Smile
▷White magnolia
己の口からひっきりなしにもれる呼吸音がうるさい。打ち捨てられたように横たわる大倶利伽羅は冷たい床に貼り付く肌を軋ませながら、苛立ちのままにこぶしを握る。腹の中で不甲斐なさに何度も悪態をつきながら、ひとつ床を叩く。がらんとした道場に独りよがりな音が響いた。
なんて遠い。指先だけでもふれたかと思えば、遠ざかる。
痺れる手を開いては閉じる。
ぐっと瞑ったまなうらに浮かぶ藤色の残像を掴みたくても、この手には抱えきれないとでもいうように光は消えた。
「くそっ」
狡猾で聡明な長谷部には同じ戦術は通用しない。試行錯誤をしてもがく大倶利伽羅を叩きのめして彼は遠ざかり、仮初めにふれられるのは暗闇の中ばかり。もうひとつ床を打ち付けたところで、ほたほたと顔に何かが降り注いだ。
慌てて開いた視界には極めて端正に笑う歌仙の姿が。
「隙だらけだよ。……やはり貴殿の肉体には白が似合うね」
気配に全く気付けなかった事実にひやりとする。
「……何事だ」
大倶利伽羅の身体にこんもりと乗せられたおおぶりの白い花弁に困惑が隠し切れない。目を細めて見下ろす歌仙の意図を問いながら、身体を起こした。
「気まぐれだよ。この花弁を飾るにふさわしい器を探していてね。……咲き誇ったかと思えばあっという間に落ちる」
まだ手の中に残る花弁に鼻を寄せると、息をひそめる大倶利伽羅に構わず彼は続ける。
「君は花弁の中を見たことがあるかい? 潔癖な白の中にある桃色の雄蕊と雌蕊がまるで生娘のようで、」
「俺に雅はわからない」
「本当に? 君、いい目をしてそうだけど」
「……見当違いだ」
「そう。君も彼も無自覚な情の深さは残酷だね。本人にも周りにも」
「勝手を言うな」
眉間に皺を寄せる大倶利伽羅を凪いだ目で見つめ、たおやかな指から花弁を一枚落とす。
「自由に言葉を紡がず、どうするんだい? 飲み込んでばかりでは表現にならない」
静寂も美しさではあるけれど。
まだ暖かいというには足らない風が白をさらった。
「浮世を軽やかに踊ればいいものを。沈黙のうちにばさりと重たい身を落とす花弁なんてぞっとするよ」
はくりと大倶利伽羅は息を飲んだ。
「あんたは、」
「なあに、楽しそうね」
入り口から顔をのぞかせた加州がゆるりと微笑んでいる。
「彼には映えるだろう?」
「んーまぁ、そうっちゃそうだけど、ここ使うからさ、綺麗にしといてよね」
転がっていた木刀を拾いながら加州が言うと、おどけた笑みを浮かべた歌仙がそそくさと踵を返す。
「僕は彼らが来る前においとましよう」
「おい」
「それは君にあげるよ」
「おい」
思わず伸ばしかけた手を力なく落とし、舌打ちをして花弁をかき集める。しゃがみ込み、頭の上に乗っていたらしい一枚を手に取った加州が眦を下げる。
「本当に似合うね。……また俺とも手合わせしてよ」
「……ああ」
「そういうの悪くないと思うよ」
柔らかな白い肌を集める手を止め、楽しそうな瞳を見つめた。
「一生懸命なところ」
よく通る声が段々と近付いてくるのが聴こえる。
「ふふ、難しい顔してる。単純に強くなりたいと思うからさ。理屈じゃなく……理想に届きたいじゃない?」
緋色の腰布にいっぱいの白い花弁を抱えて大倶利伽羅は、いっぽ歩き出した。道場に向かう賑やかな新選組の刀たちとすれ違う。爽やかな浅葱色が視界の端で揺れていた。庭を通り過ぎ、だらだらと長い廊下を踏みしめ、徐々に足取りは速くなる。怪訝な顔をした光忠とすれ違う。
嗤うことしかできない男をあわれだと思いすらした。大倶利伽羅は男を蔑んだこともある。男に蔑まれた目をされたことも。
でも、そうじゃない。
