の言葉に大倶利伽羅は叫びだしたいぐらいの歓喜を覚えた。

 ────おれは……おまえのまっすぐさが、

 ────こわいよ。

 

くりへしワンライお題「嫉妬

​17/03/2017                             

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