この焦燥はどこからくるのかわからない。
けれど、─────。
風にさらわれこぼれ落ちる花弁もそのままに、大俱利伽羅は一心に走った。
たどり着いた場所。障子を裸足の親指で割り開く。無遠慮に身体を割り込ませれば、肩が当たりがたがたと障子が揺れた。
静かな部屋で文机に向かう背中が振り向くのを目に映しながら、身体が動くままに煤色の上から花弁を降らせる。
「……何事だ?」
「あんたへだ」
「は?」
大倶利伽羅が褐色の手を伸ばすことを藤色は咎める。故に次に長谷部から呼ばれた時が、また新たな戦いの場。珍しく困惑するさまを隠さない長谷部を置き去りに、花を残して大倶利伽羅は部屋をあとにした。
果たして、その夜、薄暗がりから伸びた白い手が倶利伽羅龍を捉えた時、大倶利伽羅は昂りを抑えきれず唾を飲み込んだ。
冷たい汗が暗闇の中に座り込んだ大倶利伽羅の上に降り注ぐ。瞳を隠された上に、後ろ手に拘束までされた褐色の身体にまたがって長谷部は躍る。
押し殺した熱い吐息、粘度の高い弾ける水音、ぐらぐらと身体を揺さぶる快楽、上昇し続ける熱。
大倶利伽羅は長谷部の喉元に鼻をうずめ、頭を擦り付けた。黒の世界を染めあげる甘い匂いがする。浮き上がった喉に吸い付き自由な舌で嬲れば、ごくりと上下するさまが如実に伝わる。汗を啜ってから這わせた舌が顎を伝って、ふくらとした唇にたどりつく。噛み締められた谷間を犬のように舐め回すと長谷部が顔を背けるものだから、大倶利伽羅は執拗にあとを追い、鼻先に噛り付いて鼻の穴まで舐め啜る。払いのけようと押し付けられたかたい手のひらも障害にはならない。盛り上がった親指の付け根を舌で抉り、歯をたてた。呼吸が荒くなった長谷部が離れようとする気配を感じた大倶利伽羅は、腹に力を入れ腰を揺らす。ぶるぶると長谷部の身体が孕む筋肉が震え、高くかすれた音が空気を切り裂いた。
届け。この男の奥底まで。刻み付けたい。振り返らずにはいられない熱を。
「……はせべ」
倒れこんできた身体を受け止めて耳に囁き、耳朶をしゃぶって舌をねじ込んだ。くちゅり、蜜にまみれた肉が耳の穴を犯した刹那、ぎゅうと長谷部の熱い粘膜が雄を締め上げ、遅れて腹の上をねとりと白濁が伝う感触。
この種は虚ろで意味がない。だが、この欲望にも意味がないとは思わない。
くたりと弛緩した長谷部の髪が肩をくすぐり、身じろぎすれば背中の後ろでわずかに緩んでいる紐。機が熟したことを大倶利伽羅は悟った。
ぎちりと肌を軋ませ腕の拘束を無理やりすり抜けると目隠しを取り去り、ひゅっと息を飲んだ長谷部の遠ざかろうとする身体を縫い止める。
つかまえた。
指と指を絡め、抵抗して爪を立てる指を閉じ込める。
伝わらなくとも跳ね除けられても、この男の頑なに聳える矜持に負けてはならない。
大倶利伽羅の思いがつうじなくとも、この刀の美しさに跳ねるこころはとどめようがないではないか。
潤んで、揺れて、咲く、淡い藤色。ふ、と抵抗が止んだ。
「……お前はばかだなぁ」
大倶利伽羅の鎖骨に自嘲するような力無い音が転がり落ちた。
「あんたもだ」
「……ばかがふたりか……」
「そうだ」
汗の匂いが薫り立つ湿った煤色に鼻をうずめ、こめかみを唇でたどり、髪をひとふさ食んだ。
一筋たりとも離しはしない。
煩く暴れる心臓とともに追いかけ続ける。打ちのめされても立ち上がる。
遠くとも離さない。振り払われても何度でも手を伸ばす。呆れられるくらい何度でも。
────ただ、それだけのことだったのだ。
いつか、この刀の肉に楔を打ち込み、白い皮膚を毟るのは自分であるべきだ。
一心にそう思う。
くりへしワンライお題「つなぐ」
31/03/2017